パンクフロイドのブログ

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

ブログにご訪問ありがとうございます。

おもに趣味を取り上げています。

未来 公式サイト

 

チラシより

複雑な家庭環境で育ちながらも、祖母の期待に応えて教師になるという夢を叶えた真唯子。彼女の教え子・章子のもとにある日、一通の手紙が届く。差出人は――「20年後のわたし」。半信半疑のまま返事を書くことで、父を亡くした悲しみや、心を閉ざした母との孤独な日々に耐えていた章子だが、母の新しい恋人からの暴力、壮絶ないじめ、そして信じがたい事実が彼女を容赦なく追い詰めていく。深い絶望の中、章子は唯一心を通わせる友人・亜里沙と「親を殺す」という禁断の計画を立てるのだった。そんな章子を救おうと真唯子は、残酷な現実と社会の理不尽さに押しつぶされそうになりながら、それでも手を差し伸べようとするが――。誰もが過酷な運命に呑み込まれようとする中で、「未来のわたし」からの手紙が導くのは、希望か。それとも、さらなる絶望か――。

 

製作:『未来』製作委員会

監督:瀬々敬久

脚本:加藤良太

原作:湊かなえ

撮影:俵謙太

美術:松尾文子

音楽:安川午朗

出演:黒島結菜 山崎七海 坂東龍汰 細田佳央太 近藤華

             玉置玲央 野澤しおり 吹越満 松坂桃李 北川景子

2025年5月8日公開

 

湊かなえの原作は7年ほど前に読んでいましたが、正直、中学時代の佐伯章子への壮絶ないじめと、彼女の母親の恋人の早坂のクズっぷりくらいしか思い出せず、改めて7年前に書いた自分の記事を読んで、映画との違いを確認した次第。

 

イヤミスの女王の原作を映画化した作品だけあって、当然、不快な描写がたんまり盛り込まれており、この点はイヤミスがお好きならば満足できると思います。その反面、真っ当に子供を育てた経験のある親から見ると、正視に耐えられないかもしれません。

 

観客をイヤ~な気分にさせる点は巧く作用している一方、物語の面白さの面では物足りなかったです。また、未来からの手紙の謎も意外性はなく想定内。章子を良く知る大人は限られている上に、章子が筆跡を見れば母親の書いたものではないことが一目瞭然であり、自ずと一人に絞られてきます。

 

過去と現在が交錯する割には、年代が表記されることもあって、時系列を崩してもこんがらがることはありません。ただ、原作を読んでいないと、細田佳央太と近藤華の演じる人物が誰を指しているかは、終盤にならないと判らないかもしれません。

 

この映画では章子役の山崎七海を始め、近藤華、野澤しおりといった若手女優が目を惹き、彼女たちを見るだけでも眼福でした。北川景子も無気力なキャラクターを演じていたせいか、普段とは雰囲気がガラリと変わっていました。

 

劇中では篠宮真唯子がミニシアターで映画を観ている場面があり、川津祐介が林檎を齧る描写があることから、大島渚の「青春残酷物語」と思われます。

 

また、篠宮に想いを寄せる原田が、彼女から大切な人を失った後に元気が出る映画を選んでと言われた際に、小津安二郎の「東京物語」を選ぶのも印象的でした。笠智衆と原節子の会話からなるほどと合点が行き、私ならば何を選ぶだろうと思いながら観ていました。

 

 

シンプル・アクシデント/偶然 公式サイト

 

チラシより

かつて不当に投獄されたワヒドは、ある偶然の事故によって、人生を奪った残忍な義足の看守と出会う。ワヒドは咄嗟に男を拘束し、荒野に穴を掘って埋めようとするが、男は「人違いだ」と言う。実はワヒドは、看守の顔を見たことがなかった。男は、本当に復讐相手なのか?一旦復讐を中断し、看守を知る友人を訪ねるが・・・。

 

製作:フランス イラン ルクセンブルク

監督・脚本:ジャファル・パナヒ

撮影:アミン・ジャファリ

美術:レイラ・ナグディパリ

出演:ワヒド・モバシェリ マルヤム・アフシャリ エブラヒム・アジジ

             ハディス・パクバテン マジッド・パナヒ モハマッド・アリ・エリヤスメール

2026年5月8日公開

 

