チラシより
クリスティアンは現代美術館のキュレーター。洗練されたファッションに身を包み、バツイチだが2人の愛すべき娘を持ち、そのキャリアは順風満帆のように見えた。彼は新たな企画として「ザ・スクエア」という地面に正方形を描いた作品を展示すると発表する。四角の中は人々に「思いやりの心」を思い出してもらうための聖域であり、社会をより良くする狙いがあった。だが、ある日、携帯と財布を盗まれたことに対して彼がとった行動は、同僚や友人、果ては子供たちを裏切るものだった――。
製作:スウェーデン ドイツ フランス デンマーク
監督・脚本:リューベン・オストルンド
撮影:フレデリック・ウェンツェル
美術:ヨセフィン・オースバリ
出演:クレス・バング エリザベス・モス ドミニク・ウェスト テリー・ノタリー
2018年4月28日公開
ほんの些細な判断ミスから相手に不信感を与え、大した事がないと高をくくるうちに修復不可能な事態に陥る点は、同監督の「フレンチアルプスで起きたこと」と同じ構図になっています。ただし、「フレンチアルプス」のお父さんは、咄嗟の行動が本能から生じた分、弁解の余地はありますが、こちらは防ごうと思えば防げただけに罪は重いと言えます。
スマホを盗まれた件に関しては、親切心が仇となったこともあり気の毒とは思うものの、スマホを取り戻すために取った方法はいただけませんね。酒が入って気が大きくなり、その場のノリで突っ走った感はあるにせよ、思い留まるか、引き返す機会はいくらでもあったのですから、どんな言い訳も説得力は持たないでしょう。荒っぽい方法でスマホを取り戻せたものの、クリスティアンの取った行動が、罪のない少年にとばっちりが及び、後々頭痛の種となってきます。
少年がクリスティアンに謝罪を求めるのは当然なのですが、少年の刺々しい言葉が頭を下げさせたくない気持ちにさせていたのも事実。子供だから仕方ないとは言え、せめて両親の誤解を解くために説明してもらえないだろうかという線で話を運べば、クリスティアンも耳を傾けたかもしれません。
クリスティアンが少年と関わり合いたくなかったのは、少年が移民の子供という理由もあるでしょう。街中では物乞いの姿が多く見られ、他所の国から来て住みついたと思われる人も見受けられます。しかも、物乞いの中には施しを受けるのが当たり前という態度も見られ、気の毒と思うよりちょっとした反感を抱くような気持にもさせます。弱者を必ずしも気の毒な存在に描くのではなく、厄介者というもう一方の目線によって、是々非々で語るところに、作り手の大人の視点が窺えます。
クリスティアンは“思いやり”というコンセプトで新たな企画を立ち上げるものの、自身の実際の行動とは真逆なのが笑えます。セブンイレブンにいた物乞いのおばちゃんに対して、親切な行為をしながらちょっとした意地悪もしますし・・・。彼は私生活のゴタゴタで頭がいっぱいになり、宣伝の企画書を軽く読み流したために、更に取り返しのつかない失敗をしてしまいます。また、新たな企画の出資を募るために、賛同が得られそうな人々を招いたパーティーでは大惨事を引き起こし、自分の首を絞める結果になります。
自身が寛容な心を抱いて接しても、相手が受け入れなければ、その行為は徒労に終わります。夕食会で意思疎通不可能な“モンキーマン”がやらかしたことはその典型例。参加者が過剰なまでの寛容さを示したために、本来諌めるべきタイミングを逸したことにより、逆につけ上がっても良いというメッセージを与えてしまいます。パーティーで若い女性がかなり危険な状況に置かれても、紳士淑女は関わり合いを避けて目をそらすだけ。やがて、一人の老紳士が見て見ぬ振りはできぬと、二人の間に割って入ります。
この後の展開は意外性があってある種見ものですが、行き過ぎたポリティカルコレクトネスは却って反感や憎しみを呼び起こし、過剰な暴力に繋がることを示唆するかのような演出。本作は作り手の(良い意味での)意地悪な視点が功を奏し、毒のある笑いがたっぷり散りばめられ、現代社会における問題を提起しながら、人間の本質にまで迫って行きます。
日本のメディアは北欧の国々に関して、美化された報道をしがちだが、どこの国にも光と影は表裏一体として存在します。そのことを踏まえつつ、朝鮮有事の際に難民が押し寄せた場合には、日本も他人事とは言ってられません。日本人の安全を確保するために、日本が難民への受け入れに対してどの程度まで寛容さを示す政策をとるのか、国会で議論をしていただきたいのですが、実際やっている事ときたら・・・。
