パンクフロイドのブログ

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ウロボロスの環 小池真理子

 

集英社サイトより

1989年5月、彩和と俊輔の結婚を祝う会が開かれた。前の夫を若くして亡くし、必死で幼い娘を育ててきた彩和にとって、それは人生の安泰が約束された幸福な瞬間だった。後に、俊輔の思わぬ一面を知ることになろうとは夢にも思わず――。

 

大雑把に言うと、子連れで再婚した女性が夫から雇い人との仲を疑われ、精神的に追いつめられていく話です。主人公の彩和は前夫の急死に伴い、働きながら子育てもしなければならず、困窮した生活を送ってきました。そんな彼女が古美術店を経営する高階俊輔に見初められたことで、裕福な暮らしができるようになります。彩和は夫への愛情はあるものの、娘のためにこの暮しを手放したくない打算もあります。夫への遠慮が強いあまり、そのことが俊輔を苛立たせてもいます。俊輔は恵まれた環境からいい年してお坊ちゃま気質があり、相手の忠告にも耳を貸さない傾向があります。更に妻への猜疑心からストレスも溜まり、不摂生な生活を続けています。一方、彩和と野々宮との間には一切不逞な関係はありません。ただし、彩和は再婚するまで女手ひとつで娘を育て、野々宮も母子家庭だったこともあって、ちょっとした仲間意識を抱いています。野々宮は彩和に密かな恋心を持っているものの、あくまで分別のある振る舞いを崩しません。それでも、彩和には時折迂闊な行動を取ってしまうことがあり、それが巡り巡って俊輔に疑惑を抱かせる原因にもなっています。そして、あるアクシデントが起き、彩和と野々宮は“未必の故意”によって、互いに罪の意識に苛まれます。更に、俊輔の隠していた秘密が明かされると、物語により悲劇性が帯びてきます。小池真理子らしい真綿で首を絞めるような心理的サスペンスを味わえる一作でした。

 

 京極夏彦

 

KADOKAWAサイトより

「猿がいる」と言い出した同居人。かすかに感じる、妙な気配。曾祖母の遺産相続。胸に湧き上がる不安。岡山県山中の限界集落。よく判らない違和感――。ただの錯覚だ。そんなことは起こるはずがない。だが――。怖さ、恐ろしさの本質を抉りだす、瞠目の長編小説。 

 

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という諺があるように、本書も幽霊が怖いのではなく、怖いから幽霊(のようなもの)を見るのだという論理で進んでいきます。主人公の女性にはいくつも怪異な現象が続いており、異形の物の気配はするものの、恐怖の根源となる実態が見えてこない展開になっています。その間にも彼女が再従姉と共に受け継ぐ権利を持つ村が、因習に縛られた村ではないことが分かり、先入観に囚われた見方が危険なことを示してきます。こうした過程を経て、彼女は最後に自分自身に纏わりつく死の影と対峙します。私はてっきり著者が「恐怖とは何ぞや?」と壮大なテーマを深掘りする意図があったと思っていただけに、残り3ページの流れとオチの付け方に、額面通りに受け取って良いのか、それとも別の解釈があるのか、判断がつかなく途方に暮れました。

 

白雪姫と五枚の絵 ぎんなみ商店街の事件簿2 井上真偽

 

小学館サイトより

かつて「ぎんなみ商店街の白雪姫」と呼ばれた八百谷雪子は、現在認知症を患い入院中。商店街の人気焼き鳥店「串真佐」三姉妹の次女・都久音は宝石店店主の神山と見舞いに行くことに。すると病室で魔女が白雪姫に毒林檎を渡そうとしている絵を見つける。旧知の神山も認識できない様子の雪子だが、絵の魔女を指さし「こいつね、わるいやつなの。私から一億円を盗んだの」と言いだした。一方その頃、木暮四兄弟の次男・福太と三男・学太は早朝ジョギング中の河原で、スポーツ店店主の遺体を発見。彼の手元には走る子豚たちが描かれた絵が落ちていた。一目見て、学太はそれが亡き母の手によるものだと気づく。「白雪姫」「三匹の子豚」「赤い靴」「ヘンゼルとグレーテル」「雪女」。相次いで見つかった五枚の絵は「見立て絵」で、何らかのメッセージが隠されているらしい。三姉妹と四兄弟は、それぞれの絵に仕組まれた謎に挑むことに!時に協力しながら、時に推理合戦を繰り広げながら。七人の探偵たちが解き明かす五つの謎が描き出す真実とは。巧妙すぎる伏線と、鮮やかな結末に驚嘆すること間違いなし。 

 