チラシのあらすじを読み、咄嗟にロマン・ポランスキー監督、シガニー・ウィーバー主演のある映画が思い浮かびました。ただし、本作では拉致した男が拷問した看守と同一人物か?の興味だけでなく、現在のイラン社会の内情まで映し出しているのが、ポランスキー作品とは異なります。

 

ワヒドはかつて監獄で自分を甚振った看守のエグバルと思われる男と遭遇したことから、怒りのあまり彼を拉致してしまいます。ワヒドは直感でエグバルと同一人物と判定しますが、確信するまでには到らず、自分と同じ体験をした被害者たちにも判定してもらおうとします。

 

その結果、ウェディング写真を撮影する女性カメラマンのシヴァ、結婚式を翌日に控えた花嫁のゴリと花婿のアリ、シヴァの元恋人で気性の荒いハミドが同行して正否を問おうとします。アリだけは父親が体制側の要職に就いていたおかげで拷問された経験はなく、ある意味公平な立場にいます。しかし、ハミドは過酷な体験をしたことのないアリを軽く見ている節があり、両者はしばしば対立します。

 

このハミドが結構ヤバい奴で(笑)、復讐に前のめりになるあまり、険悪な空気になっていきます。ダメンズ好きには大好物のキャラクターでもあり、話を面白くしています。深刻な問題を扱っている割には、意外と滑稽味を醸し出しているのは、ハミドのキャラクターに負うところが大きいでしょう。

 

監獄に入っていた時は目隠しをされたため、ハミド以外は誰も確信が持てず、ズルズルと時間だけが過ぎていきます。ところが、ある出来事をきっかけに、復讐を試みようとする人々に意識の変化が現れてきます。

 

よくよく考えればかつての被害者たちが、憶測で男を拉致して復讐を遂げようとする行為自体、自分たちの意思にそぐわない者に対して人権侵害を加えるイランの現体制側と然程変わりないとも言え、こうした白黒つけない構図がジャファル・パナヒらしいと思えます。また、ハンナ・アーレント風に言えば、拷問したエグバルも命令に従っただけの平凡な人間による“凡庸な悪”に過ぎず、多角的な視点で捉えようとする監督の演出の意図が光っています。

 

個人的には警備員がクレジットカードで賄賂を決済したり、花嫁姿を目にしたガソリンスタンドの店員がお祝いを口実にガソリン代を割り増しするようねだったり、日本と全く価値観の異なる光景が物珍しかったです。最終的にはモヤモヤした感情にどのように折り合いをつけていくかが焦点になってきます。最後は何とも意味深な終わり方をしていて、心をざわつかせました。尚、この映画は昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞しています。

こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:アメリカ

監督:ジョン・ヒューストン

脚本:ベン・マドウ

原作:アラン・ルメイ

撮影:フランツ・プラナー

音楽:ディミトリ・ティオムキン

出演:バート・ランカスター オードリー・ヘップバーン

             オーディ・マフィ リリアン・ギッシュ

1960年10月6日公開

 

テキサスで牧場を営むザカリー家は長男のベン(バート・ランカスター)、母親のマティルダ(リリアン・ギッシュ)、次男のキャッシュ(オーディ・マフィ)、三男のアンディ(ダグ・マクルーア)、養女レイチェル(オードリー・ヘップバーン)の5人で暮らしていました。ベンはインディアンに殺された亡き父の跡を継ぎ、牧場経営も順調に行っていました。

 

また、近隣の牧場主ゼブ・ローリンズ(チャールズ・ビックフォード)はベンを信頼し、一家と親しい付き合いをしていました。ゼブは、美しく成長したレイチェルを長男チャーリー(アルバート・サルミ)の嫁に、長女をザカリー家の息子に嫁がせようと考えていました。

 

そんな矢先、エイブ・ケルシー(ジョゼフ・ワイズマン)という怪しい老人が近辺をうろつき、「レイチェルにはインディアンの血が流れている」との噂を吹聴します。やがて、カイオワ族の首領ロスト・バードがザカリー家を訪ね、生き別れた妹を返せと迫ります。

 

ベンはその要求を拒絶しますが、ある夜、レイチェルとの婚約のため一家を訪ねたチャーリーが、帰途待伏せたカイオワ族に惨殺されます。その結果、ゼブの妻は罪のないレイチェルを責めます。ベンはケルシーを捕らえ、縛り首にしようとします。すると、ケルシーはベンの父親ウィルに纏わる恐ろしい過去を語り出すのです。

