パンクフロイドのブログ

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急に具合が悪くなる 公式サイト

 

映画.comより

パリ郊外の介護施設「自由の庭」で施設長を務めるマリー=ルー・フォンテーヌは、入居者を人間らしくケアすることを理想としながらも、人手不足やスタッフの無理解に悩まされていた。そんな中、日本人の舞台演出家・森崎真理と出会ったマリー=ルーは、がん闘病中の彼女が描く演劇に勇気をもらう。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれて交流を始める真理とマリー=ルーだったが、あるとき真理は急に具合が悪くなる。真理の病の進行とともに2人の関係は深まり、互いの魂を通わせ合うようになっていく。

 

製作:フランス 日本 ドイツ ベルギー

監督:濱口竜介

脚本:濱口竜介 ルディムナ玲亜

原作:宮野真生子 磯野真穂

撮影:アラン・ギシャウア

美術:ミラ・プレリ

音楽:サミュエル・アンドレイフ

出演:ヴィルジニー・エフィラ 岡本多緒 長塚京三 黒崎煌代

2026年6月19日公開

 

この映画は主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒の二人が、カンヌ国際映画祭の主演女優賞を受賞したくらいしか知識を得ていなく、ほぼ白紙の状態で鑑賞に臨みました。

 

介護施設の責任者のフランス人女性と、舞台演出家の日本女性の友情も勿論見どころのひとつではあります。でも、介護される年齢に徐々に近づいてきた身としては、介護現場の実情のほうに目が向いてしまいました。映画では介護施設の現状の一端しか見せてはいないにしても、慢性的な人手不足による介護士への負担がひしひしと伝わってきます。

 

中間管理職のマリー=ルー・フォンテーヌは、現場の負担を減らそうと、経営者に介護士の増員と待遇改善を求めます。また、介護士の技術向上のために年3回の研修を実施しようとします。しかし、強硬に要望を訴えると自身が解雇されかねず、また現場を預かるベテラン看護師からは、研修通りに対応すると現場が回らないことを理由に不満が噴出します。

 

マリー=ルーは使命感から理想主義に走りがちで、また責任感の強いため、欠員が出た場合自らラインに入るなど、仕事中毒の傾向があり疲弊しています。そんな彼女が演劇を生業にする森崎真理と出会ったことから友情を育み、徐々に心境の変化が表れてきます。一方、真理も余命幾ばくもないことから母国に戻って治療に専念するつもりでいましたが、マリーに説得され・・・という話の流れになります。

 

作り手は介護に纏わる諸々を深掘りしようとして、資本主義に絡めて問題提起しようとした意図が窺えました。真理の口を借りて、介護問題の根っこまで掘り下げようとしたのは悪くありませんが、些か理屈っぽくなってしまい、映画の色合いが乱れたように思えました。また、長塚京三が演じる清宮悟朗の一人芝居や、彼の孫の智樹の自閉スペクトラム症の設定が、果たして効果的な役目を果たしていたのかも疑問でした。

 

濱口竜介監督は得てして長尺の作品が多く、「ハッピーアワー」や「ドライブ・マイ・カー」ほどではないにせよ、長時間の作品を観るのがしんどくなってきた身には、3時間超が実際の時間より長く感じられました。

免許返納!? 公式サイト

 

チラシより

自他共に認める映画スター・南条弘(舘ひろし)は、70歳にして人生最大のピンチを迎えていた――。南条の原点ともいえる若き日の大ヒット映画『ハーレーライダー』で共演したライバル俳優・尾崎誠(宇崎竜童)がバイク事故を起こしたことを発端に、南条のコメントが誤解を生み、〈スター俳優。南条弘(70)免許を自主返納へ〉と拡大解釈されてしまったのだ。このままでは愛車のフェラーリに乗れなくなる!アクション映画も撮れなくなる!そんな南条の心配とは裏腹に、事務所社長の三宅(吉田鋼太郎)とマネージャーの川奈(西野七瀬)は、これを機に免許返納させよう!と南条を説得する。そんな矢先、政府広報の免許返納CM依頼とハリウッド映画のオファーが舞い込む!盟友の願いと、最愛の妻との約束を叶えるまでは、いまはまだ免許返納するわけにはいかない!尾崎の息子・亮(黒川想也)を探すために東北へ向かった南条は、最愛の妻との約束を叶えるため、『ハーレーライダー』の想い出の一本道へ向かうのだった・・・。

