パンクフロイドのブログ

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DVDあらすじより

南フランスの海辺の小さな町。小糠雨がそぼ降る日、見慣れぬ男が町に降り立った。その夜、男は夫の帰りを待つ女メリーを襲った。訳も分からぬまま、いったんは打ちのめされたメリーだったが、隙を見て地下室にいた男をショットガンで射ち殺し、死体を海に捨てた。その翌日、ドブスと名乗るアメリカ人がメリーの前に現れ、訊いた。「なぜあの男を殺したのか?」と・・・。

 

製作:フランス イタリア

監督:ルネ・クレマン

脚本:セバスチャン・ジャプリゾ

撮影:アンドレアス・ヴァインディング

美術:ピエール・ギュフロワ

音楽:フランシス・レイ

出演:チャールズ・ブロンソン マルレーヌ・ジョベール ガブリエーレ・ティンティ

             ジル・アイアランド コリンヌ・マルシャン アニー・コルディ ジャン・ギャヴァン

1970年4月18日公開

 

この映画を観たのは遥か昔の高校生の頃で、おまけにテレビ放映の吹替版でした。あまり内容は憶えてはいなく、メリーがレイプされる前に謎の男から腹にグーパンチを食らうのだけは妙に憶えていました。DVDの字幕版で観るとヒロインのマルレーヌ・ジョベールの声が意外と可愛らしく、幼い感じだったのも意外でした。

 

ルネ・クレマンは「太陽がいっぱい」に代表されるように、サスペンスの演出に定評があり、この作品でもチャールズ・ブロンソン演じるドブスの正体と目的を明かさないことが功を奏して、ヒロインだけでなく観る者にも不安と恐怖を与えています。その一方で、ヒロインの正式名メランコリーに引っ掛けた“陰鬱”なムード作りが巧みで、フランシス・レイの印象的な音楽が不透明さに拍車をかけていました。

 

脚本もセバスチャン・ジャプリゾが手掛けているだけあって、“思い違い”が鍵となってヒロインが翻弄されるミステリーになっている辺りに、彼の特色が出ています。セバスチャン・ジャプリゾは以前にも「さらば友よ」でチャールズ・ブロンソンと組んだことで、彼の魅力を熟知しており、この映画でもその延長線上にある得体の知れぬ男のキャラクターを演じさせています。

 

余談になりますが、普段ブロンソンと佐藤允を重ね合わせたことがないにも関わらず、何故か本作では二人をなぞらえさせたくたくなりました。また、ブロンソン関連で言えば、フランスを舞台にした映画なのに、ここでもジル・アイアランドと夫婦共演をしていましたよ。ただし、劇中ではマルレーヌ・ジョベールとブロンソンがキスしているのを目撃して、その場を立ち去るという演出になっていたのが笑えました。

 

製作:アメリカ

監督:トニー・スコット

脚本:マイケル・フロスト・ベックナー デヴィッド・アラタ

撮影:ダン・ミンデル

美術:ノリス・スペンサー

音楽:ハリー・グレッグソン・ウィリアムス

出演:ロバート・レッドフォード ブラッド・ピット キャサリン・マコーマック

2001年12月15日公開

 

1991年、中国の蘇州刑務所でコレラ感染が発生します。アメリカ人1名と中国人2名の予防接種チームがやってきますが、彼らはCIA工作官のトム・ビショップ(ブラッド・ピット)と中国人協力者でした。ビショップは施設を停電させた上で、牢獄から何者かを救出して脱獄を試みますが、刑務所所長に見破られ逮捕されてしまいます。

 

一方、バージニア州ラングレーでは、CIA工作官のネイサン・ミュアー(ロバート・レッドフォード)が最後の出勤を迎えていました。ところが、ミュアーはCIA香港支局長のハリー・ダンカン(デヴィッド・ヘミングス)から、ビショップがスパイ容疑で中国当局に逮捕されたという報せを受けます。

 

ビショップはかつてミュアーが海兵隊から引き抜き、一からスパイに育て上げた弟子であったことから、フォルジャー工作担当次官(ラリー・ブリックマン)と、彼の部下ハーカー(ステファン・ディラーヌ)から、ビショップについての情報提供を求められます。

 

本来ビショップはダンカンが指揮をとっていた米中通商会談の盗聴作戦に従事するはずでしたが、ビショップが無許可で持ち場を離れたため、フォルジャーたちはその理由を調査していました。ミュアーはビショップの処遇を案じ、彼に関する機密資料を秘書に預けた後、自分は何も知らなかった体を装って調査会に出席します。

 

そこでミュアーは、ホワイトハウスの意向で、ビショップを見殺しにしようとしていること、中国側が24時間後に彼を処刑しようとしていることに気づきます・・・。

 