 

オードリー・ヘップバーンは、「午前十時の映画祭」では何故か優遇されていて、彼女の主演映画は必ず一本ラインナップに入っています。一方、マリリン・モンローは「お熱いのがお好き」「ショウほど素敵な商売はない」、端役の「イヴの総て」くらいで、その扱いの違いにボヤきたくなります。

 

ただ、優遇のおかげで、スクリーンで観ることは叶わないと思われた「いつも2人で」を観られたのですから、文句を言う筋合いでもないでしょうね。こうなると「暗くなるまで待って」は勿論、「緑の館」「尼僧物語」「噂の二人」も期待したくなります。

 

「許されざる者」もスクリーンで観られないと思っていた一本で、ジョン・ヒューストンとオードリー・ヘップバーンの組合せが作品にどのような作用を引き起こすのか、興味津々で観ていましたが・・・。

 

結論から申すと、オードリーはかなり重要な役柄なのに、ヒューストンが彼女の魅力を存分に引き出したとは言い難かったです。ヒューストンの作風からランカスターの苦悩のほうに焦点が向いてしまうため、オードリーにあまり見せ場はないように感じました。そもそも彼女でなくても務まる役に思え、ヒロイン役なのに添え物のようにしか見えませんでした。

 

その一方で、従来の白人が正義でインディアンが悪の構図を覆し、開拓民の負の部分を描く点では画期的な西部劇でした。何しろ白人側の所業が酷い。ベンの父親のウィルは、流産したばかりの妻マティルダの為にカイオワ族との戦闘の勝利後に彼らの赤子を攫い、カイオワ族が人質との交換を申し出てもそれを無視する非道ぶり。

 

そのせいで、かつてウィルと交流のあったケルシーは、人質に囚われた息子が殺されたため、ザカリー家に恨みを抱くのも無理はありません。また、ベンが牛追いに雇ったインディアンに、無報酬でケルシーを追わせるくだりも、白人の底意地の悪さを感じさせます。本来正義に立つ側が、悪党とさして変わらぬ立ち位置に居る点に、この西部劇の奥深さが垣間見えます。

 

終盤のカイオワ族の襲撃の際に、オードリーが取った行動と犠牲者を出したことはほろ苦さが残り、必ずしも大団円とはなりません。そもそもの元凶はカイオワ族の赤子を攫ったことにあり、一番の“許されざる者”は一度もスクリーンに映らなかったウィルであることを思うと、タイトル自体が何やら皮肉めいたものを感じさせました。

ひつじ探偵団 公式サイト

 

チラシより

イギリスの田舎町で、愛するひつじたちと共に一人で暮らすひつじ飼いのジョージ。彼は毎晩、たくさんのひつじたちに探偵小説を読み聞かせています。彼らが物語を理解し、その時間を楽しみにしていることも知らずに・・・。ある日、そのやさしいジョージが死体で発見されます。これが事故だと信じようとしないひつじたちは、最も賢いリーダーのリリーを筆頭に、老若雄雌!?のひつじたちが結束して捜査を開始!手がかりを追ううちに、ジョージには47億円の巨額な遺産があったことが発覚!みんな、みんな、あやしい!果たしてひつじたちは犯人を見つけ出し、愛するご主人の無念をはらすことができるのか??

 

製作:アメリカ

監督:カイル・バルダ

脚本・原案:クレイグ・メイジン

原作:レオニー・スヴァン

撮影:ジョージ・スティール

美術:スージー・デイヴィーズ

音楽:クリストフ・ベック

出演:ヒュー・ジャックマン ニコラス・ブラウン モリー・ゴードン

             ホン・チャウ エマ・トンプソン

2026年5月8日公開

 

羊が探偵役となって飼い主を殺した犯人を見つけ出すという話からは、キワモノとしか思えませんでした。ところが実際に観てみると、正攻法な作りをしていて、犯人も意外性があり、アメリカ映画にも関わらず、英国の古典的なユーモアミステリーの味わいがありました。勿論、羊が直接犯人を捕らえる訳でなく、のどかな田舎町に一人しか居ない警官にヒントを与えつつ、逮捕まで導く話の流れになっています。

 