 

製作:『免許返納』製作委員会

監督:河合勇人

脚本:林民夫

撮影:日下誠

美術:神田諭

音楽:海田庄吾

出演:舘ひろし 西野七瀬 黒川想矢 南野陽子 八嶋智人

             大地真央 MEGUMI 真矢ミキ 吉田鋼太郎 宇崎竜童

2026年6月19日公開

 

同じ舘ひろし主演の「免許がない!」が公開されたのは30年ほど前。公開時には劇場鑑賞していなく、30年越しに続編が公開されるタイミングで、CSで放映されたのを機に、前作を観てから本作に臨みました。前作を観ていなくても全く問題ありませんが、続編は前作の細かいネタが随所に散りばめられているので、より楽しめる作りになっています。

 

例えば、前作同様に本作も、南条の現状を皮肉るような広告看板が掲げてあったのもそのひとつ。また、前作で自動車教習所の教官役だった西岡徳馬を、この映画では運転免許センターの受付役で登場させながら、ボールペンをカチャカチャさせる癖まで再現させています。しかも、彼が南条にかける言葉が、前作でのモヤモヤした気持ちを全て解消する点もポイントが高いです。

 

続編は「イージーライダー」を思わせる演出で始まり、バックに流れる音楽までステッペンウルフの「ワイルドで行こう」に似せているのが笑えます。本作ではこのように様々な映画からの引用があり、パロディのような作りの喜劇になっています。

 

南条は旧友でありライバルでもある俳優の尾崎に、古稀を祝うパーティーで恥をかかされ、尾崎がバイク事故を起こしたことで、意趣返しに綺麗ごとのコメントをしたために、免許返納せねばならない事態に追い込まれます。更に、尾崎の容態が急変したことにより、南条は尾崎の別れた息子を探す羽目になり、そこにやくざも絡んでくるという話の流れになってきます。

 

南条の俳優としてのキャラクターは舘ひろしの『あぶない刑事』のタカのイメージを想定していて、彼が尾崎の息子・亮とやくざから逃げ延びる際には、『トラック野郎』のデコトラの運転手たちが連帯して救ってくれるなど、東映色が濃いです。

 

また、スナックのカラオケで舘ひろしが彼の持ち歌の「泣かないで」を歌う場面では、南野陽子とのデュエットする演出もあり、総じてサーヴィス精神旺盛な見せ方に嬉しくなります。こうした観客目線の積み重ねから、往年のプログラムピクチャーを観ているような気持ちにさせられました。

 

前作は森田芳光が脚本を手掛けながらイマイチだったのに比べると、本作は前作で駄目だった部分(南条が自力と言うより芸能事務所の力や映画スタッフに支えられて合格できたかのように映ります)までも伏線にしてしまい、西岡徳馬の一言でスッキリした気持ちになって回収されるのが心地良かったですね。

死霊のはらわた 

 

DVDあらすじより

山奥にある貸別荘に休日を楽しむためにやってきた、アッシュら5人の男女。彼らはそこで古いテープレコーダーを発見する。そこに録音されていたのは、森に棲む死霊を眠りから起こすための呪文だった。目を覚まして死霊たちに次々に身体を乗っ取られ、不死の怪物と化していく彼らの中で、1人残ったアッシュは血みどろの決戦へと立ち向かってゆく。

 

製作年:1981年

製作:アメリカ

監督・脚本:サム・ライミ

撮影:ティム・ファイロー

特殊メイク:トム・サリバン

音楽:ジョセフ・ロドゥカ

出演:ブルース・キャンベル エレン・サントワイズ

             ベッツィ・ベイカー ハル・デルリック サラ・ヨーク

1985年2月23日公開

 

80年代のスプラッターホラーを代表する、サム・ライミ監督のデビュー作です。ホラーもやり過ぎると笑いに転じることを立証した典型的な作品でした。今年公開された「HELP 復讐島」も悪趣味且つグロテスクな演出で(誉め言葉です)楽しませてくれましたが、雀百まで踊り忘れずと言ったところでしょうか?