本書は内山三姉妹の「SISTER編」、木暮四兄弟の「BROTHER編」に続く、『ぎんなみ商店街』シリーズの3冊目の短編集です。「SISTER編」と「BROTHER編」は鏡の関係にあり、どちらも同じ事件を扱いながら、三姉妹と四兄弟の異なる視点によって、様相が変化する趣向が凝らされていました。この短編集でもひとつひとつの短編は独立した話になっている一方で、他の短編とも微妙に連動しています。例えば第三話の「赤い靴の誘拐犯」では三姉妹の長女・佐々美の視点によって木暮四兄弟の末っ子の良太の誘拐騒動が語られ、意表を突くオチで締められています。そして、第四話の「ヘンゼルとグレーテルの家出」で、今度は良太の視点から誘拐騒動の顚末が語られていきます。五編の短編はいずれも木暮四兄弟の亡き母親・怜の生前に描いた童話をモチーフにした絵も絡んでいて、その絵を手掛かりに謎を解く楽しみもあります。本書から読み始めても問題はありませんが、前の二冊をあらかじめ読んでおくと、ぎんなみ商店街の人間関係を把握できて読みやすくなると思います。

 

 

プロジェクト・ヘイル・メアリー 公式サイト

 

チラシより

未知の原因によって太陽エネルギーが奪われ、数十年後に地球は氷河期に突入する。原因解明に向けて宇宙に送り込まれたグレースは、科学の知識だけを武器に80億人の命をかけた人類最後の賭けに挑むが、この危機を救おうとする小さな相棒と出会い、共に愛する故郷を救うため宇宙の難題に挑む。手探りの共同作業は、やがて孤独を癒す友情となり、何よりも守りたい〈存在〉に変わる。そして2人が辿り着いた、1つの答えとは---。

 

製作:アメリカ

監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー

脚本:ドリュー・ゴダード

原作:アンディ・ウィアー

撮影:グレイグ・フレイザー

音楽:ダニエル・ベンバートン

出演:ライアン・ゴズリング ザンドラ・ヒュラー ライオネル・ボイス ケン・レオン

2026年3月20日公開

 

さすがに宇宙飛行士としてズブの素人の中学教師が、訓練を受けないまま、いきなり宇宙に旅立つ設定は如何なものかと思います。それでも、その点に目を瞑れば、宇宙空間の描写や宇宙船内のデザインには目を瞠るものが多く、いくつかツッコミどころがあるにせよ、異星人との交流物語として面白く観られました。

 

※若干ネタバレに触れていますのでご注意ください

 

グレースは衰弱を免れた恒星タウ・セチから、太陽エネルギーを吸収している「アストロファージ」のサンプルを採取して地球にデータを送る任務が与えられます。ただし、データを送れても、宇宙船は地球に帰還する方法がないため、片道切符を渡されて死を待つことを意味しています。

 

映画はタウ・セチまでの道程と並行して、グレースが宇宙船に乗りこむまでの過程が描かれます。彼がコールドスリープから目覚めた時は、記憶の一部が欠けた状態になっており、観客もグレースの視点から徐々に恒星に向かうまでの経緯が分かる作りになっています。

 

グレースはタウ・セチが間近に見える地点まで到達した際に、地球外生命体と遭遇します。彼は異星人をロッキーと名づけ、あらゆる手段でコミュニケーションを図り、徐々に親近感を抱いて行きます。このグレースとロッキーの相棒感が実にいいのですよ。

 

ロッキーもグレース同様、ひとりぼっちでタウ・セチだけが衰弱を免れた原因の探索を続けています。特にロッキーの場合は、睡眠中に仲間たちが死んだことから罪悪感を抱いていて、グレースに仲間意識を抱いた事によって、彼を死なせないよう手を尽くすことに説得力を持たせていました。

 

グレースとロッキーは何度も危機を乗り越えながら、サンプルを入手することに成功します。また、地球に帰還する難題も、ロッキーの提案によってほぼ解決されます。ところが、思わぬ事態が発生し、グレースは究極の選択を迫られることになります。

 

私がこの映画でグッとくるのは、ロッキーの提案も然ることながら、グレースが下した判断にあります。彼は科学教師としては優秀でも、元々小心な性格であり、実は使命感があって危険な任務に志願した訳ではありません。そんな凡人の部類に入る人物が、精一杯の勇気を振り絞って、自らが犠牲になってでも、相手を救おうとする姿が尊く美しいからこそ観客も胸を打たれます。

 

尤も、その後の展開によって、やけに後味の良い終わり方をするので、その時の感動も半減されてしまいましたが(笑)。ただし、ロッキーが人類より遥かに高い文明を持つ生命体であることと、グレースが地球に帰還することにあまり未練がないことを鑑みると、寧ろこの結末に納得してしまうでしょうね。

 

 

 

DVDあらすじより

ブルジョア令嬢の今日子(原英美)は、恋人で従兄の英之と湖畔のホテルを訪れていた。それは二人の愛の清算をするためだった。今日子は莫大な財産を持つ実業家との結婚を控えていた。だが、彼女の爛熟した体は、快楽を求めて疼いていた。母親にまつわる淫蕩な血の記憶が彼女をそうさせるのだろうか。今日子は、酒とドラックに浸り、美少年との情事に身を溺れさせた。ある日、湖畔の森で偶然会った大学生の和男を自宅に呼んだ。そして、彼に恋人・久子(田中真理)がいることを知っているにも関わらず、誘惑し交わった。今日子への興味を隠せないでいる和男。久子は嫉妬し、和男の気持ちを引き戻そうとするが・・・。

 

製作:日活

監督:山口清一郎

脚本:こうやまきよみ

撮影:安藤庄平(小柳深志)