また、事件を捜査するデリー巡査が誠に頼りなく、少々間抜けなキャラクターがこの映画ではいい味を醸し出しています。序盤を観る限りでは安易に事故として処理しようとしたり、取材に来た記者のエリオットから現場に指紋がつくことを注意されたり、「この人、大丈夫?」と不安になってきます。それでも、羊たちに助けられながら次第にスキルが上がって行き、彼自身が成長していく過程がボンクラ好きにはツボに嵌ってしまいました。

 

捜査の途中、容疑者を見誤りつつも、最後に犯人からの嘲りを逆手に取って、グウの音も出ないほどの証拠を突きつけ美味しいところを攫うなど、本格ミステリーの王道な展開も小気味よかったです。他にも、CGによる羊たちが、頭脳明晰なリリーを筆頭に、孤高の存在のセバスチャン、記憶力抜群のモップルなど、それぞれ個性があり観ていて飽きませんでした。

 

その一方で、羊たちの思い込みや迷信、冬生まれの羊を排除する価値観など、人間社会を映し出す比喩表現も見られ、そこは些か小賢しい気がしないでもなかったです。それでも、冬生まれの子羊がデリー巡査に重要なヒントを与える手助けをしたり、最後は羊たちの仲間に入れてもらえたり、実に後味の良い終わり方をするので、全体として観れば好印象を残しました。

 

今回は忍者モノについて。現代劇の「忍者部隊 月光」を除けば、初めて時代に即した忍者モノをテレビで見たのは「風のフジ丸」の再放送だったと思います。いつも番組の最後には本間千代子を聞き手にして忍術の解説をしていましたっけ。自宅にテレビがあるにも関わらず、夕方に放映されていたこの番組を、何故か1歳下の友人宅で毎週見ていました。どのような経緯でそのような習慣になっていたのか、今となっては思い出せませんが・・・。

 

その次に興味を引いたのは「仮面の忍者 赤影」でした。横山光輝の原作を読んでいませんでしたが、この当時は怪獣モノの延長で見ていた気がします。また、悪役で鳴らす天津敏を意識したのも「赤影」が最初で、その憎々しい存在感は子供心ながら印象に残りましたよ。

 

青影を演じていた金子吉延は、他にも「河童の三平 妖怪大作戦」などに出演していた子役で、「だいじょ~ぶ」と言いながら独特のポーズをするのが、子供たちにはウケていました。同じ金子姓でも「悪魔くん」「ジャイアントロボ」に出演していた金子光伸は女子ウケする子役でしたが、ボンクラな雰囲気のある金子吉延のほうに親近感がありました。

 

藤子不二雄原作の「忍者ハットリくん」の実写版も放映されていまして、「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」では、中学生の松坂慶子がハットリくんの居候先の長女役で出演していました。一時期、ハットリくんの敵役のケムマキけんぞうが杉良太郎ではないかと噂されましたが、別人でしたね。登場人物のネーミングも気が利いていて、教師役の花岡実太(鼻を齧った)、新珠下駄代(あら、魂消たよ)など、可笑しみがありました。

 

マンガの世界で言えば忍者モノには白土三平は欠かせなく、当然アニメ化された代表的な二作があります。ひとつは「サスケ」で、主人公が少年忍者という点では「風のフジ丸」と同じながらも、思い入れがあるのは「サスケ」のほうです。体格にハンデのある子供が忍法を駆使して、敵を倒す点に快感を覚えたと思います。その一方で、己の未熟さから忍者に憧れる子供たちを死なせてしまう苦さや、良かれと思ってしまったことが裏目に出る皮肉な面も描いており、必ずしも勧善懲悪にしていない点が、子供に媚びない日本のアニメの良さであることが感じられました。

 

もうひとつの「忍風カムイ伝」は水原弘の主題歌からしてグッときます。抜け忍として常に狙われる設定が緊張感を持続させ、話を面白くしています。特に「暗鬼」の回では、川近くの小屋で天候の回復を待つ中、誰が追っ手なのか分らぬまま、一人また一人と死んでいき、最後はカムイ一人が残って・・・という話でアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を連想させます。追っ手の正体がまさか?という意表を突き、屈指のミステリーとなっています。

 

お時間があればご覧ください

 

他にも小学6年生の頃に「変身忍者 嵐」が放映されていましたが、子役時代の林寛子が出演していたにも関わらず、こちらは何故か全く見ていませんでした。同じ時期に放映されていた「快傑 ライオン丸」で満足しちゃっていたからかなぁ・・・。