 

アッシュの姉・シェリルが森の悪霊に犯される場面が最初の見せ場で、そこから小屋に戻った彼女が死霊と化し、残った人物たちも次々と悪霊に憑依していき、ヘタレなキャラクターのアッシュが孤軍奮闘して生き残ろうとするのが見どころになってきます。

 

改めて観ると、どんなきっかけで悪霊に憑依するのかイマイチピンと来ませんが、ジャッロと同様に理屈を考えずに観たほうがいいのでしょう。「死者の書」を焼くことで一件落着と思わせて、最後に不穏な空気を残すのはホラー映画の定石通り。一人で観るより、友達と酒でも飲みながらゲラゲラ笑って観るのが一番かもしれません。

 

死霊のはらわた2  

 

DVDあらすじより

恋人リンダ(デニス・ビクスラー)とともに、森の山小屋へ出かけたアッシュ(ブルース・キャンベル)。キャビンの中で奇妙な古書とテープレコーダーを見つけた二人は、好奇心からテープに録音された呪文を再生、700年間封印されていた太古の死霊を甦らせてしまう。リンダは邪悪な霊に憑依されて醜悪なゾンビに変身。アッシュは死霊に支配された右手を切断、傷口にチェーンソーを装着し、血で血を洗う闘いに立ち上がる!

 

製作:アメリカ

監督:サム・ライミ

脚本:サム・ライミ スコット・スピーゲル

撮影:ピーター・デミング

特殊メイク:マーク・シャストロム

音楽:ジョセフ・ロドゥカ

出演:ブルース・キャンベル サラ・ベリー ダン・ヒックス

             キャシー・ウェスリー リチャード・ドメイア デニス・ビクスラー

1987年10月3日公開

 

前作であれだけ酷い目に遭いながら、また同じ過ちを繰り返すアッシュにバカなの?とツッコミを入れつつも、ボンクラ好きとしては彼が愛おしくなってきます(笑)。アッシュだけでなく、本作に登場する人物が悉く悪手を打つ点も、物語を面白くしています。

 

地元民のボビー・ジョーも仲間のところに居ればある程度安全が確保されるのに、わざわざ人のいない森の中に逃げようとするのには苦笑してしまいます。坂口安吾の「不連続殺人事件」じゃないんだから(分かるかな?)。また、手っ取り早く前作と同じ方法で悪霊を退散させればいいのに、考古学者の娘アニーはこともあろうに「死者の書」を地下室に投げ込んでしまいます。

 

2作目では悪霊に取り憑かれそうになるアッシュが、自分の手首を切断する辺りからおバカ度が増し、俄然面白くなってきます。最早、ドリフターズのコントかと思う程の悪ノリぶりで、その振り切り具合が潔いです。

 

終盤にはシルヴェスター・スタローンの『ランボー』、シガニー・ウィーヴァーの『エイリアン』の主人公を思わせるほど、アッシュがショットガンを片手に携え、チェーンソーを直接手首に装着して戦闘モードに入る演出などは嬉しくなってきます。また、中世にタイムスリップしたアッシュが、怪鳥を仕留めて英雄扱いされるオチも愉快で、1作目以上に楽しめました。

こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:アメリカ

監督:ウディ・アレン

脚本:ウディ・アレン マーシャル・ブリックマン

撮影:ゴードン・ウィリス

音楽:ジョージ・ガーシュイン

出演:ウディ・アレン ダイアン・キートン メリル・ストリープ マリエル・ヘミングウェイ

1980年2月23日公開

 

二度の離婚歴のあるテレビの放送作家のアイザック(ウディ・アレン)は、17歳のトレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)と付き合っていました。そんな折、友達の学校教師のエール(マイケル・マーフィー)から、不倫相手である編集者のメリー(ダイアン・キートン)を紹介されます。最初はいけ好かない女と思っていたアイザックでしたが、次第にメリーに心を奪われていきます。

 

エールには妻エミリー(アン・バーン)と別れる気がなく、メリーもエールが妻と別れるのを本望と思っていないことから二人は破局を迎えます。一方、アイザックも若いトレーシーを持て余し気味で、彼女がロンドンに演劇留学をすることを口実に別れを切り出します。やがて、アイザックとメリーは一緒に暮らし始めますが、エールはメリーに未練があり、彼女と縁りを戻そうとしたことから、メリーは気持ちが揺れ始めます・・・。