出演:原英美 大泉隆二 三田村玄 南寿美子 田中真理

1972年1月19日公開

 

端的に言うと、結婚を控えたブルジョア令嬢が、従兄や若いカップルなどとの奔放な性生活を送りながら、母親から受け継いだ淫蕩な血によって破滅へと導かれる物語です。DVDのジャケットには田中真理が男に抱かれる写真が大きく映っていますが、本作の主役は原英美。田中真理はあくまで脇役で、彼女目当てに観ると、がっかりさせられるかもしれません。ただ、原英美の演じる今日子の言動にツッコミどころが多く、その意味では退屈することはありません。

 

まず、忘れ物を取りに来た和男を、裸でお出迎えするのに笑ってしまいます。二度目に和男が彼女の屋敷を訪れた際も、従兄の英之と電話で話しながら、自慰行為に耽っていましたよ(笑)。

 

また、今日子が久子のアルバイト先で彼女を挑発した際、久子が「自分は有閑マダムの気まぐれな遊びとは住む世界が違う」と正論を言い放ったのに対し、びんたを食らわした後、「小娘のくせして、自分だけが精一杯やっているような言い方はおよし」と反論します。全然説得力ないんですけど・・・。

 

更に、自宅での乱交場面では、敢えて嫌いな筈の久子を相手にします。久子は和男とはまだ体の関係までには到っていなく(どうやら処女のよう)、今日子は久子に対して、男の味を覚える前に女同士の快楽を味わわせて、意趣返しする意図があるのかと思ってしまいました。最初に貫通するのが道具なのは可哀想・・・。

 

今日子は英之を愛していながら、財界の大物との結婚の意思がありますが、必ずしも金目当てではありません。彼女は祖父と母親の禁断の関係の現場を目撃した過去があり、それがトラウマになっています。血の濃さの結びつきによる嫌悪感から、従兄の英之と添い遂げるのを避け、その反動として男漁りに繋がっているようにも映ります。

 

忌まわしい血の繋がりを断ち切るため、今日子、英之、母親の結末は、文脈からすれば自然な成り行きとも言えますが、唐突感は否めませんでした。

 

尚、この映画では近親相姦、少年売春、乱交パーティー、テレフォンセックス、薬物使用など、当時としては風紀上よろしくない描写が多く出てくるため、刑法第175条によって起訴され、表現の自由を争点にした「日活ロマンポルノ裁判」と呼ばれる裁判までに発展しました。結局、1980年に二審の東京高裁で無罪判決が下され、検察は上告を断念したようです。

 

また、ブログを始めた年にこの映画を記事で取り上げたところ、Amebaから記事を削除されたことがありました。15年前はAmebaがエロに関しては厳しく、ポルノ作品を記事にアップしても、すぐに削除されることが多かったです。その後、こちらもなるべく遠回しな言い方で表現に気をつけるようになったおかげなのか、はたまた管理者の審査基準が甘くなったのか、定かではありませんが、記事を丸ごと削除されることはなくなりました(画像はたまにあります)。15年後に記事にした今回は果たして?

マーティ・シュプリーム 世界をつかめ 公式サイト

 

チラシより

女たらしで嘘つきで自己中。だけど卓球の腕前だけはピカ一のマーティ。NYの靴屋で働きながら、世界チャンピオンになって人生一発逆転を目指す。そんな中、不倫相手のレイチェルが妊娠、卓球協会からは選手資格はく奪を言い渡される。万年金欠のマーティはありとあらゆる手を使って選手権への渡航費を稼ごうとするが----。

 

製作:アメリカ

監督:ジョシュ・サフデイ

脚本:ロナルド・ブロンスタイン ジョシュ・サフデイ

撮影:タリウス・コンジ

美術:ジャック・フィスク

音楽:ダニエル・ロパティン

出演:ティモシー・シャラメ グウィネス・パルトロウ オデッサ・アザイオン

             ケビン・オレアリー タイラー・オコンマ

2026年3月13日公開

 

ボンクラ、懲りないバカ、ダメンズのキャラクターが大好物なので、当然、ティモシー・シャラメの演じるマーティが、どんな愚行を繰り返すのかに注目していました。ただ、序盤はあまり期待したほどの活躍は見られず、ダチのタクシー運転手ウォーリーと一芝居打ち、卓球の賭けゲームで金を巻き上げる辺りから徐々にエンジンがかかり出します。

 

本作のマーティは口八丁手八丁で金持ちから金を引き出させ、試合に出場するための渡航費や宿泊費を工面しようとしており、映画では主にその事が中心に描かれています。

 

ボンクラ、懲りないバカ、ダメンズは、どこかヌケていたり、愛嬌があったり、憎めない部分があったりするからこそ、感情移入しやすくなります。この部分がないと、ただのクズになりがちで、マーティは若干クズ寄りに振れています。その代わり、金持ち連中も下衆な輩ばかりのため、主人公のクズの部分が中和されてもいます。

 

卓球経験者からすると、当時の卓球に関する諸々が興味深かったです。私が中学、高校で部活をしていた頃は、ペンホルダーが主流で、シェイクハンドはどちらかと言えば少数派でした。ただし、現在は逆転していて、当時も世界ではシェイクハンドが主流だったのが確認できました。

