女の意地のぶつかり合い 「陽暉楼」を観て | パンクフロイドのブログ

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神保町シアター

女たちの街 より

 

 

製作:東映

監督:五社英雄

脚本:高田宏冶

原作:宮尾登美子

撮影:森田富士郎

美術:西岡善信 山下謙爾

音楽:佐藤勝

出演:緒形拳 池上季実子 浅野温子 倍賞美津子 仙道敦子 風間杜夫 丹波哲郎

1983年9月10日公開

 

太田勝造(緒形拳)は義太夫の豊竹呂鶴(池上季実子)と駆け落ちしたものの、呂鶴は追手の手にかかり死亡します。それから20年後、二人の間に生まれた房子は、陽暉楼の芸妓・桃若(池上季実子:二役)として店一番の売れっ子になっていました。陽暉楼の女将・お袖(倍賞美津子)は、呂鶴と勝造を張り合ったほどの女で、呂鶴の娘をあえて預かり高知一の芸妓に仕上げ、行く行くは自分の跡を継がせるつもりでいます。

 

勝造は今では“女衒の大勝”と呼ばれる存在になっており、家には後添いのお峯(園佳代子)と、実子で盲目の忠(井田弘樹)がいる一方、大阪で珠子(浅野温子)という女も囲っています。珠子は、勝造を愛しているものの、未だに呂鶴のことを忘れられずにいる勝造に反発し、自ら陽暉楼に身を売ろうとします。ところが、彼女はお袖に断わられ、遊廓・玉水の明日楼に身を売ってしまいます。

 

ある日、大阪・稲宗一家の賭場で勝造は、丸子(佳那晃子)という芸者と再会します。丸子は以前勝造から手付金を貰いながら逃げた曰く付きの女でした。稲宗(小池朝雄)はかねてから高知進出を企てており、丸子を陽暉楼に送り込み、主人の山岡(北村和夫)を篭絡させて乗っ取ろうと画策します。

 

そんな折、陽暉楼の面々は四国一の大ダンスホールに商工会々頭・前田(丹波哲郎)、南海銀行副頭取・佐賀野井(田村連)たちと繰り出し、珠子を始めとする玉水の娼婦たちと鉢合わせになります。やがて、珠子と桃若の間に険悪な空気が走り、トイレ内で掴み合いの喧嘩が始まります。桃若は勝負がついた後、髪は乱れ体中水びたしのまま、佐賀野井との約束の場所に現れます。佐賀野井はそんな彼女を抱きしめ、桃若は初めて男に愛される歓びを知ります。

 

その頃、勝造は陽暉楼を守るため、山岡と丸子の逢引きを邪魔しようとしましたが、稲宗一家の者に襲われます。一命をとりとめた勝造は、お袖から稲宗の策略により陽暉楼が危機に陥っていることと、桃若の妊娠を知らされます。しかも、桃若の相手はパトロンの四国銀行協会々長・堀川(曽我廼家明蝶)でなく別の男だといいます。やがて、お袖は芸妓の助次(西川峰子)がうっかり口を滑らせたことから、山岡と丸子の仲を知らされます。お袖は道後温泉で遊ぶ山岡と丸子のもとに乗り込んで、力ずくで丸子を追い払います。

 

一方、勝造は稲宗一家の配下にある明日楼から珠子をとり戻し、その足で稲宗の代貸・三好(成田三樹夫)のところに行きます。彼は山岡の博打の借金をたたき返した上で、稲宗一家との縁を断ち切ることを宣言します。その頃、桃若は佐賀野井が3年間ヨーロッパに赴任することを、前田から知らされショックを受けます。それでも彼女は子供を生もうと決心し、悩んだ末に、堀川には子供が彼の子でないと打ち明けます。堀川は自分の気持ちを踏みにじられたことに激怒し、桃若に縁切りを言い渡します。

 

一方、珠子は勝造の希望通り秀次(風間杜夫)と一緒になり、高知に店を出すことにこぎつけます。桃若は無事女の子を出産し、弘子と名づけます。子供ができたことで、彼女は生きる張り合いを見出したものの、稽古の最中、突然倒れてしまいます。桃若は結核と診断され、入院を余儀なくされます。見舞いに来た珠子は、桃若の病気が治るまで弘子を預かると申し出ますが、桃若はお袖の世話で既に我が子を里子に出したと答えます。

 

やがて、桃若の容態が悪化し、勝造は娘の死を見届けます。その夜、勝造は珠子と秀次の店を訪れ、自分の娘が死んだことを告げます。その直後、稲宗の手下が店を襲い、秀次はドスに倒れて死に、店も爆破されます。命からがら生き延びた勝造は、大阪駅の待合室で、切符を二枚珠子に渡し、用事が済むまで待つように言い残して、稲村に落とし前をつけに行きます・・・。