 

この映画はまだ学生だった頃に、ウディ・アレンがイングマール・ベルイマン風に撮った「インテリア」との二本立てで観ました。その当時は未成年の少女をコマし、親友と不倫する女性とよろしくヤッているアイザックをトンでもないオヤジと思いつつ、若干の羨ましさも抱きながら観ていました。

 

尤も、アイザックも女房のジル(メリル・ストリープ)を女性に寝取られ、挙句の果てに離婚した妻に暴露本まで出版されるので、中年男の悲哀の匙加減も巧い具合に施されています。

 

本作では理屈ばかり捏ねる面倒臭いアイザック、知識をひけらかそうとする鼻持ちならないメリー、不倫相手を親友に押しつけようとするエール、元旦那の恥部を曝すジルなど、ダメダメな大人ばかりが出てきます。寧ろ未成年のトレーシーのほうが、別れの場面でアイザックにかける言葉を含め、よっぽど大人らしい振る舞いをするので、大人たちの稚拙さがより露わになり、ボンクラ好きにとっては好物の映画です。

 

この映画も「アニーホール」同様、ウディ・アレンがひたすら喋りまくるキャラクターを演じていて、その饒舌さに胃がもたれる気がしないでもありません。その一方で、モノクロを活かした美しいニューヨークの街並みに、ジョージ・ガーシュインの音楽が流れるオープニングなどはため息が出るほど素晴らしいです。

 

本作のメリル・ストリープは出番こそ少ないものの、この映画での別れた妻役を見ていると、後年の『プラダを着た悪魔』の鬼編集長の意地の悪さが窺え、ダイアン・キートンと共に女優のキャリアを感じさせる点でも見どころのある映画でした。

流星と桜 青谷真未

 

東京創元社サイトより

女子高時代に孤独な桜子に寄り添ってくれた、憧れの先輩で歌舞伎役者の娘・清香。真昼でもなお輝きを失わない流星のようだったその人は、八年後に浅草で偶然再会した時、探偵となっていた。清香は、親に薦められるまま見合い結婚をしようとしていた桜子の鬱屈を見抜き、自分の探偵事務所で働かないかと誘う。探偵助手となった桜子と清香は、依頼人の相談に真摯に対応する。やがて彼女たちは、どこか歌舞伎の演目を連想させる奇妙な謎を通し、自分たちの過去や秘めた想いにも向き合うことになる……。

 

この小説では犯罪こそ起きないものの、日常に潜む謎を解き明かす面白さがあり、伏線と回収の手法は本格ミステリーに則ったものになっています。身の周りに起きる出来事が演目に因んだ内容になっていることから、歌舞伎に精通している方ほど堪能できるでしょう。また、語り手の桜子のサイドストーリーも魅力的。自分には存在価値がないと思い込んでいるほど自己評価の低い彼女が、探偵稼業を通して父親への誤解とわだかまりを解いていき、諦観を克服していく過程は十分読ませます。歌舞伎の世継ぎに関して、同性愛の要素を含んでいる点も今日的でした。

 

法月綸太郎の不覚 法月綸太郎

 

講談社サイトより

【収録作品】「心理的瑕疵(かし)あり」首吊り自殺物件に住むライターが同じ死に方で発見される。しかし、自殺だとすると現場には不可解な謎があって――?「被疑者死亡により」〈交換殺人〉の疑いを晴らしてほしい。だが養父を亡くした依頼人には、多額の死亡保険金が転がり込む予定で――。「次はあんたの番だよ」ランナーが公園で目撃した“女の幽霊”。その顔は二日前に殺された資産家女性と瓜二つだった。「平行線は交わらない」(書き下ろし)和菓子屋店主が殺された事件。背景には和菓子経営者の兄弟の因縁が……?