映画はビショップが中国の刑務所から誰を救い出そうとしたのかは謎として残したまま、話が進んでいきます。中国当局に囚われの身となったビショップを、退官間近のミュアーが味方を欺きつつ、かつての弟子を救出しようとすることが話の軸になっています。

 

まともなスパイ防止法のない日本ならばいざ知らず、アメリカと中国ならばスパイ同士の捕虜の交換は日常茶飯事で助け出すことも十分可能。ところが、ホワイトハウスは中国との自由貿易交渉にあたり、親密さを演出したい意向があり、ビショップを見殺しにしかねない状況にあります。

 

ミュアーはCIA内部に居ながら一部の情報しか知らされていないため、如何に味方から情報を引き出し、CIA幹部の裏を搔きながら、たった一人でビショップを如何に救い出すかが見どころとなってきます。

 

映画は現在進行形の物語と同時に、ミュアーがビショップにスパイの作法を指南しつつ、作戦を遂行した過去も並行して描かれており、レッドフォードとブラピによる二大スターの共演作に相応しい構成になっています。

 

スパイ映画と言っても、かなり荒唐無稽な描写も散見され、地道で緻密な作戦を好むファンからはそっぽを向かれるかもしれませんが、娯楽作としては十分楽しめました。

 

この記事で取り上げた「地雷グリコ」は1年前、「罪の轍」は3年前に読んでいます。その際、記事にするのを逸したためお蔵入りしていましたが、どちらも内容が充実しているだけに埋もれさせたままにしておくのは忍びなく、今になって記事にしました。

 

地雷グリコ 青崎有吾

 

KADOKAWAサイトより

射守矢真兎(いもりや・まと)。女子高生。勝負事に、やたらと強い。平穏を望む彼女が日常の中で巻き込まれる、風変わりなゲームの数々。罠の位置を読み合いながら階段を上ったり(「地雷グリコ」)、百人一首の絵札を用いた神経衰弱に挑んだり(「坊主衰弱」)。次々と強者を打ち破る真兎の、勝負の先に待ち受けるものとは――ミステリー界の旗手が仕掛ける本格頭脳バトル小説、全5篇。

 

本書は各誌のミステリーランキングで高い評価を得ており、ゲームを題材としながら、何故これほど評価されるのか不思議で試しに読んでみました。実際に読んでみると、血生臭い事件こそ起きないものの、伏線の回収は勿論のこと、真兎の対戦相手がどんなに緻密な計画を立てて勝負をしても、ほんのちょっとしたことからガラガラと音を立てて崩れていく様は、完全犯罪を目論んだ人物が思わぬところから足を掬われるのを見せられるようで、倒叙ミステリーの醍醐味も味わえます。

 

真兎はチャランポランな女子高生を装い相手を油断させつつ、その実、鋭い観察眼で相手の狙いを見抜き、最後にギャフンと言わせる流れは「刑事コロンボ」を思わせます。またイカサマに対しても、それを逆手に取って自分に有利に導くしたたかさがあり、不利な状況に追い込まれても、ルールの盲点を突いて勝利を呼び込む展開は、コンゲームものの爽快さがあります。誰もが知っているような“遊び”にひと手間加えることによって、運を天に任せる要素を失くし、戦略を立てて知力を尽くしたゲームに変貌させた点が画期的なことであり、ゲームでここまで本格ミステリーの面白さが味わえることに感嘆させられました。

 

表題作の「地雷グリコ」は地雷の位置をどう隠すではなく、相手の出す手をどのように操るかの読み合いのゲームが肝になっています。真兎は椚の性格を読み、あらかじめ“魔法の言葉”を仕込む万全の備えが心憎いです。

 

「坊主衰弱」は店主のイカサマを利用して、相手をへこませるのが実に痛快。マスターの手札の並べ方とカウンター越しの店主と真兎の位置で、マスターの意図に気づく鋭い観察眼も然ることながら、真兎の仕掛けた罠には「お主もなかなかのワルよのぉ」と言いたくなるほどあくどかったですわ(笑)。

 

「自由津ジャンケン」は狐と狸の化かし合いのような一編。勝負がついた後に明かされる佐分利の“特殊効果”は呆気にとられるほど斜め上を行っており、凡人では思いつかないもの。対して真兎は到って誰でも考えつきそうな効果。しかし、彼女は佐分利を錯覚させるために用意周到な伏線を張っており、相手に気取られぬと同時に、審判役の椚に自分の意図が伝わったかどうか確認するのも抜け目がなく舌を巻いてしまいました。

 