SAKAMOTO DAYS 公式サイト

 

映画.comより

かつて「史上最強」と恐れられた殺し屋・坂本太郎は、コンビニで働く女性・葵に一目ぼれして恋に落ち、殺し屋をあっさりと引退する。結婚と娘の誕生を経て個人商店「坂本商店」の店長となった彼は、家族との幸せな日々を送るなかで、かつての面影がないほどに太っていた。そんなある日、坂本に突如として10億円の懸賞金がかけられ、世界中から刺客が襲いかかってくる。坂本はかつての部下であるエスパー能力者シンを相棒に、平和な日常を守るべく立ち上がる。

 

製作:『SAKAMOTO DAYS』製作委員会

監督・脚本:福田雄一

アクション監督:田渕景也

原作:鈴木祐斗

撮影:小島悠介

美術:高橋努

音楽:瀬川英史

出演:目黒蓮 高橋文哉 上戸彩 横田真悠 塩野瑛久 渡邊圭祐 桜井日奈子 安西慎太郎

             戸塚純貴 八木勇征 生見愛瑠 北村匠海 小手伸也 加藤浩次 津田健次郎 吉本実由

2026年4月29日公開

 

漫画原作を読まず、テレビアニメも見ていない状態で、この映画に臨みました。予告編からあらかじめ荒唐無稽なアクション映画であることは承知していました。アクション自体は海外の『ジョン・ウィック』、国内の『ベイビーわるきゅーれ』などで見慣れているので、然程驚きはありません。ただ、さすがにそんな物で飛び道具や刃物に対して防御できないでしょと思わせる描写が目につき、何でもかんでも荒唐無稽で済ませば許されるとは思うなよと言いたくもなりました。

 

また、上戸彩が目黒蓮に殺し屋をやめさせようとする場面で、ある危険な行動を起こすのですが、そこまで危険を冒す必要はないし、寧ろ主人公を欺いた上で命の大切さをアピールしたほうがスマートな演出のように思えましたよ。実際、目黒蓮は上戸彩を助けようとして間に合わなかったですし・・・。他にも笑いを取りに行く場面で、私にはスベっているようにしか思えなく、福田雄一の作品を何本か観ている者としては、そもそも監督とは感性が合わないのかもしれません。

 

それでも、上戸彩は40歳過ぎても若々しい上に愛らしく、本作ではこの点だけは良かったと言ったら、作り手に怒られるかな?今回は殺し屋を殺していく黒幕の正体が分かったところで終わっていて、まだ決着がついていないため続きがありそうですね。

プラダを着た悪魔2 公式サイト

 

映画.comより

ニューヨークの一流ファッション誌「ランウェイ」のカリスマ編集長として、ファッション業界の頂点に君臨するミランダ。かつてそのアシスタントに採用され、厳しく完璧主義な彼女のもとで奮闘する日々を過ごしたアンディは、現在は報道記者として活躍していた。そんなある日、ミランダとその右腕ナイジェルが危機に直面していることを知ったアンディは、特集エディターとして「ランウェイ」編集部に舞い戻る。さらに、アシスタント時代の同僚エミリーとも再会するが、彼女はラグジュアリーブランドの幹部として「ランウェイ」存続の鍵を握る存在となっていた。それぞれの夢と野望がぶつかり合うなか、事態は思わぬ方向へと展開していく。

 

製作:アメリカ

監督:デヴィッド・フランケル

脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ

原作:ローレン・ワイズバーガー

撮影:フロリアン・バルハウス

美術:ジェス・ゴンコール

音楽:セオドア・シャピロ

出演:メリル・ストリープ アン・ハサウェイ エミリー・ブラント スタンリー・トウッチ

2026年5月1日公開

 

アンディは高級ファンション誌「ランウェイ」の仕事を辞めた後、報道畑で働き続けていましたが、栄えある受賞式の会場で人員整理とチームの解体をメールで告げられ失業してしまいます。折しも、カリスマ編集長のミランダも問題のある企業を絶賛する記事を「ランナウェイ」誌に載せたことから、広告主から苦情が殺到し自身の立場が危うくなります。

 