 

エラリー・クィーンに倣った、父親が警視、息子が作家の設定のシリーズの最新刊です。四つの短編はいずれも話が些か込み入っていて、物語が円滑に進まないきらいがあります。それでも、ベテランならではの本格ミステリーを味わえます。「心理的瑕疵あり」は、フリーライターが事故物件に住んだら前の入居者と同じ死に方をしたという一点だけでそそられるものがあります。事件の真相も老齢と貧困になった日本社会を反映したオチになっています。「被疑者死亡により」は交換殺人を扱った一編ですが、その背景にはこちらも高齢化社会が否応なく浮き彫りにされ、少々暗い気持ちにさせられます。「次はあんたの番だよ」は、アンソロジー集『最後の一行』にも収録されています。老女が放つ最後の一言にゾッとさせられる一方、法月親子がディスカッションする際にも記録に残さねばならぬことから、警察も法令遵守の徹底化の流れに逆らえないことを感じました。「平行線は交わらない」は老舗和菓子店の事業を巡る泥仕合から起きた殺人事件で、ミステリーより骨肉争いの話のほうが下世話で面白かったです。

 

ふつうの家族 辻堂ゆめ

 

講談社サイトより

湘南の地に一戸建てを構える桜(さくら)石(いし)家。何か特別なところがあるわけではない、絵に描いたような「ふつうの家族」の、はずだった。ある嵐の夜、桜石家に現れたのは一人の若い男。高熱をだして倒れ込んでいた男は家族の誰かが引き入れたに違いない。誰が、なんのためにこんなことをしたのか? 家族が互いに疑念を募らせていくうちに、それぞれ家族には言えなかった「秘密」があぶり出されていく――。

 

大型台風の最中、若い男が玄関の三和土に倒れ込んでいて、彼を介抱するうちに家族4人が抱えていた秘密が露わになっていく物語です。予備知識のないまま読んだので、パオロ・パゾリーニの「テオレマ」のように、家族が謎めいた男の魅力の虜となって崩壊していく話かと思っていました。しかし、犯罪の兆候は一切なく、読み終わってみると意外にも心温まる家族小説でした。謎の若い男は何者か?に焦点が当てられ、話が進むうちに家族の気づかないところで繋がっている点に、僅かにミステリーの香りが感じられます。ボンクラ好きとしては自覚のない昭和のパワハラ親父と甘ちゃんの平成長男の言動に苦笑しつつ、昭和と令和の仕事に対する姿勢の落差と父子の失態?を楽しませてもらいました。

Michael マイケル 公式サイト

 

映画.comより

野心家の父ジョセフのもとで厳しいレッスンを受け、兄弟グループ「ジャクソン5」のメンバーとして幼くして成功を収めたマイケル・ジャクソン。やがて名プロデューサーのクィンシー・ジョーンズと出会った彼は、ソロアーティストとして数々の歴史的名曲を生み出し、瞬く間に時代の寵児となっていく。しかしその栄光の裏には、早熟の天才ゆえの孤独感や、強権的な父の呪縛、家族への愛と自分の中にあふれるビジョンとの間で葛藤するひとりの人間の姿があった。

 

製作:アメリカ

監督:アントワーン・フークア

脚本:ジョン・ローガン

撮影:ディオン・ビープ

美術:バーバラ・リング

音楽:ジョン・ウォーハースト

出演:ジャファー・ジャクソン ジュリアーノ・クルー・ヴァルディ コールマン・ドミンゴ

              ニア・ロング ケンドリック・サンプソン マイルズ・テラー ローラ・ハリアー

2026年6月12日公開

 

マイケル・ジャクソン関連の映画では、彼が亡くなった年に公開された「THIS IS IT」を劇場鑑賞しています。リハーサル映像を基にしたドキュメンタリーだったせいか、途中で寝落ちしてしまいましたが・・・。

 

本作は60年代のジャクソン5から1988年のロンドン公演までのマイケル・ジャクソンの足跡を描いています。70年代から80年代にかけて洋楽に接してきた者ならば、彼に纏わるエピソードはほぼ知っていることばかりのため、お浚いをするような感じで観ました。

 

マイケル・ジャクソンの甥っ子が演じていることもあって、本人との違和感は然程なく、ステージ上のパフォーマンスもジャクソン家の血筋を感じさせるほど様になっていました。また、劇中では代表的なヒット曲が次々と流れ、その楽曲の魅力の勢いで、最後まで突っ走った感じがしました。

 

マイケルの奇行に関してはある程度踏み込んではいるものの、本当にヤバそうな話題には触れていません。スキャンダラスな面を知りたいのであれば、Netflixの配信しているドキュメンタリーを見たほうがいいかもしれません。

 