「だるまさんがかぞえた」は思わず「その手があったか!」と膝を叩きたくなるほど快心の一編。ただ、一応伏線は張ってあるものの、文字だけでは勝負の場である公園に“盲点”があることは掴みにくく、この点は映像のほうが効果的で納得しやすいでしょう。ここでもゲームが始まる前に真兎による駆け引きが行われており、対戦相手の巣藤がさっさとゲームを終わらせたい事情に乗じて、自分の思うような方向に導いています。プレイヤーの巣藤自身が考案したゲームだっただけに、受けたダメージは計り知れないほど大きいかも(笑)。

 

「フォールーム・ポーカー」は、クラブ、ハート、ダイヤ、スペードのスートごとに部屋が分けられているため、運を天に任せるのでなく、確実性を重んじるのならば、フラッシュ狙いで並べるのが常道。しかも、卓上のカードの並べ方には法則性があり、その法則を見破りQ・K・Aを揃えれば、一番高いロイヤル・ストレート・フラッシュとなり得ます。こうした正統な戦いとは別に、真兎はルールの盲点を突いた勝ち方を考えており、絵空もそのことを見越した上で不測の事態を引き起こして、真兎を揺さぶろうとします。同時に、二人の性格の違いも露わになり、殊に絵空の冷徹さが際立ちます。彼女は中学時代にも法は犯していませんが、倫理的にどうよ?という逸話もあり、真兎が絵空と勝負することで、過去に落とし前をつけようとする動機になっています。しかも、自分のためでなく、親友の鉱田ちゃんのためであることが実に尊い。加えて彼女の粋な計らいも後味が良く、読後感を爽やかなものにしていました。

 

罪の轍 奥田英朗

 

新潮社サイトより

昭和三十八年十月、東京浅草で男児誘拐事件が発生。日本は震撼した。警視庁捜査一課の若手刑事、落合昌夫は、近隣に現れた北国訛りの青年が気になって仕方なかった。一刻も早い解決を目指す警察はやがて致命的な失態を演じる。憔悴する父母。公開された肉声。鉄道に残された“鍵”。凍りつくような孤独と逮捕にかける熱情が青い火花を散らす――。ミステリー史にその名を刻む、犯罪・捜査小説。

 

本書は最初の東京オリンピックが開催される前年の高度経済成長期の1963年が舞台になっています。この年には黒澤明監督の「天国と地獄」が公開され、映画の影響を受けた誘拐事件が多発していました。吉展ちゃん誘拐殺人事件もその中のひとつで、この小説では実際に起きた事件をモデルにしながら、当時の世相を反映しつつ、社会問題にも鋭く切り込んでいます。

 

また、取材のためならば何をしても許されると思っているメディアの思い上がった態度、人権派と称しながら偏ったイデオロギーを振りかざし権力を攻撃したいだけの弁護士、被害者宅にいたずら電話をかけてくる無神経な匿名の輩等、現代にも通じるおバカさんたちをも炙り出しています。

 

この年はまだ2歳だったため、ほとんど記憶には残ってはいないものの、時代の空気が直に伝わってきます。景気がうなぎ上りだった反面、その恩恵に与れぬ者も確実にいた筈で、誘拐事件を契機に都市と地方の格差、搾取される弱者、被害者への誹謗中傷といった問題も噴出してきます。また、本書は篤志家の三國連太郎や慈愛に満ちた左幸子のような人物が登場しないにも関わらず、何故か内田吐夢監督の「飢餓海峡」をも想起させます。戦後復興の影で負の部分を見せる点に共通点があるからでしょうか?

 

物語自体は継父からの虐待の後遺症でオツムの弱くなった宇野寛治を軸に、刑事の落合や在日朝鮮人のミキ子等を絡めながら、戦後18年が経った日本の光と影を描いた群像劇になっています。寛治に捜査の手が伸びたところで、誘拐事件に切り換わる構図が実に鮮やか。しかも、誘拐事件にも寛治が噛んでいることに加え、元時計商殺しの犯人が国交のない韓国に逃亡したり、寛治の同棲相手が米国の占領下にあった沖縄出身者だったりなど、当時の社会情勢を踏まえて微に入り細に亘って時代の空気を的確に捉えた描写があるため、文章から目が離せなくなってきます。試行錯誤を繰り返しながら真相に迫る社会派推理小説の醍醐味を味わいつつ、重厚な人間ドラマを読み終えた満足感も残りました、

 

製作:アメリカ

監督:フランクリン・J・シャフナー

脚本:ロッド・サーリング マイケル・ウィルソン

原作:ピエール・プール

撮影:レオン・シャムロイ

音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:チャールトン・ヘストン ロディ・マクドウォール キム・ハンター

1968年4月13日公開

 

ケープ・ケネディから打ち上げられた宇宙船が2000年という年月を経て、ある惑星に着陸しました。テイラー(チャールトン・ヘストン)を隊長とする3人の宇宙飛行士は、湖に着水してから無人の陸地に上がり、数日間、砂漠地帯をさまよい歩きます。やがて森林地帯に入り、彼らは原始人の姿を目にします。ところが、そこに猿の一群が現れ、人間たちを捕獲し始め、テイラーも囚われの身となります・・・。