ファッション誌への批判が他部門にも影響が及ぶのを怖れたオーナーは、アンディを特集ページの担当者にすることをエサに直々にスカウトし(これも実は裏にカラクリがあり)、事態の収束を図ろうとします。古巣に戻ったアンディが20年ぶりにミランダとの再会を喜ぶのに対し、ミランダは些か冷ややかな反応。アンディが新たな職に就いたことによって、今までその地位に居た女性が職を失うことをあからさまに示す意地の悪さが20年経っても変わっていません(笑)。

 

アンディはミランダやナイジェルと共に広告主の元に謝罪に赴き、そこでかつて「ランウェイ」で一緒に働いていたエミリーが小売業に転身していたことを知ります。エミリーは広告を出している立場から代償を求め強気の交渉を行なってきます。昔のよしみで・・・といった具合にはならず、あくまでビジネスライクに徹します。尤も、エミリーにも強気に出る理由が終盤になって明らかになるのですが・・・。相手に譲歩し過ぎるミランダに対しアンディは不満をぶつけますが、ミランダはアンディを車に同乗させず地下鉄で帰れと命じるのがちょっと笑えます。

 

アンディの書いた謝罪文によって事態は一旦収束したにも関わらず、ミランダはそのことを素直に認めようとはしません。それでも、なかなかインタビューに応じようとしなかった著名人のインタビューをアンディが取り付けたことによって、ミランダも彼女の実力を認めるようになります。そうこうするうちに、今度は社内のある人物の急変によって、「ランウェイ」自体の存続が危ぶまれることになると言うのが、大まかな話の流れです。

 

前作から20年経っても、主要キャストの4人(アン・ハサウェイ、メリル・ストリープ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチ)が引き続き出演したことで、味わいのある作品に仕上がっていました。ミランダの嫌味を含んだ毒舌振りは相変わらずで、コンプラの点から度々アシスタントが口を挟んで注意してくるのが20年前とは違うところでしょうか。ただし、本人もある程度失言だということは自覚しているようで、毒舌にしても前作ほどの辛辣さは影を潜めています。

 

ナイジェルは前作同様、アンディからの不満のはけ口と緩衝材の役割を果たし、アンディとミランダとの潤滑油の存在にもなっています。また、劇中では出版界の不況を裏づけるように買収話も持ち上がり、紙媒体を続けることの難しさも窺えます。尚、本作ではある大物のカメオ出演があり、予告編やチラシなどでも伏せられていただけに、ちょっとした驚きがありした。

 

 

 

私のせいではありません 水生大海

 

新潮社サイトより

美大の同級生だった陽向、瑠璃、未緒、乙羽。四人展を開催するくらい仲が良かったが、卒業後に現れた男の存在が関係を歪ませる。久しぶりの再会の場となった瑠璃の結婚式で明かされた、六年前に大学で起きた事件の真相とその罪とは。ギャラリーストーカー、セクハラ、アカハラなど、美術業界の闇とタブーを炙り出す衝撃作。

 

この著者は基本的に話の転がし方が巧みです。本書は結婚披露宴前に美術大学在籍中に起きた事件の話題になり、それが導入部となり、美大の同級生である陽向、瑠璃、美緒、乙羽、そして父親を敬愛していた叶恵の話が綴られていきます。セクハラ疑惑の美大教授の身に起きた事件に始まり、死んだはずのストーカー男が玉の輿に乗った女性の挙式に現れ、更にストーカー男の被害を受けていた女性が美大時代の同級生からデザインの盗用と仕事の横取りをされ、おまけにストーカー男の娘が様々な誤解から恨みを抱き、被害者女性に復讐を果たそうとすると言った具合に、思わぬ方向に飛び火するため片時もページから目を離せなくなります。登場人物の回想によって過去と現在進行形のドラマが交錯する臨場感も然ることながら、枕の部分の教授のセクハラ疑惑が裁判を通して後日譚として白日の下に晒される辺りも爽快感があります。また、恥ずかしながらこの小説を読んで、作品の購入をエサに創作者に付き纏うギャラリーストーカーなる者の存在を初めて知りました。作品を評価するのでなく、容姿で判断されるのは、時代を問わず女性にとって厄介ですね。

 

犯人はキミが好きなひと 阿津川辰海

 

ポプラ社サイトより

名探偵にあこがれる女子高校生・瀧花林。彼女の幼馴染である幣原隆一郎には、ある「特異体質」がある。それは、隆一郎が好きになった女性は、必ず何らかの犯罪に関与していることである。悪女にどうしようなく惹かれる隆一郎(花林いわく、「女の趣味が悪い」)の特殊体質をヒントに、花林は数々の事件の謎を解き明かす。そして、恋は衝撃の結末を迎える――!? 

