ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン 天使の詩」「パリ、テキサス」を観て | パンクフロイドのブログ

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高田馬場 早稲田松竹

ヴィム・ヴェンダース監督特集 より

 

ベルリン 天使の詩

 

製作:西ドイツ フランス

監督:ヴィム・ヴェンダース

脚本:ペーター・ハントケ ヴィム・ヴェンダース

撮影:アンリ・アルカン

音楽:ユルゲン・クニーパー

出演:ブルーノ・ガンツ ソルヴェイグ・ドマルタン オットー・ザンダー

        クルト・ボウワ ピーター・フォーク

1988年4月23日公開

 

天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)は、いつもベルリンの廃墟の上から人々を見守っていました。天使の耳には地上の人々の様々な内なる声が聴こえ、ダミエルは親友の天使カシエル(オットー・ザンダー)と情報交換をしながら日々を送ります。やがて、サーカス小屋に迷い込んだダミエルは、空中ブランコを練習中のマリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)を見て一目惚れをします。だが、サーカス一座は負債を抱え、最後の公演を迎えようとしていました。

 

ダミエルはカシエルを誘い、サーカスの公演を見に行きます。ダミエルは、マリオンの悲痛な思いを耳にしながら、彼女に何もしてやれない天使に疑問を抱き始めます。そんな折、映画の撮影でベルリンを訪れていたピーター・フォーク(本人)が、ダミエルの存在に気づきます。彼は見えないダミエルに向かって、人間になることを勧めるのです。ダミエルはカシエルにマリオンを愛していることを告白するものの、カシエルは天使が人間に恋をすると死ぬことになると忠告します。親友の忠告を聞いたダミエルは・・・。

 

本作は公開時と90年代の初めに二度劇場で観ていますが、二度とも途中で居眠りをしてしまいました。劇場で二度とも寝た映画は、他にもアラン・レネ監督の「去年マリエンバートで」があります。どちらも退屈な映画ではなく、むしろ寓話性のある魅力的な映画でした。果たして今回の鑑賞は、三度目の正直となるか?それとも二度あることは三度あるになるのか?

 

映画の序盤は、主人公が天使という設定もあり、空から地上を見下ろすショットが多用されています。天使はダミエルのみならず、親友のカシエルを始め、至る所に出没しています。特に図書館は天使の溜まり場の様相を呈しています。天使たちが人々の発する囁きや心の叫びを受け止める行為が、絶え間なく繰り返されるため、断片的な人間の言葉が心地良い散文詩のリズムとなって、眠りを誘うのかもしれませんね。

 

二度観ているにも関わらず、記憶の欠落している箇所が結構多いのは、天使が人間の声を拾う行為にかなり時間を割いているからでしょう。その反面、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのライヴ、ダミエルが天使から人間に生まれ変わる場面、カシエルが飛び降り自殺する男を止められず絶叫する場面、ピーター・フォークがダミエルに語りかける場面などは、強く印象に残っています。

 

天使はあくまで観察者であり、傍観者という立場にあるだけに、直接人間と関わり合うことはできません。ダミエルは人の温もり、愛情、痛み等を直接感じたいと願い、ピーター・フォークの助言も後押しになり、敢えて人間社会に飛び込んでいきます。現在、ネットが普及した結果、人や社会との関係が段々希薄になっています。今から30年近い昔に、顔を突き合わせてコミュニケーションをとろうよと示唆した映画が撮られたのは興味深いです。

 

堕ちた天使の目から、人間であることの喜び、哀しみ、苦悩が映し出され、それでも人として生きていく価値があることを、ダミエルは身をもって示します。アンリ・アルカンのカメラが捉えたベルリンの風景は、時折戦時中の実写フィルムやカラーが挿入されることによって、より詩的で幻想的に映ります。ところで、過去に二度とも途中で眠ってしまった本作ですが、無事最後まで眠らずに観ることができました。