個人的には大ヒットしたアルバム「スリラー」以前のマイケル・ジャクソンの音楽に惹かれていて、前半のジャクソン5の楽曲を聴くと、改めて名曲揃いだったことを認識しました。

 

全盛期のみの伝記映画とは言え、全てを盛り込むことは不可能で、ダイアナ・ロスとの交流など、抜け落ちている部分があるのは致し方ありません。ただ、兄のジャーメイン、姉のラトーヤは登場しているのに、ジャクソン家ではマイケルの次に有名な末妹のジャネットを全く見せなかったのは解せませんでしたが、ジャネット本人がお断りしたらしいですね。

 

DVDあらすじより

ある夏の週末、うだるような暑さの中で未亡人(オリヴィア・デ・ハヴィランド)が自宅のエレベーターに閉じ込められてしまう。電気系統の故障で床面から3メートルほど上昇して止まったエレベーターは、やがて拷問部屋と化し、未亡人は恐怖と絶望の淵に追い込まれる。助けを求めて、非常ベルを鳴らす夫人。しかし、それを聞きつけてやってきたのはアル中のホームレス(ジェフ・コーリィ)だった。彼は売春婦(アン・サザーン)を連れ込み、続いて不良の3人組(ジェームズ・カーン、ラファエル・キャンポス、ジェニファー・ビリングスリー)が侵入。手当たり次第に屋敷を荒らし、残虐な行為を重ねる3人。そして、ついに死者が出てしまう。

 

製作:アメリカ

監督:ウォルター・E・グローマン

脚本:ルーサー・デイヴィス

撮影:リー・ガームス

音楽:ポール・グラス

出演:オリヴィア・デ・ハヴィランド アン・サザーン

             ジェフ・コーリィ ジェームズ・カーン

1964年9月12日公開

 

映画の冒頭では息子のマルコムが母親のことをダーリンと呼んでいる時点で、この母子が普通の関係にないことを匂わせています。マルコムは自殺を仄めかす手紙を置いて家を出て行きますが、未亡人のヒルヤード夫人は手紙の内容を知らずに息子を送り出します。

 

ヒルヤード夫人は腰を痛めていることから、階段の上り下りができず、自宅で鳥かごのようなエレベーターを使って1階と2階を移動しています。ところが、電線が切れたため自宅は停電になり、彼女が乗っていたエレベーターが止まり閉じ込められた状態になります。

 

一応、エレベーターには非常ベルが設置されてはいるものの、いくらボタンを押しても外部の人間は自宅の様子を見に来てくれません。そうこうするうちにアル中の浮浪者が家の中に入り込んできて、金目の物を奪って故買屋に売ってしまいます。そればかりか、顔見知りの売春婦に話を持ちかけ、家の中にある物を根こそぎ持って行こうとします。

 

ところが、故買屋で浮浪者が分不相応の物を買い取ってもらおうとしていたのを見かけた三人組が、浮浪者の後をつけてヒルヤード夫人の屋敷に押し入り、更なる傍若無人な行為をして彼女に絶望を味わわせるというのがこの映画の大筋です。

 

エレベーターに閉じ込められた女性が、暴虐の限りを尽くす悪党たちの行為を目の当たりにしながらどうすることもできない状況は、いくらでも面白くなる要素が詰まっているにも関わらず、設定を活かしきれていないもどかしさがあります。

 

悪党たちが家に入りこんでから、外部との関係から生じるサスペンスも不足していて、ジェームズ・カーンを始めとする若者たちの人を人と思わない行為ばかりに焦点を当てたのも疑問に残りました。また、息子の自殺の件も結局彼がどうなったのかは見せず、投げっぱなしにして終わる点も消化不良でした。

 

ただ、この映画のジェームズ・カーンのキャラクターは、存在感が抜群で目を瞠りました。この時の芝居が後の「ゴッドファーザー」における凶暴な長男ソニー役に繋がったとすれば、観る価値はあるでしょう。また理不尽さと言う点ではスタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」の少年4人組、ミヒャエル・ハネケの「ファニーゲーム」の二人組の先駆けとも思えます。

 