 

また、マーティのライバルとなるエンドウのラケットには、ラバーが張られていないように見え、かなり珍しいタイプの選手だったように思います。板のままだとスピンかけられないのだけど、映画ではカットやドライブをかけていましたね(笑)。卓球のシーンはVFXの合成だったとしても、選手を演じる俳優のフォームがサマになっていたため、結構競技者としての説得力を持っていました。

 

また、エンドウが渡航制限を解かれて国際試合に出場できた件は、当時の日本の立場に気づかされます。戦争しないに越したことはないのですがが、戦争に負けて主権が失われるのはこういうことだよなと改めて痛感しました。その一方で、マーティとエンドウの日本でのエキシビジョンゲームの様子は、戦後のプロレスで力道山(在日朝鮮人だったけど)が白人レスラーを叩きのめして溜飲を下げる日本人の姿を思い起こさせもしました。

 

更に、米国企業のスポンサーを怒らせたマーティが、米軍の輸送機で帰国せざるを得ない経緯も、如何にも米国らしいと思わせ、主権が回復した当時の日本人の視点で見ると、色々と感慨深くなる映画でした。

 

ティアーズ・フォー・フィアーズに始まり

ティアーズ・フォー・フィアーズで終わりましたね。

 

 

 

 

DVDあらすじより

パリに住むアメリカ人の夫婦ジルとフィリップ。妻のジルはこのところ精神的に不安定な状態にあり、一方の夫フィリップは、もとは優秀な科学者であったが、いまは作家として細々と収入を得ていた。ある日、彼らの息子と娘が何者かによって誘拐されてしまう。これをきっかけに、やがて明らかになってゆくフィリップの秘密。ミステリアスに紡がれてゆく、誘拐劇の裏側にある真実。美しく切り取られたパリの街に、小さな幸福が揺らめく----。

 

製作:フランス イタリア

監督:ルネ・クレマン

脚色:ダニエル・ブーランジェ ルネ・クレマン

脚本:シドニー・バックマン エレノア・ペリー

原作:アーサー・カヴァノー

撮影:アンドレアス・ヴァインディング

美術:ジャン・アンドレ

音楽:ジルベール・ベコー

出演:フェイ・ダナウェイ フランク・ランジェラ バーバラ・パーキンス モーリス・ロネ

             カレン・ブランゲルノン レイモン・ジェローム ミシェル・ルーリー

             パトリック・ヴァンサン ジェラール・バール

1971年12月11日公開

 

一応、ルネ・クレマンの手掛けたミステリーですから、「太陽がいっぱい」とまでは行かなくても、「雨の訪問者」くらいの面白さがあることを期待しました。

 

映画の冒頭、ジルベール・ベコー作曲のテーマ曲が流れる中、白い霧靄に包まれたセーヌ河を一艘のハシケが滑るように河を行き、船着き場へ辿り着くまでの情景描写が素晴らしく、さすが巨匠の仕事は違うと唸らされました。また、子供二人が消えてしまう前後の描写が巧みで、ジルにあらぬ疑いがかけられるのも納得してしまいます。

 

アメリカ人のフィリップ(フランク・ランジェラ)とジル(フェイ・ダナウェイ)夫妻は2年前にパリに移住したものの、フィリップは仕事に没頭しているため、夫婦の間にすれ違いが起きています。フィリップには何やら秘密があるらしく、ジルも記憶障害を抱え精神科医に通っています。

 

ルネ・クレマンは夫妻が問題を抱えていることを前提に話を進めながら、観る者には断片的な情報しか与えない事によってサスペンスを高めています。ただし、情報を小出しにすることが、観る者に余計な憶測を呼ぶ弊害も表れています。

 

例えば、長女のキャシーは父親に懐いてばかりいる一方、ジルは長男のパトリックだけに愛情を注いでいるように映ります。特に子供二人が居なくなった際、ジルがパトリックの名前だけ呼んで探すので、4歳のパトリックは夫婦間にできた子供で、8歳のキャシーはフィリップの連れ子かと想像してしまいます。これが誘拐と関連づければまだしも、本作に限って言えば全く関係ありませんでした。

 

また、誘拐された時点で、既に誘拐目的がほぼ予測できてしまうのも、イマイチ、サスペンスに欠ける原因になっています。せっかく、ジルに記憶障害というエサを撒いているのですから、それを利用して観る者が彼女に不審感を与えるような方向に持って行って欲しかったですね。「バニーレイクは行方不明」という格好の先例もあるのですから。

 

尤も、誘拐目的が少々荒唐無稽で、話の底の浅さがこの映画の最大の弱点とも言えます。脚本に携わる者が4人も居たことから、船頭多くして船山に上ると言いたいところですが、ルネ・クレマンも一翼を担っているので責任は逃れられません。また、誘拐した黒幕の結末を見せず、ジャンプカットして一家の様子を映して終わる点も感心しませんでした。

 

それでも、只でさえきつい顔立ちのフェイ・ダナウェイはあまりそそられる女優でないにも関わらず、この映画では儚げな印象の人妻役を演じたことによって、初めて彼女に色気を感じました。この点においては、一番の収穫だったかもしれません。