 

本書は幼馴染の好きになった女性が悉く罪を犯すことから、名探偵に憧れる少女が彼の「特異体質」を利用して、事件を解決していく短編集です。幼馴染の好きな女性を特定できれば、後は犯行手段と動機を見つければOKとなる訳で、倒叙ミステリーの変形と言えます。10代の少女が探偵役となるため、自ずとライトなミステリーの作りになっており、ラブコメ要素も意外と濃いです。伏線と回収はしっかりしているため、ミステリーとして問題はないものの、阿津川辰海が何もこの分野に手を出さなくても・・・という思いもあります。まぁ、最終話のオチを読む限りでは、シリーズ化はなさそう(と思いたい)。

 

君のクイズ 小川哲

 

朝日新聞出版サイトより

生放送のTV番組『Q-1グランプリ』決勝戦に出場した三島玲央は、対戦相手・本庄絆が、まだ一文字も問題が読まれぬうちにボタンを押し正解し、優勝を果たすという不可解な事態を訝しむ。いったい彼はなぜ、正答できたのか? 真相を解明しようと彼について調べ、決勝戦を1問ずつ振り返る三島はやがて――。

 

本書は2年前に読んでいますが、近々映画が公開されるので記事にしました。この小説ではクイズ番組内で不正が働いていたのか?もし、働いていなかった場合、どんな方法によってあらかじめ出される問題が想定できたのか?この2点に興味が絞られます。犯罪こそ発生していないものの、一見不可能と思われる犯罪を合理的に解決する、本格ミステリーの面白さが味わえます。クイズには問題の中で答えが確定するポイントがあり、問題が 読まれる前に無限に存在していた選択肢は、問題が読まれるにしたがって選択肢の数を減らしていきます。クイズ番組ではしばしば回答者が問題を読んでいる途中に、ボタンを押して解答することがありますが、最終的にどんな問題なのか確定できたタイミングでボタンを押しており、そのタイミングを見極めるのが重要となっています。しかし、本庄の場合は問題を一言も発しないうちに解答できており、この点が最大の謎となっています。その謎も最後は三島の論理的な推理によって解決されます。しかし、本庄はクイズに関して次のビジネスに繋げるためのステップとしてしか捉えてなく、そのことが三島にとってほろ苦い結末となって返ってきます。本書はクイズの裏側を覗ける楽しみがあり、答えを導き出すためにクイズプレーヤーの思考回路は、このような構造になっているのかが分かる点も興味深かったです。

 

DVDあらすじより

サウス・フロリダに事務所を構える弁護士ネッド・ラシーンは、ある暑い晩、白いドレスの美しい女に出逢う。彼女の名はマティ・ウォーカー。その日以来どうしても彼女を忘れられないネッドはついに彼女を探し出し、互いに激しい欲望をぶつけ合う。誰にも知られることのない情事は、やがてマティの20歳も年上の夫の殺人計画を紡ぎ出していく・・・。

 

製作:アメリカ

監督・脚本:ローレンス・カスダン

撮影:リチャード・H・グライン

美術:ビル・ケニー

音楽:ジョン・バリー

出演:ウィリアム・ハート キャスリン・ターナー リチャード・クレンナ ミッキー・ローク

1982年2月27日公開

 

キャスリン・ターナーの裸が見られるのは勿論嬉しいですが、彼女のヌードがなくても十分官能的な犯罪映画です。キャスリンに翻弄されるウィリアム・ハートが女たらしの弁護士役なのも、的を射た適役に思えます。

 

ネッドが最初からマティに手玉に取られていることは、マティが夫殺しの話をネッドから持ちかけるよう仕向けていることからも十分伝わってきます。ネッドに寝取られる富豪がリチャード・クレンナなのも、「ランボー」のトラウトマン大佐役だったことを思うと、味わい深い感じがしてきます。

 

ただ、隠微なムード満点なのに、完全犯罪を目論むにしては、爆弾を使用するのは無粋な気がしないでもありません。尚、この映画では若き日のミッキー・ロークも拝め、主人公の犯罪に加担する爆弾魔の役で出演しています。

 