 

80年代にテレビ放映された時以来の鑑賞でした。開巻早々、SF映画にも関わらず同じ年に公開された「2001年宇宙の旅」に比べると、宇宙船内のあまりにも安っぽいセットに、今更ですが唖然とさせられます。尤も、20世紀フォックスはこの時期経営難にあったので、あまり予算がかけられなかった事情は理解できます。当初は、原作のハイテク都市を再現する筈だったのに、結局泥と岩でできた猿の村に落ち着いたことからも、映画会社の懐事情が窺えます。

 

3人の飛行士が惑星に不時着した後も、広大な地を延々と歩く場面が続くため、テイラーが猿の軍団に捕獲されるまで、些か退屈に感じられるのも致し方ありません。それでもドキュメンタリー「猿の惑星のすべて」によれば、フランクリン・J・シャフナーは畑で人間が逃げ惑う場面にはかなり力を入れたと言います。

 

セットにお金を掛けられなかった分、猿の特殊メイクには凝っていて、中学生の時に最初にテレビで観た際には、馬に乗る猿の姿がシュールに映ったことも相まって衝撃的でした。このメイクアップに時間が掛かるため、俳優は食事や喫煙時にもかなり気を使ったらしいです。また、階級別に分かれた社会の差別や偏見がテーマのひとつになっている映画なのに、猿にメイクアップした俳優が、同じ種同志で集まって食事する傾向にあったエピソードは興味深かったです。

 

巷間、この映画は有色人種を支配してきた白人社会が逆転する比喩として描かれていると伝えられてきました。実際、原作者のピエール・ブールは先の大戦で日本軍に捕虜として収容所に収容された体験があり、60年代には黒人による暴動がたびたび起きていたこともあって、秩序が逆転する映画が製作される下地ができていたと考えられます。

 

また、猿による法廷における審問の場面では、進化論の否定、宗教裁判の模様がまるで人間が辿ってきたのと一緒。更に審問中にも赤狩りにおける理不尽さを彷彿とさせ、人間を擁護するジーラ(キム・ハンター)の反論に対し、審問官のオラウータンの見ざる、聞かざる、言わざるのポーズなどは、監督の皮肉な演出が冴え渡っていました。

 

改めて観ると、この惑星の正体に気づかないテイラーの察しの悪さに苦笑したくなりますが、最初に観た時はこのどんでん返しにヤラれましたよ。しかも、中学生にも分かるようにある物を映すだけで、指導的立場に居る猿が隠していた秘密が露わになる演出はお見事でした。この辺りはテレビシリーズの「ミステリーゾーン」を手掛けたこともあるロッド・サーリングの脚本の功績も大きいでしょう。

 

この映画は一応SF映画の範疇に入りますが、政治、宗教、倫理など、多岐にわたって言及されています。猿と人間が逆転した世界でのシンプルな物語なのに、社会問題を含めて示唆に富んだエピソードが数多く盛り込まれているため、本作は中一に観た時と同様に今でも色褪せないのでしょう。

箱の中の羊 公式サイト

 

チラシより

子供を亡くした甲本夫婦は、ヒューマノイドを迎えることに。息子・翔(かける)の姿をした〈彼〉の帰宅に、喜びを隠さない妻・音々(おとね)と、戸惑いを隠せない夫・健介。再び家族の時間は動き出し、静かに波紋が広がっていく。ほどなく予期せぬ事態が起こり、夫婦が抱く息子への想いが露わになっていく――。夫婦とは?家族とは?彼らは大きな決断に迫られる。

 

製作:フジテレビジョン ギャガ 東宝 AOI Pro.

監督・脚本・原案:是枝裕和

撮影:近藤籠人

美術:岡田拓也

音楽:坂東祐大

出演:綾瀬はるか 大吾 桒木里夢 清野菜名 寛一郎 柊木陽太

             角田晃広 野呂佳代 星野真理 中島歩 余喜美子 田中泯

2026年5月29日公開

 

ヒューマノイドの子供を受け入れる時、妻の音々は“子供の成長”に関して、どのように考えていたのかが観ていて気に掛かりました。亡くなった時の姿のまま、ずっと借り続けるつもりでいたとしたら、人形を愛でるのと同じ。それは子供が中年や老年の大人になることを想定しないまま、キラキラネームをつけるバカ親と一緒で、寧ろヒューマノイドを容易に受け入れようとしない健介のほうに健全さを感じました。

 