 

 

パリ、テキサス

 

製作:西ドイツ フランス

監督:ヴィム・ヴェンダース

脚本:サム・シェパード L・M・キット・カーソン

撮影:ロビー・ミュラー

音楽:ライ・クーダー

出演:ハリー・ディーン・スタントン ナスターシャ・キンスキー

        ディーン・ストックウェル オーロール・クレマン

1985年9月7日公開

 

一人の男(ハリー・ディーン・スタントン)が、テキサスの原野を彷徨い歩いていました。男は寂れたガソリン・スタンドに入り、氷を口に含むとその場で倒れます。男は病院にかつぎこまれ、医師(ベルンハルト・ヴィッキ)は一枚の名刺から、男の弟ウォルト(ディーン・ストックウェル)に連絡を取ります。やがて、ウォルトが到着すると、兄の名はトラヴィスと言い、4年前に失踪したまま行方不明になっていたことが明らかになります。

 

ウォルトは兄を飛行機に乗せて自宅に連れ帰ろうとしますが、トラヴィスは搭乗を拒否し、仕方なく2日間かけて車で移動します。その間、ウォルトが質問をしても、トラヴィスはなかなか口を開こうとはせず、気づまりのまま自宅に戻ります。家ではウォルトの妻のアンヌ(オーロール・クレマン)と、トラヴィスの7歳の息子ハンター(ハンター・カーソン)が出迎えます。ハンターはウォルター夫妻の息子として預けられていたため、実の父親が現れてもトラヴィスに馴染めず、わだかまりを残したまま一緒に暮らし始めます。

 

それでも数日経つうちに、親子は打ち解け出し、ウォルターとアンヌは二人の姿を複雑な思いで見守ります。やがて、トラヴィスはアンヌから、トラヴィスの別れた妻・ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)が、ハンターの口座に定期的に送金していることを知らされます。ジェーンがヒューストンの銀行から振り込みをしていることから、トラヴィスはハンターにジェーンを探しにヒューストンに行くと告げます。父親から話を聞かされたハンターも、一緒について行くと言い張り、かくして二人は中古の軽トラでヒューストンに向かいます。

 

二人は別々の場所から銀行を張込み、ジェーンが現れるのを待ちます。ところが、二人とも寝過ごしてしまい、慌てて彼女の車を尾行します。やがて、駐車場でジェーンの車を見つけたトラヴィスは、息子を軽トラに残して、一人で怪しい建物に入って行くのですが・・・。

 

主人公が4年もの間、失踪した理由を明らかにせず、最後まで引っ張るのは、のぞき部屋で元妻に告白するクライマックスがあるからです。そのせいか、トラヴィスが身勝手に映り、少なくとも前半はかなり印象が悪いです。4年ぶりの息子との再会から、徐々に持ち直しはするものの、ジェーンを探しにハンターとヒューストンに向かうくだりになると、再び自己チュウの印象がもたげてきます。何より父親が不在の間、息子の面倒を見てくれた弟夫婦の善意を踏みにじる行為であり、自分たちの息子のように育てた彼らの心中を察すると、遣り切れない思いになります。

 

のぞき部屋でのトラヴィスの告白は、年の離れた娘を嫁にもらった男の嫉妬心を始め、未熟な結婚がもたらす愚行の数々に腹を立てながらも、ジェーンに対する愛の苦悩もひしひしと迫ってきます。同時に、結婚もしていない私に、彼らを責める資格のないことも(笑)。それにしても、ナスターシャ・キンスキーの美しさと言ったら・・・。トラヴィスが嫉妬に狂うのも無理ないですわ。また、ロビー・ミュラーの撮影による素晴らしいショットの数々と、その風景に被さるライ・クーダーの音楽も、荒涼とした魂の物語に相応しく、母親と子供を再会させたトラヴィスが、再び一人で彷徨っていくラストに、胸の詰まる思いがしました。