本作では盗みを働く浮浪者と売春婦、傲慢不遜な振る舞いをする三人組、盗みを横取りする強欲な故買屋など、ろくでもない連中が跋扈しますが、一番怖いのは非常ベルを鳴らしても誰も助けに向おうとはしない“普通の”人々の無関心さかもしれませんよ。

 

 

 

DVDあらすじより

1963年9月のある日、オレゴン州立精神病院に一人の男が連れられてきた。ランドル・P・マクマーフィ。彼は刑務所の強制労働を逃れるために狂人を装っていた。しかし精神病院はもっと悲惨な状況にあった。絶対権限を持って君臨する婦長によって運営され、患者たちは無気力な人間にされていたのだ。さまざまな手段で病院側に反抗しようとするマクマーフィに、患者たちも心を少しずつ取り戻し始めた。そんな彼の行動に脅威を感じた病院は、電気ショック療法を開始するが、マクマーフィも脱走を計画し始める・・・。

 

製作:アメリカ

監督:ミロス・フォアマン

脚本:ローレンス・ホウベン ボー・ゴールドマン

原作:ケン・キージー

撮影:ハスケル・ウェクスラー

音楽:ジャック・ニッチェ

出演:ジャック・ニコルソン ルイーズ・フレッチャー ウィリアム・レッドフィールド

1976年4月3日公開

 

この映画はかなり昔に一度観たきりなので、マクマーフィが船で沖に出て、患者たちに釣りをさせる場面を丸々忘れていたくらい、断片的な部分しか憶えていませんでした。

 

元々この作品はカーク・ダグラス主演で上映された戯曲を、カーク・ダグラスが自身を主演にして映画化しようとしましたが、様々なトラブルに見舞われるうちに、年を取り過ぎて映画化するタイミングを逃しました。

 

その後、父親から映画化権を引き継いだ息子のマイケル・ダグラスがプロデューサーを務め、アカデミー賞で主要5部門(作品賞・監督賞・主演男優賞・主演女優賞・脚色賞)を受賞するまでの作品が製作された経緯がありました。

 

刑務所と精神病院の違いはあれども、ジャック・ニコルソンが監獄の空気を変えていく「暴力脱獄」のポール・ニューマンと同じ雰囲気を漂わせ、ルィーズ・フレッチャーが使命感の強すぎるあまり、杓子定規で患者を縛る婦長ラチェッドを憎々しげに演じている功績は認めても、物語が全体に地味で、今となっては不朽の名作と言う程の映画とは思えませんでした。

 

それでも、人間の尊厳を考えさせられるマクマーフィの結末と、自由への象徴とも言えるチーフの行動によって、作品への印象がだいぶ良くなったように思います。

 

DVDあらすじより

南フランスの海辺の小さな町。小糠雨がそぼ降る日、見慣れぬ男が町に降り立った。その夜、男は夫の帰りを待つ女メリーを襲った。訳も分からぬまま、いったんは打ちのめされたメリーだったが、隙を見て地下室にいた男をショットガンで射ち殺し、死体を海に捨てた。その翌日、ドブスと名乗るアメリカ人がメリーの前に現れ、訊いた。「なぜあの男を殺したのか?」と・・・。

 

製作:フランス イタリア

監督:ルネ・クレマン

脚本:セバスチャン・ジャプリゾ

撮影:アンドレアス・ヴァインディング

美術:ピエール・ギュフロワ

音楽:フランシス・レイ

出演:チャールズ・ブロンソン マルレーヌ・ジョベール ガブリエーレ・ティンティ

             ジル・アイアランド コリンヌ・マルシャン アニー・コルディ ジャン・ギャヴァン

1970年4月18日公開

 

この映画を観たのは遥か昔の高校生の頃で、おまけにテレビ放映の吹替版でした。あまり内容は憶えてはいなく、メリーがレイプされる前に謎の男から腹にグーパンチを食らうのだけは妙に憶えていました。DVDの字幕版で観るとヒロインのマルレーヌ・ジョベールの声が意外と可愛らしく、幼い感じだったのも意外でした。

 

ルネ・クレマンは「太陽がいっぱい」に代表されるように、サスペンスの演出に定評があり、この作品でもチャールズ・ブロンソン演じるドブスの正体と目的を明かさないことが功を奏して、ヒロインだけでなく観る者にも不安と恐怖を与えています。その一方で、ヒロインの正式名メランコリーに引っ掛けた“陰鬱”なムード作りが巧みで、フランシス・レイの印象的な音楽が不透明さに拍車をかけていました。