話が進むにつれ、翔は単なる事故死でないことが分かってきて、音々も健介も息子の死に関して罪の意識があり、自分を責めている様子が明らかになってきます。ヒューマノイドの子供と接する過程を経て、甲本夫婦が抱える喪失感と如何に向き合い、新たな一歩を踏み出すまでを素直に描けばいいものを、最近の是枝裕和は余計なものを盛り込んでくるため、観ているほうは何で?と頭を抱えたくなります。

 

例えば、前作の「怪物」にしても二人の子供にその要素必要?と懐疑的な気持ちにさせられましたし、本作もある種ユートピア的な展開に戸惑いを覚えました。私なぞは思わず理想郷となる土地は音々に所有権あるよね?と確かめたくなりましたよ。是枝作品は時折意識高い系が鼻につくところがあり、映画を鑑賞する上でしばしばノイズに感じる点が目に付きます。

 

私としては「奇跡」「海街diary」「海よりもまだ深く」のような“普通の家族ドラマ”をもう一度撮って欲しいのですが・・・。この映画に関しては、ビューマノイドの子供が家族になることで夫婦間に軋轢が生じることより、大吾が綾瀬はるかに膝枕してもらえる羨ましさのほうを思い出すかもしれません(笑)。

 

DVDあらすじより

20世紀初頭のイギリス。静かな田園地帯にそびえ建つ大邸宅に、事故で両親を亡くした幼い姉弟が暮らしていた。彼らの遊び相手は、無学で常識にとらわれない粗暴な下男クイント(マーロン・ブランド)だけ。屋敷に同居する家庭教師ジェスル(ステファニー・ビーチャム)は、子供たちが盲目的に信奉するクイントに軽蔑の目を向けていたが、彼に力ずくで犯されてからは、愛情入り交じった倒錯した関係を持つようになる。そして、二人の逢瀬を姉弟が目撃したとき、思わぬ悲劇が起こる。

 

製作年:1971年

製作:イギリス

監督:マイケル・ウィナー

脚本:マイケル・ヘイスティングス

原作:ヘンリー・ジェームズ

撮影:ロバート・ペインター

音楽:ジェリー・フィールディング

出演:マーロン・ブランド ステファニー・ビーチャム

             ヴァーナ・ハーヴェイ クリストファー・エリス

1973年4月21日公開

 

本作はヘンリー・ジェームズの「ねじの回転」の前日譚にあたる物語になっています。「ねじの回転」はジャック・クレイトン監督によって映画化もされていて(邦題は「回転」)、新任の家庭教師が雇われた邸宅で二人の男女の亡霊を見て、フローラとマイルズの姉弟から恐ろしい秘密を探り出す怪談話でした。その新任教師が邸宅にやって来る場面が、この映画ではラストシーンになっていて、それ以前にどんな出来事が起こったのかが本作では描かれています。

 

両親が急死したことで、叔父のブライ卿が遺子であるフローラとマイルズの後見人となりました。ただし、ブライ卿は直接二人の面倒を見るつもりはなく、金銭面を支援するに留まり、エセックスの邸宅に同居する家政婦のクローズ、家庭教師のジェスル、小屋に寝泊まりする下男のクイントに子供を任せてロンドンに帰ってしまいます。

 

姉弟は大人たちから両親の死を知らされていませんでしたが、二人が懐いているクイントが明かしてしまいます。クイントは下世話な話が面白く、非常識で不道徳な行為をたびたびすることから、二人の子供たちには慕われています。一方、年老いて厳格な家政婦のグロースからは、彼が子供に悪影響を及ぼすため嫌われており、家庭教師のジェスルは彼を蔑みながらも、性的な魅力に抗えず深い関係になっています。

 

不良だからこそ惹かれてしまうのは世の常であり、クイントも例に漏れません。クイントを演じるマーロン・ブランドは、「ゴッドファーザー」で復活を果たす前であり、出演した映画が当たらず燻っていた時期でもありました。ただし、中年とは言えセックスアピールは健在であり、ジェスルとSMを交えた濡れ場は、後の「ラストタンゴ・イン・パリ」のエロスにも繋がっています。

 

姉弟は世間とかけ離れた環境にいるせいか、周囲にいる大人(主にクイントですが)の影響を受けやすく、しばしば常識外れの行動を起こします。マイルズは特にクイントに感化され、残忍な面も顔を覗かせます。弟に比べると姉のフローラは常識を持ち合わせてはいるものの、終盤になるとかなりイカれた面が露わになります。

 

弟はクイントとジェスルのSMチックなセックスを覗き見したことで姉と同じ行為に及ぼうとしたり、邸宅に出禁となったクイントのために、ジェスルと逢瀬できるよう過激な行動を取ったり、常識外れな行為を繰り返します。二人の子供たちは言外に含まれる意味を読み取れず、大人の言葉を真に受ける怖さがあり、彼らが無垢で無邪気であるだけに、子供の行為の残酷さが際立ちます。

 

本作はマーロン・ブランドが主役の映画にも関わらず、“恐るべき子供”の系譜に連なる作品であることをまざまざと思い知らされます。

スター・ウォーズ マンダロリアン・アンド・グローグー 公式サイト

 

チラシより

帝国が崩壊し、無法地帯と化した銀河に生きる、どんな仕事も完璧に遂行する伝説の賞金稼ぎ“マンダロリアン”。そして、フォースの力を秘めた“グローグー”。長く果てしない旅を続ける中で、固い絆で結ばれた二人を待ち受ける、壮大な冒険と驚くべき運命とは?

