毎夕、雨雨で行動が制限されている。

そして、今日は先ほどから風風の音が・・・・・・
かなりいやーな感じの音。

雨季ももう終わりかな?

ホテルに戻ると、すぐに横になり本を読み始める。
いつの間にか眠ってしまったらしく
気がついたときは朝の4時!
裸でエアコンをつけたままである。。。。。。

結局動き出したのは9時過ぎ。
遅いとは思ったがとりあえず市場へ。
店そのものは営業していたが、食材はあるものの
その場で食べられるような店はあまりなく、
街を散策しながら、食事のできそうな店を探す。

ナーンは外国人旅行者が多くないせいか
また地元の人も朝はあまり外食をしないのだろう、
開いている店はそれほど多くない。

入ったのはLonelyPlanetに紹介されていた
Hot Breadトーストという店。
自家製パンを使った朝食メニューと
隣接してあるカオソイ屋が売りの店だ。
店内にはナーンの歴史に関する本や
観光案内冊子、LonelyPlanetといったガイドブック系のものが置いてあった。

私は2009年8月発行のLonelyPlanetを持って歩いていたが
この店には1版古いものが置かれていた。
この1版古いものにはこの店は掲載されていない。
私が新しいものを読んでいると、
店員が見せてほしいという。
店が紹介されているのを見て、非常に喜んでいた。

店を後にし、国立博物館に向かう。

タイ語で入場料20B,
英語で100B
と書いてあるのはご愛嬌か?

黙って100B札を出すと、
80Bのお釣りが返ってきた
のもご愛嬌?

博物館の1階にはナーンに住む山岳民族に関するものが展示されている。
2階はこの博物館の目玉である
ナーン王朝に代々伝わってきた黒い象牙が展示されている。
日曜日のせいか、タイ人観光客が何組か来ていた。

次にその隣にあるวัดภูมินทร寺へ。
この寺の壁画は有名だ。
とはいえ、かなり傷んでいたのは残念だった。
なおこのお寺はかつてタイの紙幣にも採用されたデザインである。

ナーン市内で行こうと思っていたのはこの2つだけ。
帰りは18時半発の夜行バスなので時間はまだある。

そこで市内から40キロほど離れたวัดหนองบัว寺に行くことにした。
ナーンに行ったのは7年ぶり。
当時はなにもないけど居心地のいい街という印象だった。

今回もその印象は変わらない。

国境から街に戻り、ホテルにチェックイン。
さすがに疲れたのか、食事もせずに横になっていた。
しばらくして散策を開始。
この街はそれほど広くなく、
街の規模はチェンライと似たような感じ。
歩いて移動するのにちょうどいい広さ。
違うのは旅行者の数だ。
外国人観光客はそれほど多くない。
(泊まったホテルも部屋は結構埋まっていたが
なぜか宿泊客と顔を合わせなかった)

街をふらついているときに若者祭り?祭りの垂れ幕を発見。
まだ早かったので、軽く食事を済ませてから会場に向かう。
会場に着く直前、突然の大雨ameameameameame
最初は木陰に避難していたが
風が強くなり、会場内のテントに逃げ込む。
このテントには、参加している若者が控えていた。

突然の闖入者にもかかわらず、彼らは快く受け入れてくれた、
というより雨の中、自分たちだけで盛り上がっていて
無視されていた、というのが正しい。
ずっと黙っていたが、たまたま電話がかかってきて
日本語で話していると

「すいません、今話していたのは何語ですか?」
と英語で聞かれる。

タイ語で答えると、質問攻め・・・・・・
怪しいやつだが、どうやってコミュニケーションをとればいいのか、
戸惑っていただけのようだ。
すると同じテントに日本人がいると教えてくれる。
年配のこの方は写真が趣味で、年に何度かタイに来て
写真を撮っているらしい。
そんな話をしていると彼らが売り物のアイスを持ってきてくれた。

感謝!thanks

このイベントはアンプー単位でなにか出し物をするらしい。
私が逃げ込んだテントにいたのは
あるアンプー(聞き取れなかった)の高校生だそうで
何人かはタイルーの伝統衣装チアユニフォームを身にまとっていた。
かわいい娘がちらほらと・・・・・・かお

ここでカメラを持ってこなかったことを後悔する・・・・・・ううっ...

雨も上がり、日本人と別れテントを後にする。
会場の脇には、食べ物系の屋台がいくつも出ていた。
ここで赤飯赤飯を発見。
ここの赤飯は小豆あずきが一緒に入っている。
御大曰く、チェンライで見かける赤飯は小豆が入っていないそうだ

舞台の上では各アンプーの出し物として、タイの伝統舞踊が続いていた。
しばらく見ていたが飽きてしまい、21時前にはホテルに戻った。
ナーンに行った。
目的は2つ。

1.ラオス国境市場を見に行く
2.あるブツを探す


2については、見つけることができなかったのでここでは記さない。

ナーンのラオス国境は2000年ころ、
一時期外国人(条件があったらしいが)の通行が認められていたが
いつからかタイ人、ラオス人のみとなっていた。
しかし、2008年12月に再び外国人に開かれている。
また、毎週土曜日、
この国境で市場が開かれているという情報を得ていたので
これを見に行こうと思ったのだ。