 

DVDあらすじより

通称一番星こと桃次郎、やもめのジョナサンこと金造の韋駄天トラックコンビが、ニッポン列島ところ狭しと突っ走る。ある日、ねぶた祭真っ最中の青森に向かった二人。ひょんな事情で、金造は自ら暴走して重傷を負い、桃次郎は惚れたマドンナの婚約者を追い、彼女を乗せて不可能に近い道程を3時間でぶっ飛ばすハメになる・・・。

 

製作:東映

監督:鈴木則文

脚本:鈴木則文 澤井信一郎

撮影:仲沢半次郎

美術:桑名忠之

音楽:木下忠司

出演:菅原文太 夏純子 中島ゆたか 湯原昌幸 夏夕介 春川ますみ 佐藤允 愛川欽也

1975年8月30日公開

 

『トラック野郎』の記念すべき1作目。元々このシリーズはフジテレビで放映されていたアメリカのテレビドラマ「ルート66」で吹替をしていた愛川欽也が、菅原文太と知り合った時に、二人で「ルート66」のようなロードムービーをやりたいと考えたのがきっかけになっています。その後、NHKのドキュメンタリー番組でデコレーショントラックが取り上げられたのを見た愛川が、菅原文太に相談を持ちかけ、企画を東映に持ち込んだ経緯がありました。

 

マドンナに対する桃次郎の猫かぶり、ウンコネタ、最後はトラックを爆走させてギリギリの時間内で物や人を運ぶなど、この1作目からほぼ映画のフォーマットは固まっています。本作では中島ゆたかと夏純子が出演していて、どちらもお気に入りの女優なので個人的には嬉しかったですね。また、桃次郎が意中の女性にハマナス(実はカーネーション)を贈ろうとして、湯原昌幸が勘違いをして渡す相手を間違えるのも、二人とも美形だからこそ成立します。

 

この1作目は“勘違い”が重要な鍵になっていて、花束を受け取った夏純子が桃次郎の求愛の印と誤解するのを始め、桃次郎がモーテルに入っていく中島ゆたかと佐藤允を目にして、二人がデキていると思い込んだ末に中島を娼婦呼ばわりなど、ボタンの掛け違いから起きる物語の面白さを見せています。特に湯原は誤解を生じさせる火種になっていて、疫病神のような存在が映画を活性化させていました。

 

また旬の人気者をいち早く起用するのも、東映ならではのお家芸で、ここではダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドが白いツナギを着て、ガソリンスタンドの従業員役を演じていました。今や演技派のイメージのある宇崎竜童も、当時はサングラスをかけたトッポイあんちゃん役が初々しかったです。

 

このシリーズは笑いが絶えることなく進行する一方で、時折グッとくる描写が挟み込まれ、10作も続く原動力となっていました。鈴木則文の叙情演出は山下耕作ほどスマートではなく、どちらかと言うと野暮ったいのですが、このシリーズに限ってはその野暮ったさが合っていたように思います。

スペシャルズ 公式サイト

 

チラシより

過去に「ダンス経験がある!?・・・」という理由で集められた、伝説の殺し屋・ダイヤら〈孤高のプロの殺し屋たち〉。裏社会のトップ・本条会のクセ者親分が必ず訪れるダンス大会での暗殺をもくろみ、チームを組んで大会の出場を目指すことになるが、実はまるでド素人で仕方なくダンス教室に通い始めるも、ことごとく問題を起こして破門される。そこにダイヤの勤める児童養護施設のダンス少女・明香が救いの手を差し伸べ、最初は歪みあっていた殺し屋たちも次第にダンスの魅力に目覚め、いつしか〈スペシャルな5人〉のチームへと。ダンスも成長を遂げ、本気でダンス大会への情熱を燃やし、あとは暗殺ミッションに挑むだけであったが・・・。

 

製作:『スペシャルズ』フィルムパートナーズ

監督・原案:内田英治

脚本:内田英治 池亀三太

撮影:YOHEI TATEISHI

美術:佐藤英樹

音楽:小林洋平

出演:佐久間大介 椎名桔平 中本悠太 青柳翔 小沢仁志 羽楽

   前田亜季 平川結月 矢島健一 六平直政 石橋蓮司

2026年3月6日公開

 

内田英治監督の映画は「ミッドナイト・スワン」「ナイトフラワー」とシリアスな内容の作品を観てきており、今回は殺しとダンスの異質の組合せを、コメディタッチでどのように料理するのかに興味が湧きました。

 

椎名桔平の所属する組は、敵対する組の親分が影武者を立てている上に、滅多に外出しないため殺す機会に恵まれません。それでも敵の親分が溺愛する孫娘がダンスコンテストに出場する時だけは、晴れ舞台を見に行くことから、殺し屋同士がチームを組んで出場し、舞台から標的を殺そうとします。この発想自体、バカっぽくて好き(笑)。

 

ただし、衆人環視の前で撃ち合いになれば、暴対法を盾に警察が双方の組を潰そうとしかねず、その程度の踊りで本選に出場できるの?とか、色々とツッコミどころは多いです。まぁ、細かい点を気にしなければ、観客目線に立った娯楽作なのでそこは大目に見てもよろしいかと。