 

製作:アメリカ

監督:ジョン・ファヴロー

脚本:ジョン・ファヴロー デイヴ・フィローニ

原作:ジョージ・ルーカス

撮影:デヴィッド・クライン

美術:アンドリュー・L・ジョーンズ ダグ・チャン

音楽:ルドウィグ・ゴランソン

出演:ペドロ・パスカル シガニー・ウィーヴァー

2026年5月25日公開

 

『スター・ウォーズ』の最新作となる本作は、舞台設定が「ジェダイの帰還」の後にあたるようで、新キャラクターが登場し新たな章が始まる物語になっています。ドラマシリーズを全く見ていないため、話についていけるのかと懸念を抱いていましたが、一見さんでも大丈夫なように作られていて、そこは安心して観ていられました。

 

テンポが良く、見せ場も適度にあるので、思っていたより良い印象でした。新キャラクターに関しても、マンダロリアンはハードボイルドの探偵のような独自の美学を貫く一匹狼の雰囲気を醸し出しているのが心地良く、グローグーも愛らしいのが反則(笑)。ジャバ・ザ・ハットの息子のロッタ・ザ・ハットの自分探しの拗らせ設定は必要か?と思いましたが、まぁ、許容範囲と言うことで。

 

「帝国の逆襲」の四足歩行兵器のAT-ATウォーカーが出てきたり、「ジェダイの帰還」のイォークを思わせるカワイイキャラクターも登場したり、エピソード4から6が好きな観客への目配せも抜かりありませんでした。

 

ただし、「フォースの覚醒」同様、新たな章に期待を抱かせても、その後に尻つぼみに終わる例もあるので予断は禁物。身もふたもないことを書けば、おそらく3日経ったらほぼ内容を忘れるでしょうし、このシリーズの熱烈なファンと言う訳でもないので、個人的にはエピソード4から6までで十分かな。

一昨日のブログのアクセス数が異様に多かったので、久しぶりにブログ内のアクセス分析で調査をしてみました。すると、「洋子へ、長門裕之の愛の落書集」の記事が大半を稼いでいたことが分かりました。更に調べていくと、長門裕之が亡くなってから15年の歳月が流れ、それに関連して故人とこの本に関する記事がYahoo!JAPANニュースで一昨日の午前8時に配信され、私の記事がYahoo!JAPANで上位にあったことから、今までで最大のアクセス数になったと思われます。「洋子へ、長門裕之の愛の落書集」は80年代に出版された女性遍歴を含む自伝本で、長門が深い仲になった女優や、芸能人への悪口が実名で挙げられています。しかし、いくら昔の事とは言え、私の記事ではアルファベットでボカしています。ただし、長門が好意的に書いた芸能人や評価が微妙な人たちは、私も実名にしています。

 

 

DVDあらすじより

嵐の夜、ポーリナは夫ジェラルドの帰りをひとり待っている。ようやく帰宅したジェラルドは、途中でタイヤがパンクし、通りすがりの親切な男の車で送ってもらったという。その男・ロベルトの声を聞いて、ポーリナは震え上がる。それは十数年前、拘束され目隠しされた彼女を何度も凌辱した男の声だったのだ・・・。辛い過去の痛みと決別するため、ポーリナは復讐を実行に移す。

 

製作:アメリカ イギリス フランス

監督:ロマン・ポランスキー

脚本:ラファエル・イグレシアス アリエル・ドーフマン

原作:アリエル・ドーフマン

撮影:トニーノ・デリ・コリ

美術:ピエール・ギュフロワ

音楽:ヴォイチェフ・キラール

出演:シガニー・ウィーヴァー ベン・キングズレー スチュワート・ウィルソン

1995年6月3日公開

 

今月に公開されたジャファル・パナヒの「シンプル・アクシデント/偶然」の情報が出てきた時に、真っ先に思い浮かんだのがこの映画でした。パナヒの作品が各地を転々とするのに対し、こちらは冒頭とエピローグの演奏会場を除けば、登場人物が3人だけの密室劇です。

 

「死と処女」の原作は1991年にロンドンで初演され、ローレンス・オリヴィエ賞のベスト・プレイ賞を受賞し、後にブロードウェイで大ヒットした同名戯曲であり、原作者は映画化にあたり、早い段階から監督にロマン・ポランスキーを想定していたそうです。