金曜夜、夜行バスでナーンに向かう。
今回乗ったのは、น่านの先にあるทุ่งชางという街まで行くバスだ。
ทุ่งชางの方が国境に近いという理由だったが、あまり意味がなかった。

バスは7時過ぎにทุ่งชางに到着。
さて、国境まで行く交通手段について聞いてみると

「赤いバスがそのうち来るからそれに乗れ」

ということだった。
途方にくれている私を哀れに思ったのか、カモと思ったのか
バスの関係者が
「知り合いに電話するから待っていろ」といってきた。
しばらくしてやってきたのは・・・・・・胡散臭い男。

この先の交渉経緯は書きたくない。久々に旅先で不愉快な思いをした。

約1時間後に国境(フワイコーン)に到着。

国境ゲートの手前100メートルくらいの場所にその市らしきものがある。
向かって左側にはテントの下に
石鹸やシャンプー、食料品といった日用品のほか、
古着などの衣類が並べられていた。
ラオス側の住人が買い手だろう。
道路を挟んだ反対側には、ラオス側の住人が
野菜などの生鮮食品のほか、織物などを道路に並べて売っている。
こちらはタイ人が買い手か?タイ人観光客が数組来ていた。
織物は私の目から見ても安っぽそうなものばかり。
変わったものといえば、甲虫?の幼虫。
生きたまま袋に入れられ、目方単位?で売られていた。
食用らしいが、詳しい食べ方は知りたくない。

ラオス側から買い物に来ていた人の多くは
モン族の衣装を身につけていた。
タイで見る正月用のきれいなものではなく
いかにも普段から身につけているもの。
1人、襟だけラフ族の布を当てている娘がいた。
ちょっと興味あることだ。

今回は出国していないので、国境市場はタイ側のものしか見ていない。
しかし、国境ゲートを越えた先、ラオス領でも
似たような市が開かれているらしい。
恐らく、中国辺りから流れてきたものを
タイの商人が買い付けているのではないか、と推測する。

フワイコーンには宿泊施設がないと聞いていたが
国境市場の近くに、それらしき看板があった。

バンコクに戻ってからこの国境までのアクセス方法を調べてみた。
参考にしたのは「LonelyPlanet」「旅行人ノート メコンの国」
LonelyPlanetは最新版だが、前々版のほうがナーンの記述は詳しい。
最新版では県内の地図がなくなり、市内の地図が小さくなった。

LonelyPlanetでは
ナーンからngopという村?までバスで行き、そこからソンテウで行く。
旅行人ノート メコンの国では
ナーンからポムという村?までバスで行き、そこからソンテウで行く。

地名こそ違うが、ともにソンテウは1日2便という説明なので
場所は同じようなところだろう。
ngopというのはわからなかったが
ポムという村はทุ่งชางと国境の間に確かにあった。

旅行人ノートによると
1日2便のソンテウは国境に着くと
30分後、再びポムに戻るとなっている。
つまり国境には30分弱しかいられないということだ。

この国境市場は朝しか開かれていないと聞く。
下川裕治氏の「アジア国境紀行」では
まだ外国人に国境が開かれていない2004年に
この市場を訪れたときのことが書かれており
11時過ぎに着いたがほとんど店じまいしていた、とある。

国境を越えてラオスに向かう旅行者はともかく
私のような国境市場を見に行く、というモノ好き
ナーンで車をチャーターし朝早く出発して、
街に戻りながらいくつかの観光地を回ったほうが
効率がいいだろう。

ทุ่งชางから国境までは4,50キロ、
しかし、ナーンからทุ่งชางまでは100キロ程度あり、
市場目当てでバイク日帰りの旅はちょっときつそう。
(ナーンにはレンタルバイクがけっこうあるようです)
ทุ่งชางから国境までの道のりは
舗装はされているものの
アップダウンが激しく、景色がよかった。
また街道沿いに村はそれほど多くなく、交通量も決して多くなかった。
バイクに自信のある人にはいいコースかもしれない。

ナーンには
ドイプーカーナショナルパークといった国立公園があり
その入り口Puaの街にはリゾート施設があった。
またทุ่งชางには軍人博物館なんてものがあった。
マイナーな土地を旅したい人にはお勧めなところである。

夕方、友人の訃報が入ってきた。

最後に会ったのは4年くらい前に一時帰国したとき。

彼との関係で付き合いのある友人知り合いは何人かいたが
今は彼以外、年賀メールを送ることもなく
付き合いが途絶えている。

訃報は彼の肉親が、彼の携帯電話に登録されていたメールアドレスに
一斉に送ったものだ。
そのアドレスには共通の友人と思わしきものはない。

そこで彼との共通の友人で私がアドレスを登録してあるものを探し
連絡しようとしたのだが、
私が知る中で彼と最も親しかった友人にメールしたところ、
跳ね返ってきてしまった。
次に親しい友人は、アドレスが登録されていなかった。
彼らの日本の住所も不明。

月日が経つのは早いものだ。

故人の冥福をお祈りいたします。
合掌。