 

個人的にはスペシャルズの面々のダンスのバックに流れるのが、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」、泰葉「フライデイ・チャイナタウン」、TOM☆CAT「ふられ気分でRock’n Roll」といった80年代歌謡曲で、リアルタイムで聴いてきた世代にはツボでした。

 

また、ダンス中の動きがぎこちなかった椎名桔平も、そうした楽曲をバックに踊れば、ダンスと言うより歌の振り付けの感覚でノリノリになるのは分かるわぁ~。最後まで80年代の歌謡曲に拘ってくれれば、拍手喝采したいところでしたが、最後に小室哲哉(TRFかな?)に靡いてしまったのは残念。

 

また、予定外の人物が客席に来たことによって、チーム内で暗殺を実行する側と阻止する側に分かれたところまでは良かったものの、その攻防がダンスの中で巧く活かしきれなかったのが惜しまれます。尤も、かなり難易度の高いアクションが要求されるので致し方ないかもしれませんね。

 

映画にうるさいシネフィルからは馬鹿にされそうな映画ですが、殺し屋の面々の中でも強面の小沢仁志が、仲間のために自ら犠牲になろうとする姿は胸を熱くさせますし、内田英治の別の面も観ることができて、少々の疵はあっても十分楽しめました。

分水  隠蔽捜査11 今野敏

 

新潮社サイトより

鎌倉署管内にて、不審火が発生。燃えたのは女性スキャンダルで週刊誌に追われている大物政治家宅だった。竜崎のライバル・八島と所轄による権力者への忖度が通常捜査を妨げる中、殺人事件へと発展し……。社会派ユーチューバーが絡む難事件に、竜崎が挑む!

 

『隠避捜査』シリーズは短編集を含めると、いつの間にか14冊になっており、『水戸黄門』同様に予定調和の世界が心地良くなってきました。黄門様の印籠に当たるのが、『隠蔽捜査』では竜崎の原理原則を貫くブレのない姿勢であり、政治的な思惑が働いても揺らぐことはありません。したがって、最早このシリーズには物語の面白さを求めてはおらず、竜崎とその仲間たちのイチャイチャぶりを楽しむようになりました。毎回事件とは別に竜崎家に纏わるトラブルが発生するのですが、これも回を重ねるごとにユルくなっています。1作目では竜崎の息子がヤクに手を出し、家庭内の問題のみに留まらず、キャリアの破滅に結びつきかねない切実な事態でした。それに比べると、今回は娘が実家を出て一人暮らしをするかどうか程度に萎んでいます。かつて開高健は鼎談集「書斎のポトフ」の中で、作家は捕物帳を書きたがる理由として「江戸時代の温室の中に入ってその中で有識故実をちょっと調べ、ものの言い方をちょっと変え、いくらかのトリックを考えて、風俗小説を書いていれば安定したものが書ける」と述べていました。同じように警察小説も一旦警察組織の仕組みを把握すれば、狭い世界の中でヌクヌクと浸っていられる居心地の良さがあるのかもしれませんね。

 

今日未明 辻堂ゆめ

 

徳間書店サイトより

■自宅で血を流した男性死亡 別居の息子を逮捕 ■マンション女児転落死 母親の交際相手を緊急逮捕 ■乳児遺体を公園の花壇に遺棄 23歳の母親を逮捕 ■男子中学生がはねられ死亡 運転の75歳女性を逮捕 ■高齢夫婦が熱中症で死亡か エアコンつけず 新聞の片隅にしか載らない、小さな5つの事件。その裏には、報道されない真相がある――。大藪賞作家が描く慟哭の犯罪ドラマ。

 

本書は5編の短編が収録されており、いずれも無味乾燥な新聞記事では窺い知れぬ事実が内幕として描かれています。新聞記事では加害者としか思えない人物が、実は被害者であったというパターンが5編のうち2編あります。高齢者の夫婦が死亡した件は、過去の出来事と照らし合わせると痛ましさばかりが残ります。一方、中年の引き籠り男には、どんだけ父親に甘やかされているんだよと苦笑しつつ、新たな一歩を踏み出そうとした矢先に、思わぬ事実を突きつけられる点は些か気の毒な気がしないでもありません。5編中一番興味が湧いたのは、意識高い系の事実婚の男女を描いた「ジャングルジムとチューリップ」。結婚制度や憲法の解釈には、個人のそれぞれの価値観の違いに基づくものですから、それは別に構わないとしても、とにかくエリート意識剥き出しの見下し感に鼻白みましたよ。したがって、戸籍制度の破壊に繋がりかねない危うさのある選択的夫婦別姓の法制化を求める女性が、パートナーの除籍謄本を取り寄せたことによって破滅に導かれる流れは、何とも皮肉が利いていて溜飲が下がりました(笑)。意地の悪い人間模様、結末の後味の悪さなど、湊かなえから“イヤミスの女王”の称号を受け継ぐのは真梨幸子ではなく、辻堂ゆめのような気がしてきました。

 

目には目を 新川帆立

 

KADOKAWAサイトより

重大な罪を犯して少年院で出会った六人。彼らは更生して社会に戻り、二度と会うことはないはずだった。だが、少年Bが密告をしたことで、娘を殺された遺族が少年Aの居場所を見つけ、殺害に至る――。人懐っこくて少年院での日々を「楽しかった」と語る元少年、幼馴染に「根は優しい」と言われる大男、高IQゆえに生きづらいと語るシステムエンジニア、猟奇殺人犯として日常をアップする動画配信者、高級車を乗り回す元オオカミ少年、少年院で一度も言葉を発しなかった青年。かつての少年六人のうち、誰が被害者で、誰が密告者なのか?