 

ポランスキーがユダヤ人であることから、ナチスによるユダヤ人迫害と戯曲における独裁政権下の人権弾圧は親和性が高く、彼自身も妻のシャロン・テートを殺害された事件を経験しているだけに、ヒロインの複雑な心理を描き出すには適任だったと思われます。

 

物語の舞台は独裁政権崩壊後の南米某国。軍事政権における人権侵害調査委員会の委員長に決まったジェラルドは、嵐の中で車がパンクしてしまい、見知らぬ医師のミランダの車で自宅まで送ってもらいます。

 

一方、夫の帰りを待っていたポーリナは、独裁政権下で反政府運動に参加したため逮捕され、酷い拷問を受けたばかりでなくレイプまでされた過去がありました。そのため、解放されても精神的に不安定な状態にあります。彼女は新政権も信用していないので、夫が委員長の座に就いたことが裏切り行為に思え、夫婦の間には齟齬が生じていました。

 

ミランダはジェラルドを送り届け一旦は帰宅したものの、ジェラルドの忘れ物のタイヤを律儀に届けに来て、ジェラルドも感謝の印に家の中に招き入れ酒を振る舞います。ポーリナは寝ている振りをして、二人の会話を耳にするうち、ミランダの声に聴き覚えがあり、忌まわしい記憶が甦ってきます。

 

ポーリナはレイプされている時に目隠しをされていて、相手の顔を見ていませんでしたが、声だけは耳にしていました。また、犯されている間はシューベルトの「死と処女」が流されていたこともはっきり憶えていました。彼女は真偽を確かめるため寝床を抜け出し、ミランダの車を調べに行きます。すると車内から「死と処女」のカセットテープが見つかります。ポーリナは家に戻り、ミランダを殴り倒し縛り上げ、銃で脅して自白を迫るというのが大まかな話の筋です。

 

ポーリナは復讐に凝り固まるキャラクターで、「シンプル・アクシデント/偶然」におけるハミドに近いです。演じるのはシガニー・ウィーヴァーであることから、もっと神経質でデリカシーのある女優が居直った芝居を見せたほうが効果的という意見もありますが、大の男(ベン・キングズレーは小柄ですが)を椅子に縛り上げ、時には鉄拳制裁を加える役はうってつけとも思えます。

 

余談になりますが、この映画では彼女のヌードも見られます。過去のレイプ場面ならばまだしも、この映画では回想場面は全く映さないため、どのような意図でシガニー・ウィーヴァーを裸にしたのか不明でした。

 

観るほうは夫のジェラルド同様、ミランダがポーリヌを凌辱した相手なのか、それとも違うのか、判断のつかぬまま話が進んでいきます。基本、彼は弁護士の立場上、疑わしきは罰せずという姿勢で妻を説得しようとしますが、ポーリヌは聞く耳を持ちません。また、彼もポーリヌが政府を批判していた夫の居場所を白状しなかったことで拷問され、釈放された日に、別の女とベッドの中に居るところを、彼女に目撃されたことで、かなり負い目を感じています。

 

一方、ミランダは独裁政権時には海外に居たため無実であることを主張し、その証明をするためある場所に連絡をとって証明してもらうことを頼むのですが、生憎嵐のせいで電話は不通になっていて証明することはできません。こうしたジレンマが続く中、ジェラルドが委員長を引き受けた事により、刑事が身辺警護のために自宅を訪れるタイムリミットが近づいてきます。

 

「シンプル・アクシデント/偶然」同様に、この映画も本人か否かの決着がつきます。ただし、「シンプル・アクシデント/偶然」が不穏な空気を残して終わるのに対し、本作はラストに演奏会の客席を映して2組の家族の様子を見せたことによって、余韻の残る終わり方をしていました。

 

DVDあらすじより

1947年ロサンゼルス。ダウンタウンの空き地で、身体を腰で切断された女の惨殺死体が発見された。被害者はエリザベス・ショート、22歳。漆黒の髪に黒ずくめのドレス。ハリウッド・スターを夢見ながら大都会の暗闇に葬られた女を、人は「ブラック・ダリア」と呼んだ――。やがて、捜査線上に浮かび上がる一編のポルノ・フィルム。そしてダリアと瓜二つの大富豪の娘と、彼女の一族にまつわる黒い秘密。ロサンゼルス.の闇の中で妖しくうごめく事件の謎は、捜査にあたる若き二人の刑事の運命をも狂わせていく・・・。

 

製作:アメリカ

監督:ブライアン・デ・パルマ

脚本:ジョシュ・フリードマン

原作:ジェイムズ・エルロイ

撮影:ヴィルモス・ジグモンド

音楽:マーク・アイシャム

出演:ジョシュ・ハートネット スカーレット・ヨハンソン

             アーロン・エッカート ヒラリー・スワンク

2006年10月14日公開

 