 

宮尾登美子の原作を読んでいない上に、五社英雄が登場人物の心情を曖昧にして描く為、しばしば?と思う箇所が見受けられました。たとえば、勝造が呂鶴の恋敵だったお袖のもとに預けた件。勝造がそれだけお袖を信用していることは分かるにせよ、自分の手元に置かなかった理由が気になって来ます。もちろん、女衒という仕事柄、男手ひとつで育てるのは難しいでしょうが、それでもお袖に預けるのは、娘が16歳になってからなのです。

 

成長するにつれ、亡き呂鶴に似てくる娘を見るのが辛いという見方もできますが、桃若が芸妓になってからも父と娘がよそよそしく振る舞う様子から、むしろ近親相姦になりそうな危険を避けた、淫靡な匂いを嗅ぎ取ってしまいます。芸妓は娼婦と違い、必ずしも客と寝る必要はありませんが、店にとって大切な客となれば、床を共にするのを断るのは難しいです。その辺の事情は、女衒の勝造ならば百も承知のはずで、父親として自分の娘にそのような道を進ませるのも理解しがたいものがあります。

 

また、珠子の行動も不可解に感じられます。勝造が昔の女の面影を珠子に求めているのに気づき、嫌気が差して別れるというところまでは納得できても、芸妓になると言い出して、それが無理と分かると、娼婦にまで身を落とそうとするのも何だかなぁ・・・。彼女に借金がある訳でなく、勝造の性格からすれば、手切れ金と称して、ある程度の金を珠子持たせるくらいの器量はあるでしょうし、それを元手に商売を始めるのも可能ですし、昭和初期の時代でも女がまっとうに一人で生きて行く方法はあったと思われます。

 

桃若の男の選び方にも腑に落ちないところがあります。芸妓として男を見る目が肥えているはずなのに、よりによってその男を選ぶかぁ?という感じ。桃若程の女が彼女に見合う男を見つけるのですから、彼女が段階を踏んで徐々に好きになっていく様子を見せるか、桃若を一発で惚れさせる強烈なエピソードで観客を納得させるかしかないのに、そのどちらもないため、南海銀行副頭取の肩書に目が眩んだ、安い女と誤解を与えかねないのはまずいですね。また、佐賀野井を演じる俳優も、ヒロインと釣り合いが取れているとは思えず(失礼!)、ここは出演時間が短くとも名の知れた役者を配して欲しかったです。

 

この他にも首を傾げたくなる描写が結構あり、五社監督がキューブリックの「2001年宇宙の旅」方式のように、敢えて説明を避けて謎を残したことにより、観客の想像を刺激する狙いがあったとすれば、その点に関しては概ね成功したと言えましょう。ただ、SF映画ならばともかく、女の情念が迸る愛憎劇でそれをやられてもねぇ・・・。

 

五社英雄の映画と言えば、条件反射として女優の裸が思い浮かび、この点は裏切りません。佳那晃子は風呂場のシーンで存分に見せてくれますし、浅野温子はあまり期待していませんでしたが、脱ぐ必要もないところでパイオツを晒してくれます。これは、ボンクラ野郎へのサーヴィスですな。後半に勝造が女の体を品定めする場面があり、映っているのは明らかに未成年と思われる少女の裸。80年代ではOKでも、現在ならば相当ヤバいでしょ。

 

女同士の軋轢が諸に表れるのがキャットファイト。トイレ内で池上季実子と浅野温子が、髪を振り乱して暴れる二人の迫力は一見の価値ありです。それに比べると、風呂場における倍賞美津子と佳那晃子の修羅場は大人しく映りますが、その場に居合わせた北村和夫の立場になったら、生きた心地はしないかも(笑)。

 

振り返ってみると、結構贅沢なオールスターキャストの映画だったことに気づかされます。緒形、池上、浅野の主要人物は勿論の事、倍賞の芸者の女将としての貫禄、北村の女房の尻に敷かれる情けなさ、花沢徳衛のいぶし銀の番頭、丹波哲郎と曽我廼家明蝶の重鎮たちの懐の深さ、風間杜夫の実直さなど、適材適所の配役。主な芸妓衆には市毛良枝、西川峰子、熊谷真美、端役にも速水典子、山本ゆか里、仙道敦子、大村崑、元関取の荒勢と多士済々。敵役の小池朝雄、成田三樹夫も派手な見せ場はないものの、その場にいるだけで箔が付く存在感が良かったです。