原始と近代のせめぎ合い 「神々の深き欲望」を観て | パンクフロイドのブログ

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

ラピュタ阿佐ヶ谷

一役入魂 映画俳優 三國連太郎 より

 

 

製作:今村プロダクション

配給:日活

監督:今村昌平

脚本:長谷部慶次

撮影:栃沢正夫

美術:大村武

音楽:黛敏郎

出演:三國連太郎 河原崎長一郎 沖山秀子 松井康子 北村和夫

        加藤嘉 浜村純 細川ちか子 水島晋 小松方正 嵐寛寿郎

1968年11月22日公開

 

戦争が終わりクラゲ島に帰って来た根吉(三國連太郎)は、日頃の乱交が祟り、神への畏敬と深い信仰を持つ島の人々から疎まれていました。更に根吉と彼の妹ウマ(松井康子)の関係が怪しいとの噂が流布するに至り、区長の竜立元(加藤嘉)は根吉を鎖でつなぎ、穴を掘って巨岩の始末をするよう命じ、自身は妻がいるにも関わらずウマを妾にします。また、根吉の息子亀太郎(河原崎長一郎)も、父親のせいで同じ世代の若者たちから仲間はずれにされていました。

 

そんな折、東京から製糖会社の技師刈谷(北村和夫)が、水利工事の下調査に訪れます。文明に憧れる亀太郎は、製糖工場長も務める竜に誘われ、刈谷の助手になります。二人は島の隅々まで水源の調査をするものの、随所で風習を重んじる島民たちの妨害を受けて、刈谷は次第に水源を発見する情熱を失ってゆきます。

 

ある夜刈谷は、亀太郎の妹で知的障害者の娘のトリ子(沖山秀子)を抱いてしまいます。トリ子の純粋さと魅力に惹かれた刈谷は、東京に家庭があるにも関わらず、クラゲ島に骨を埋めようと決意します。一方、根吉は穴を掘り続け、嵐によって巨岩が穴まで近づき、やがて穴に落ちていきます。

 

ところが、刈谷は会社からの帰京命令で島を去り、東京の東光カンパニーがクラゲ島の観光開発を決定し、根吉一家の土地が飛行場の用地の対象となります。竜は土地の買収を根吉に迫りますが、根吉は首を縦に振ろうとしません。

 

やがて豊年祭りが開催され、その晩に竜はウマを抱いたまま死にます。根吉はウマを連れて島を脱出。竜の妻ウナリ(原泉)に事情を言い聞かせたものの、ウナリはウマに対する嫉妬と恨みから、自宅に火をつけた上で、根吉が夫を殺したと村人に告げます。亀太郎を含めた青年たちは舟を出し、二人の後を追うのですが・・・。

 

学生の時に、池袋の文芸地下で観て以来、37年ぶりの鑑賞となりました。大まかな筋と断片的な描写は憶えており、今回の鑑賞でも三國連太郎の野性味溢れる芝居と、沖山秀子の白痴美は印象に残りました。3時間近い上映時間にも関わらず、少しも飽きさせなかったのは、今村昌平監督の力量の賜物。尤も隣の席の女性は所々寝落ちしていたようですが(笑)。

 

本作は日本の高度経済成長期の変わりゆく社会の縮図を見ているようで、伝統と近代化の二つの価値観のせめぎ合いを映し出します。その結果、どちらにも呑みこまれてゆく人間の愚かさが浮き彫りになります。そうした人間を客観的に見つめるかのように、島の自然とその地に生息する生き物たちの姿も記憶に残ります。

 

大岩を埋めるために20年近く穴を掘り続けている根吉は、勅使河原宏監督の「砂の女」の砂を掻きだす作業に追われる男女の姿とも重ね合わせてしまいます。彼は表向き発破を使った違法な密漁をしたため、不条理にも大岩を埋めるための穴を掘る作業を強いられています。しかし、妹との濃密な関係や竜の思惑などがあり、誰もその処罰には異を唱えません。日本に巣食う本音と建て前、同調圧力の怖さを示している一例です。

 

一方、亀太郎に代表される若い世代は、昔からの因習を毛嫌いしつつも、そこから逃れられずにいます。また、よそ者である技師の刈谷は、合理的な作業を進めようと思っても、頑なに伝統を守る人々に阻まれ、島の風習に感化され取り込まれていきます。

 

今村昌平監督は束縛と解放を対立軸としながらも、どちらが正しいとか、間違っているとかを、明確にするのを避けて、人間のあるがままの姿を映し、観る者に委ねようとします。文明社会から取り残されたかのような島が、より神話的な雰囲気を醸し出し、たとえ島に近代化が押し寄せても、根本の部分は変わらない印象を与えて終わります。