本作はジェイムズ・エルロイの原作を映画化した作品であり、実際に起きた「ブラック・ダリア事件」から着想を得た物語になっています。「ブラック・ダリア事件」とは、女優志望だった当時22歳のエリザベス・ショートが腰の部分が切断された状態の遺体で発見された猟奇殺人事件で、前年に公開されたアラン・ラッド主演の「青い戦慄」(原題はThe Blue Dahlia)をもじってつけられました。

 

事件は未解決のままであることから、映画で描かれる真相はあくまでフィクションです。原作者のジェイムズ・エルロイはアメリカの暗部を抉る作風に特徴があり、幼少期に母親を殺害されたこともあって、この作品もどことなく暗い影を落としています。

 

20年前の映画の封切り時には、既に原作小説を読んでいたのですが、何しろ散文詩のような文体が読みづらく、劇場鑑賞してこんな物語だったのかと知った次第(笑)。この点は物語を巧くまとめた脚本と、ブライアン・デ・パルマのスピーディーな演出のおかげで、二度目のDVD鑑賞でも実に分かりやすく鑑賞できました。その一方で、1947年のロサンゼルスの闇を堪能するには、散文詩のような文体でないと味わえないもどかしさもあります。

 

特典映像では当時のLAを再現するため、ハリウッドではなく、ブルガリアでセットを組んで撮影されたことが解説されていました。確かに渋い色調の映像は当時の雰囲気を醸し出していますが、闇の底に蠢く得体の知れない妖しさまでは伝わってこず、そこが文学と映像作品の違いであることを改めて知らされました。

映画『君のクイズ』 公式サイト

 

チラシより

賞金1000万円を賭けた生放送のクイズ番組の決勝戦。クイズ界の絶対王者:三島玲央(中村倫也)に対するは世界を頭の中に保存した男:本庄絆(神木隆之介)。共に優勝に王手をかけ、迎えた最終問題、早押しクイズ。なんと本庄は問題文を1文字も聞かずに正解を言い当てて、優勝者となった。なぜ彼は問題を1文字も聞かずに正解できたのか?やらせ?トリック?それとも魔法?三島は前代未聞の「謎」に挑む。

 

製作:映画『君のクイズ』製作委員会

監督:吉野耕平

脚本:おかざきさとこ 吉野耕平

原作:小川哲

撮影:神田創

美術:相馬直樹

音楽:Yaffle 斎木達彦

出演:中村倫也 神木隆之介 森川葵 水沢林太郎 福澤重文 吉住 白宮みずほ

             大西利空 坂東工 ユースケ・サンタマリア 堀田真由 ムロツヨシ

2026年5月15日公開

 

原作となる小川哲の小説は2年ほど前に読んでいます。小説では一文字も問題を発していないのに、正答できたのは何故か?という謎の一点のみで、一見キワモノと思わせながら、真相に辿り着くまでの論理的な展開に唸らされました。

 

最近観た「ひつじ探偵団」も羊が探偵役だったため、イロモノと思わせつつ、実は正統な本格ミステリーだったことから、本作もひょっとしたらイケるのではと期待しました。特に監督の吉野耕平は「ハケンアニメ!」で結構好印象を残していましたし・・・。

 

ただし、緻密に理詰めで謎を解いていく題材は小説向きでも、映像となると必ずしも原作の良さを反映させられるとは限らず、その点に懸念を抱いていました。

 

前半に関しては、正解を導き出す確定ポイントが重要になる点を分かりやすく説明されており、問題を読むアナウンサーの唇の動きで先を読んだり、デジタル処理で要点を整理したり、映像ならではの工夫は見られました。それでも、細かな検証作業の積み重ねによって真相に迫っていく小説に比べると、映画ではその部分が不足しており、淡泊に映る点は否めませんでした。

 

また、後半になるにしたがって、本来論理的な思考で話を引っ張っていく話なのに、登場人物の感情に偏り過ぎた展開になってしまったのが惜しまれます。それにしても日本の監督って、訓垂れ描写が好きよねぇ(笑)。

 

クイズの出演者たちは対戦相手であると同時に、最もクイズを理解する同志でもあり、作り手はそこを絡めて、主人公や相手役の心情を汲んで一席ぶちたくなる気持ちは分からなくもないですが・・・。尤も、海外の作品でもアル・パチーノが出演した映画は、彼が演説しないと話が収まらない場合もあるので、一概にダメというつもりはありません。

 

前半は割といい線を行っていたのに、後半はグダグダというのが本作の感想。ただ、Beautiful、Beautiful ~♪と歌われるローカルCMの歌は当分耳に残りそうです。