 

脚本もセバスチャン・ジャプリゾが手掛けているだけあって、“思い違い”が鍵となってヒロインが翻弄されるミステリーになっている辺りに、彼の特色が出ています。セバスチャン・ジャプリゾは以前にも「さらば友よ」でチャールズ・ブロンソンと組んだことで、彼の魅力を熟知しており、この映画でもその延長線上にある得体の知れぬ男のキャラクターを演じさせています。

 

余談になりますが、普段ブロンソンと佐藤允を重ね合わせたことがないにも関わらず、何故か本作では二人をなぞらえさせたくたくなりました。また、ブロンソン関連で言えば、フランスを舞台にした映画なのに、ここでもジル・アイアランドと夫婦共演をしていましたよ。ただし、劇中ではマルレーヌ・ジョベールとブロンソンがキスしているのを目撃して、その場を立ち去るという演出になっていたのが笑えました。

 

製作:アメリカ

監督:トニー・スコット

脚本:マイケル・フロスト・ベックナー デヴィッド・アラタ

撮影:ダン・ミンデル

美術:ノリス・スペンサー

音楽:ハリー・グレッグソン・ウィリアムス

出演:ロバート・レッドフォード ブラッド・ピット キャサリン・マコーマック

2001年12月15日公開

 

1991年、中国の蘇州刑務所でコレラ感染が発生します。アメリカ人1名と中国人2名の予防接種チームがやってきますが、彼らはCIA工作官のトム・ビショップ(ブラッド・ピット)と中国人協力者でした。ビショップは施設を停電させた上で、牢獄から何者かを救出して脱獄を試みますが、刑務所所長に見破られ逮捕されてしまいます。

 

一方、バージニア州ラングレーでは、CIA工作官のネイサン・ミュアー(ロバート・レッドフォード)が最後の出勤を迎えていました。ところが、ミュアーはCIA香港支局長のハリー・ダンカン(デヴィッド・ヘミングス)から、ビショップがスパイ容疑で中国当局に逮捕されたという報せを受けます。

 

ビショップはかつてミュアーが海兵隊から引き抜き、一からスパイに育て上げた弟子であったことから、フォルジャー工作担当次官(ラリー・ブリックマン)と、彼の部下ハーカー(ステファン・ディラーヌ)から、ビショップについての情報提供を求められます。

 

本来ビショップはダンカンが指揮をとっていた米中通商会談の盗聴作戦に従事するはずでしたが、ビショップが無許可で持ち場を離れたため、フォルジャーたちはその理由を調査していました。ミュアーはビショップの処遇を案じ、彼に関する機密資料を秘書に預けた後、自分は何も知らなかった体を装って調査会に出席します。

 

そこでミュアーは、ホワイトハウスの意向で、ビショップを見殺しにしようとしていること、中国側が24時間後に彼を処刑しようとしていることに気づきます・・・。

 

映画はビショップが中国の刑務所から誰を救い出そうとしたのかは謎として残したまま、話が進んでいきます。中国当局に囚われの身となったビショップを、退官間近のミュアーが味方を欺きつつ、かつての弟子を救出しようとすることが話の軸になっています。

 

まともなスパイ防止法のない日本ならばいざ知らず、アメリカと中国ならばスパイ同士の捕虜の交換は日常茶飯事で助け出すことも十分可能。ところが、ホワイトハウスは中国との自由貿易交渉にあたり、親密さを演出したい意向があり、ビショップを見殺しにしかねない状況にあります。

 

ミュアーはCIA内部に居ながら一部の情報しか知らされていないため、如何に味方から情報を引き出し、CIA幹部の裏を搔きながら、たった一人でビショップを如何に救い出すかが見どころとなってきます。

 

映画は現在進行形の物語と同時に、ミュアーがビショップにスパイの作法を指南しつつ、作戦を遂行した過去も並行して描かれており、レッドフォードとブラピによる二大スターの共演作に相応しい構成になっています。

 

スパイ映画と言っても、かなり荒唐無稽な描写も散見され、地道で緻密な作戦を好むファンからはそっぽを向かれるかもしれませんが、娯楽作としては十分楽しめました。