 

新川帆立の作品は、綾瀬はるか主演のドラマ「元彼の遺言状」がCSで一挙放送された際に、イッキ見したくらいしか縁がありませんでした。今回読もうという気になったのは、少年法で護られた元少年を密告したのは誰か?という設定に興味を覚えたのと、著者が贖罪と更生というテーマをどのように料理するのかに関心を抱いたからでした。殺害された被害者の元少年Aは早い段階で誰であったのかが示され、加害者の女性が元少年Aに殺された娘の母親であることから、動機が復讐であることも判明します。ただし、元少年Aの居場所の情報を提供した人物が分からないため、ルポライターの仮谷苑子が密告した人物を調べるという話の流れになります。仮谷にはある思惑があり、彼女の正体が明らかになると、勘の鋭い読者ならばおそらく密告者もピーンとくると思います。個人的には更生を目的とした少年院の日常生活の描写に目が行きました。何しろ、こちらは東陽一の「サード」で少年院の知識が止まっているので、個室を与えられていることを始め、院内で数々の行事があることや教官の対応等などで、時代の変遷が感じられました。また、元少年たちが重罪を犯しながら、退院後も当事者意識に欠けることに、更生を目指す法制度の限界も垣間見えます。その一方で、密告者と密告の意図が明らかにされると、罪を償うことの痛ましさに胸が締め付けられると同時に、微かな希望も感じられます。気の滅入る物語ですが、元少年のうちの一人が、更生することによって復讐の連鎖を断ち切ろうと示す姿勢に光明が見出せるかもしれません。

 

チラシより

製紙会社で25年間、堅実に仕事をしてきたマンスは、心からそう思い、妻と2人の子供、2匹の犬と郊外の大きな家で“理想的”な人生を送っていた。突然、会社から解雇されるまでは。必死に築いてきた人生が、一瞬のうちに崩壊!?好調の製紙会社への就活も失敗したマンスが閃いたのは、衝撃のアイデアだった。それは・・・「ライバルがいなくなれば、仕事は手に入る」

 

製作:韓国

監督:パク・チャヌク

脚本:イ・ギョンミ ドン・マッケラー イ・ジャヘ パク・チャヌク

原作:ドナルド・E・ウェストレイク

撮影:キム・ウヒョン

美術:リュ・ソンヒ

音楽:チョ・ヨンウク

出演:イ・ビョンホン ソン・イェジン パク・ヒスン イ・ソンミン

              ヨム・ヘラン チャ・スンウォン ユ・ヨンソク

2026年3月6日公開

 

失業した妻子持ちが再就職のために、ライバルを次々と殺していくアイデアは面白かったですが、中味は私の想像していたものとは違っていました。また、設定に特色のある物語は、できるだけシンプルに語ったほうが効果的なのに、この映画では必要以上に家族の描写に重きを置くなど色々詰め込み過ぎたために、ライバルたちを排除する件が薄まったきらいがあります。

 

本来、ブラックユーモアを含む犯罪映画は、2時間内に収めて欲しいのですが・・・。主人公にとって邪魔になるライバルを特定する方法も結構杜撰。ただし、元々荒唐無稽な話なので、そこは目を瞑っても問題ないでしょう。

 

それでも、最初に始末しようとする人物の女房の浮気現場を目撃した後のマンスの行動が解せませんでした。ライバルが自宅に戻って来たのを察知し、自宅に入れないように電話で阻止しようとするからです。女房の浮気相手は背中にモンモンを背負っているやくざ風の男で、亭主と鉢合わせすればトラブルになるのは必至。あわよくば、やくざが殺してくれるかもしれません。仮に何も起きなかったとしても、マンスに不都合はなく、逆にライバルに連絡することで不審を抱かせる危険性も出てきます。ここは様子見が妥当でしょ。

 

また、サスペンスに関しても、妻や長男から疑いの目を向けられることはあっても、警察の追求が甘いので思ったほど観るほうはスリルを感じません。尤も、警察が無能という描写は韓国映画の鉄板でありますし、逆にマンスが次の標的にされると心配される様は皮肉が利いていると言えなくもありません。

 

同じドナルド・E・ウェストレイク原作でも、ロバート・レッドフォード主演の「ホットロック」は、盗みの失敗の連続が物語の面白さに繋がっていたのに対し、こちらはイケメンが無様な醜態を曝すのを楽しむだけに留まっています。原作にあたる「斧」は未読、コスタ・ガヴラスが原作を最初に映画化した作品は未見ですが、ミステリーとしては少々難のある映画でしたね。