マティは夫が死ねば、黙っていても半分遺産が貰えるにも関わらず、欲を掻いて全財産を自分の物にすべく、ネッドに相談せずに小細工を弄したために、ネッドと仲の良い刑事や検事から二人とも疑われる羽目になります。殊に遺産相続の権利のある姪が、事件前に二人の情事を目撃しているだけに、ネッドは窮地に立たされます。ここで彼の女たらしの才能の一端が発揮され、少女にも有効なのかとちょっと笑えます。

 

一方、マティは共犯のネッドも亡き者にしようと考えていて、罠を仕掛けてきます。ネッドも彼女の意図に気づき、そのことを知った上で、どのように行動するのかが終盤の見どころとなります。まぁ、キャスリン・ターナーを悪女に配した時点で、自ら殊勝に死んでいくとは思えず、ネッドが彼女の隠し技に気づいた時には後の祭りというオチになっています。

 

本作はビリー・ワイルダーの「深夜の告白」を始めとする、愚かな男が悪女の魅力に取り憑かれ利用された挙句に、悲惨な末路を迎える犯罪映画の系譜にあたります。ただし、男が女たらしのキャラクターのせいか自業自得の感が強く、従来の作品の主人公のように気の毒な感じはあまりしません。それでも、ローレンス・カスダンは最後まで興味を惹きつける演出をしていて、初監督作としては上々の出来だったと思います。

 

DVDあらすじより

若く美しい盲目の主婦スージー・ヘンドリックス。いつものように夫を送り出し、安全で居心地の良い自宅のアパートにいたが、彼女しかいないはずの部屋で人の気配を感じる。「なにかおかしい!」彼女は急に不安を感じはじめる。しかしそれは、これから始まる恐怖の幕開けにすぎなかったのだ!

 

製作:アメリカ

監督:テレンス・ヤング

脚本:ロバート・キャリントン ジェーン・ハワード・キャリントン

原作:フレデリック・ノット

撮影:チャールズ・ラング

音楽:ヘンリー・マンシーニ

出演:オードリー・ヘップバーン アラン・アーキン リチャード・クレンナ

              ジャック・ウェストン エフレム・ジンバリスト Jr.

1968年5月1日公開

 

写真家のサム(エフレム・ジンバリストJr.)は、飛行機で知り合ったリサ(サマンサ・ジョーンズ)から人形を預かります。その人形にはヘロインが仕込まれていましたが、そのことを知らない彼は自宅に持ち帰ってしまいます。

 

犯罪組織のリーダーのロート(アラン・アーキン)はマイク(リチャード・クレンナ)、カーリノ(ジャック・ウェストン)を雇い、サムからヘロインを取り戻そうとします。しかし、留守中のサムの自宅の部屋からは人形が見つからず、やがて彼の盲目の妻スージー(オードリー・ヘップバーン)が3人の存在を知らずに帰宅します。

 

翌日、サムが家を出て行くと、マイクがサムの海兵隊時代の仲間と偽って探りを入れ、そのうちロートが初老の男に化けて現れ、自分の息子の妻がよその男と不貞を働いているとスージーに揺さぶりをかけてきます。また、ロートが警察に電話する振りをして警官を装ったカーリノを呼び寄せ、人形の在処を聞き出そうとします。

 

最初は動揺していたスージーでしたが、徐々に落ち着きを取り戻し、彼女の前に現れた3人に違和感を覚えていきます。そして、同じアパートに住む少女グローリア(ジュリー・ハロッド)の手を借りて、自分の身に起きている状況を掴もうとするのですが・・・。

 

人形を巡る手の込んだサスペンスの組み立てがまず面白いです。盲人のスージーを騙して人形を手に入れようとする三人組に対して、彼女が盲人の特技を活かして、彼らの怪しさに気づいて行く過程自体がハラハラさせます。終盤の暗闇になってからの展開がまた圧巻の描写で、オードリー・ヘップバーンがアラン・アーキンに足を掴まれる場面では、叫び声をあげそうなほど強烈な演出をしています。

 

この映画ではヒロインがハンディキャップを負うからこそ、危機に瀕した際に知恵と勇気を振り絞って乗り越えていく姿に、常人の主役以上に心を揺さぶられます。特にか弱いイメージのあるオードリー・ヘップバーンだとその効果は絶大。本作は極上のスリラーであり、彼女の後期の代表作の一本でもあります。また、オードリーがヒロインとして最後の輝きを放った作品と言えるでしょう。