親の心子知らず 「日本の悲劇」を観て | パンクフロイドのブログ

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池袋 新文芸坐 【木下惠介生誕100年際~ファイナル~】 より


熱海の旅館「伊豆花」に女中として働く春子(望月優子)は戦争未亡人である。敗戦後に二児を抱え様々な苦労をしてきたが、子供たちもいっぱしの大人になっていた。歌子(桂木洋子)は洋裁学校と英語塾に通い、清一(田浦正巳)は医科大学に通っていた。しかし、子供たちの親を見る目は冷たい。歌子はまっとうな嫁入り口もないことを母の行状のせいにし、清一は資産家の医師から養子にのぞまれ、春子に養子縁組を承認するよう迫った。春子は子供のために今まで苦労してきたことを訴え反対するが、そのおしつけがましい愛情が逆に子供たちの心を遠のかせた。やがて春子は客の口車に乗せられ、株の投機に失敗し歌子に泣きつくが・・・。



パンクフロイドのブログ-日本の悲劇


製作:松竹

監督・脚本:木下惠介

撮影:楠田浩之

美術:中村公彦

音楽:木下忠司

出演:望月優子 桂木洋子 田浦正巳 佐田啓二 上原謙

    高橋貞二 高杉早苗 北林谷栄

1953617日公開



未亡人の春子は、敗戦後の混乱時に二人の子供を抱えながら、闇屋や飲み屋の仕事などで食いつないできました。しかし、その仕事も立ち行かなくなり、子供たちを夫の兄夫婦の許に預け、時に女の武器を使いながら、現在は温泉旅館の女中として働いていました。春子は長女の歌子を洋裁学校と英語塾に通わせ、長男の清一を医科大学に通わせるまでに育ててきましたが、子供たちの母親を見る目は冷たいのです。


清一は戦争で息子を亡くした資産家の病院長から養子の件を打診され乗り気でいます。一方、姉の歌子は美貌にも関わらず、良い縁談に恵まれないのは、母親の行状のせいと思い込んでいます。彼女は弟から養子の件を母親に話す際に力添えを頼まれても、どこか醒めた態度を見せます。また、歌子は英語の講師・赤沢(上原謙)から言い寄られてもいます。しかし熱心に口説かれても、歌子は妻子ある男に冷淡です。赤沢の妻(高杉早苗)は夫の挙動不審な様子から、赤沢と歌子の関係を疑い出します。


春子は只でさえ実の息子から養子の件を持ち出され平静でいられないのに、追い打ちをかけるように馴染みの客の口車に乗って相場で穴を開けてしまいます。彼女はその穴埋めをするため、歌子の貯金を当てにして泣きつきます。歌子は一旦母親の頼みを承諾するものの、好きでもない赤沢と駆け落ちしてしまいます。春子は歌子が行方をくらましたことに動揺し清一を訪ねに行きますが、彼は資産家の医師の籍に入ることしか頭になく、しきりに院長に会うように言ってきます。その冷静な口調に、春子はあきらめて養子になることを承諾するのです。絶望に駆られた春子は、熱海には向かわず、湯河原で途中下車します。そして・・・。


冒頭の新聞の見出しとニュース映像の繋ぎで、敗戦から8年後までの歩みを一気に説明する様は、ドキュメンタリー映画のようです。木下惠介は冷徹な目とリアリズムでもって、敗戦後から8年の年月を経て生じた母と子供たちの心の距離を描き出します。


観客は春子の苦労を散々見せられ、彼女に感情移入しているため、母親を見捨てる子供たちに非難の目を向けがちになります。しかし、事は善悪の構造に帰結できるほど単純なものではありません。子供たちにも彼らなりの言い分があるからです。


二人は子供の頃に、母親が酔っ払った客を相手にする際の媚びを売る様と男を軽蔑する両面を見せられています。また伯父夫婦とその子供にいじめられながら暮してきたため、自立願望も人一倍強く持っています。清一にとっては、せっかく自分の病院が持てるチャンスなのに、籍を移すことに反対している母親は障害でしかありません。歌子も子供時分に母親が側にいなかったために、忌わしい過去に苛まれ、歪んだ形となって憎しみの対象となっています。


子供を育てるために、自分を犠牲にして嫌な仕事に耐える春子を、私たちのような古い世代や子を持つ親は、傍観者の立場で暖かく受け入れられますが、当事者の二人は子供に見返りを期待して育てたと、親の愛情の押しつけに反発するのです。


個人的に面白かったのは、歌子と赤沢の仲を疑った妻が、娘の服を作ってもらう口実を設けて、娘と一緒に歌子の下宿を訪れるくだり。その時は、春子が訪ねてきていたのですが、歌子は挑発するようにさも赤沢が二階の歌子の部屋にいるかのように振舞います。その様子を見て赤沢の妻は嫉妬に狂います。やがて、二階から春子が降りてきて、夫人は引き上げようとしますが、今度は歌子が引き止めます。


歌子は二人を二階に上がらせ、娘にカタログを見せて洋服を選ばせるものの、明らかに夫人は興味を失っています。やがて、二人が下の階に降りたところで、夫人と赤沢がニアミス。両者のリアクションが見もので、赤沢は歌子に貸す本を持って来たという口実で、歌子の部屋に上がります。二階の窓はカーテンが閉められ、外から中を窺うことはできません。娘をダシに使って、二人の動向を探ろうとする女房の姿が滑稽で笑いたくなります。外から娘に何度も「お父さん!」と叫ばせているんですもの。


また、行方をくらました赤沢を探しに、夫人が洋裁学校に乗り込んでくる場面も面白いです。歌子は頭に血が上っている夫人を軽くあしらい、母親からかかってきた電話を、あたかも赤沢からかかってきた電話と思い込ませてヤキモキさせるなど、桂木洋子が可愛い顔立ちをしているだけに、歌子のしたたかさと底意地の悪さが際立ちます。まぁ、夫人に対してだけですけどね(笑)。


映画では何度となく、現在と過去が交錯しますが、絶妙なカットの繋がりによって、自然な形で切り替えが行なわれます。しかも、登場人物の現在の感情が、過去に起きた出来事と重ね合わさる高度なテクニックの見せ方を用いており、編集の巧みさに舌を巻きました。戦後の混乱期に女手ひとつで子供を育て上げ、子供たちに見捨てられた上に、悲劇的な結末で幕を閉じた物語を、故・立原正秋氏の「男性的人生論」の中の一文を引用して締めたいと思います。


グアムから還ってきた一兵士が何故英雄になれるのか、そこのところが私にはわからない。たとえば、夫に戦死され、数人の子供を育て上げてきた未亡人とこの兵士を比べてみるがよい。戦争未亡人が現在何万人いるのか私にはわからないが、これらの未亡人にとって戦後は気の遠くなるような歳月であったはずである。