ロバート・アルドリッチの硬派な政治サスペンス 「合衆国最後の日」を観て | パンクフロイドのブログ

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198111月。州刑務所を脱獄した4人は、モンタナ州のミサイル基地に通じる道で軍用トラックを乗っ取り、基地に侵入した。リーダーは元空軍大佐のデル(バート・ランカスター)。この基地の設計者でもあり、ハト派的言動で投獄されていた男だ。彼は、黒人のポーウェル(ポール・ウィンフィールド)、ガルバス(バート・ヤング)と共にミサイル・コントロール・センターを占拠。そして、デルはベトナム戦争当時の国家機密文書の公表、国外逃亡資金1千万ドルの用意、そして逃亡地点までの大統領の人質の3点を要求する。


ロバート・アルドリッチ 予告編



パンクフロイドのブログ-合衆国最後の日1


監督:ロバート・アルドリッチ

脚本:ロナルド・M・コーエン エドワード・ヒューブッシュ

原作:ウォルター・ウェイジャー

撮影:ロバート・ハウザー

音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:バート・ランカスター リチャード・ウィドマーク

    チャールズ・ダーニング バート・ヤング

1977年5月21日公開


基地で働いている人数が少なすぎるとか、デルの計画が杜撰すぎるとか、発射ボタンを押してミサイルが動き出しているのに途中で止められるのかとか、色々ツッコミどころはありますが、アラを一々指摘して論ずるような映画ではありません。


無能で卑怯者の上官と真実を隠蔽しようとする組織に対して、力を持たない者が孤独な戦いを挑む構図としては、アルドリッチ自身が監督した「攻撃」の構図に似ています。人物もジャック・バランスをバート・ランカスターに、エディ・アルバートとリー・マーヴィンをリチャード・ウィドマークに置き換えることは可能です。


バート・ランカスター演じるデルは、ベトナムに従軍した経験があり、アメリカ側の非人道的な作戦で、ベトナム人やアメリカの若い兵士が殺されるのを目の当たりにします。彼はベトナムの現状を上官のマッケンジー将軍に直訴しますが、退けられます。しかも、マッケンジーはデルを無実の罪で投獄して、ベトナムで起きたことをもみ消してしまいます。


デルは刑務所の仲間と脱獄し、ミサイル基地に侵入し、核ミサイルを人質にとって、当時の政府が握りつぶした真実を明るみにしようとします。大統領は秘密裡に政府高官を招集し、善後策を協議します。大統領はデルのメッセージを真摯に受け止め、国家機密文書を公表しようとしますが、政府の高官たちに阻止されます。更にマッケンジーによる軽率な判断と命令によって事態は悪化し、大統領は益々窮地に立たされます。


基地内部に立てこもったデルたちをおびき出すため、大統領は自ら人質となることを決意します。大統領を楯にしながら出てきたところを射殺する計画で、当然大統領も危険にさらされます。そのことを知っているからこそ、彼は側近に「自らのあやまちで殺されるのは構わないが、他人のせいで自分が犠牲になるのは納得行かない」と弱音を吐きます。その言葉に対して側近は冷徹に言い放ちます。「(納得が行かなくても)それが大統領の務めです」


映画ではベトナム戦争を、負けるとわかっていながら、国の威信とソ連への対抗意識のために、自国の若者を無駄死にさせたと捉えています。もちろん、そういった面はあったでしょうが、私は寧ろ軍産複合体の利益のために、戦争を長引かせたと捉えており、映画とは見解が異なります。いずれにせよ、政府の要人たちが自分たちの都合のために、多くのベトナム人や徴兵されたアメリカの若者たちを死なせたことは事実であり、それは未だにイラクやアフガンでも続いています。


翻って日本を見れば、政府は原発事故において似たような対応をしており、歴史から何も学ぼうとしないことに徒労感を覚えます。映画では、大統領自ら核ミサイルの発射を阻止するために命を賭しますが、今の日本の政治家や官僚にそれを求めるのは無理でしょう。


ロバート・アルドリッチは画面分割を多用し、物語の緊迫感を巧みに演出します。モニターの画面、モニター越しに画面を監視するデルたち、その様子をスクリーンで眺める観客といった構図が、まるで神が地上の人間の行動を見守っているような錯覚さえも引き起こします。


また、轟音とともに9基のミサイルが地上へせりあがって行く場面は、手に汗握る最高のサスペンスとなっています。そして、スリルとサスペンスに満ちた硬派な政治ドラマは、一国の大統領さえも国家にとっては消耗品に過ぎない冷徹な現実を見せて終わります。そこには「攻撃」に見られた救いはなく、苦い思いだけが残ります。大統領が今わの際に、彼が信頼していた政府高官に託した願いは、果たして叶えられたのでしょうか?