ラピュタ阿佐ヶ谷

血湧き肉躍る任侠映画 其の弐 より

 

製作:東映

監督:山下耕作

脚本:鳥居元宏 志村正浩

撮影:鈴木重平

美術:富田治郎

音楽:渡辺岳夫

出演:鶴田浩二 藤純子 待田京介 北林早苗 天津敏 水島道太郎 若山富三郎

1970年4月18日公開

 

明治の中期、九州小倉。舟木栄次郎(鶴田浩二)は渡世の義理から、篠崎一家の親分の顔に傷をつけました。この出入りは本来、熊谷剛平(天津敏)、清水新吉(待田京介)、山形市造(水島道太郎)、石田仁助(北村英三)ら5人の旅人の仕事でした。しかし、新吉は仁助の配慮で仲間から外され、熊谷は途中で臆病風に吹かれ逃亡しました。三人で殴り込みをした結果、市造は深手を負い、仁助は死ぬ間際に昔の女きくに渡すよう500円の金を栄次郎に託しました。

 

栄次郎は、間もなく既にきくが死亡していること、娘のとみ(北林早苗)が東京へ移って行方不明であることを突き止めると、自身も深川の木場政一家へ草鞋を脱いでとみを探し始めます。折しも、深川では辺り一帯を仕切る岩佐一家が賭場の客引きをめぐって事あるごとに、木場政と対立していました。その背後には、金万一家の二代目にのし上った熊谷が弟分の岩佐(須賀不二男)を使って糸を引いていました。

 

熊谷は小倉の殴り込みの際、逃亡した渡世上の恥を、市造を助けたことで汚名を全て彼にかぶせて、自ら箔を売って二代目に収まっていたのです。そして、市造を一家に飼い殺しにした上で、関東博徒会の大御所菊地駒之助(北龍二)から親子の盃を受けようと画策していました。栄次郎はとみの消息を訪ね歩くうち、酒に荒んだ市造の姿を目にして痛ましい想いを抱きます。その一方で市造の妹で深川芸者の小秀(藤純子)に惹かれるものを感じました。

 

やがて、熊谷と菊地との仮盃には木場政が取持人を務めることが決まります。栄次郎は恩人の木場政の顔に泥を塗られるのが忍び難く、熊谷に辞退を迫りますが拒否されます。その後、栄次郎はとみが材木商総州屋に嫁ぎ、亭主が岩佐のイカサマの罠に嵌り、無理矢理、借金の証文を書かされたことを知ります。栄次郎は岩佐と博奕でサシの勝負をつけようとしますが、岩佐は代人を立てます。その代人は栄次郎の弟分にと哀願した新吉でした・・・。

 

『博奕打ち』シリーズにはハズレがありません。監督や脚本家が変わっても一定の水準が保たれているシリーズは非常に珍しいと言えます。シリーズは回を重ねるごとにマンネリ化に陥りやすいにも関わらず、常に創意工夫を怠らない点が『博奕打ち』にハズレがない一番の要因と思われます。

 

跡目相続を巡る内紛を描いた「総長賭博」を始め、“いかさま”に特化した「いかさま博奕」、メロドラマと見紛う「いのち札」、男が男に惚れるという比喩でなく同性愛かと思わせる「外伝」等々、一作ごとに趣向を変えた語り口が光ります。

 

今回の「流れ者」は渡世人の矜持が強調されていました。例えば、草鞋を脱いだ先での食事の作法などは、市川雷蔵主演の「ひとり狼」を自然と連想させます。食事が終わった後、残った魚を紙に包み懐に仕舞う一連の所作は、正に客人としての振る舞いを体現していました。

 

また、落ちぶれた市造が事情を知らぬ新吉から臆病者と嘲られても、熊谷への恩義から真実を告げずに胸の内に仕舞う点も、一宿一飯の恩義を重んじる渡世人としての自負が窺えます。

 

一方、栄次郎や市造とは逆の道を行くのが熊谷。出入り寸前になって逃げだしたばかりでなく、市造の手柄を横取りし、果ては卑怯者の烙印まで押し付ける有様。更に、木場政一家に草鞋を脱いだ栄次郎に対し、昔の悪事を暴かれないよう、その筋の大御所からの盃を受ける際の取持人に木場政を指名して、栄次郎が木場政に恥を掻かせぬように動きを封じるなど、なかなかの策士ぶりを発揮します。本来この手の役は内田朝雄が得意とするところですが、内田を敢えて善人役の木場政に起用した点も面白い配役でした。

 

今回の若山富三郎も、終盤になって漸く登場し、しかも美味しいところを攫っていきます。栄次郎とは同じ渡世人として互いを認め合い、二人で殴りこみに行く道行の場面でも、草鞋を脱いだ木場政への一宿一飯の恩義からではなく、栄次郎の人柄に惚れたからと伝えるのが実にニクい。実生活ではソリの合わなかった二人ですが、芝居では微塵も感じさせないのが役者魂と言ったところでしょうか。

 

鶴田浩二は任侠映画において、一貫して筋を通す渡世人を演じてきており、本作でも相手を気遣いつつ、それでも正しいと思ったことは決して曲げようとしない信念のあるキャラクターに痺れました。