余りにも大き過ぎる衝撃を受けたのは、二〇二四年の事でした。
信じられなくて、信じたく無くて、寧ろ今でも信じて居りません位、胸が張り裂ける思いでした。
本日で二年の時が経つのだと思うと、時の流れの恐ろしさを強く感じます。
今でも、未だに、舞台上で四弦を掻き鳴らす御姿が鮮明に見えるのに、其処にはいらっしゃらないのですから。
卯月十五日、the GazettEのれいたが永眠を為さいました。
バンギャルに成り立ての頃から大好きで御世話に成って居ります楽団の、所謂、本命盤の本命麺様でした。
当時、好き過ぎて、衝撃過ぎて、涙も声も出ませんでした。
何成ら、今でも泣きませんし、これからも泣く事は無いかと存じます。
どれだけ拗らせて、限界だと思われようと、れいたが生きていらっしゃらないとは思って居りませんからね。
今も生きて居ると思って過ごして居ります。痛くて結構です。
この世に居ないと認めてしまう事の方が、私に取っては耐え難い痛みですもの。
だからと申しまして、辛さが消える事は御座いません。
当時に受けたの衝撃は、今でも気持ち悪い位にその儘の質量と重量で残って居ります。
嗚呼、早い、なあ。何もかもが早過ぎます。
れいたを愛したからこそ見えた景色や、知った物事も、多く御座います。
ガゼットが続く限りその景色を見続けられると、信じて疑わなかった自分が憎いです。
ガゼットの曲は、ルキさんの詩は、題材の作用も御座いまして、余りにも刺さり過ぎます。
詩に込められた意味が、自分の思いと重なって、気持ちと混ざって、聴き乍ら涙が溢れます。
本来の意味とは違うけれど、体温と紅蓮が当て嵌まり過ぎて、今だけは無作為再生を恨みました。
これは、Kagrra,の一志さんを思って愁を聴いてしまうのと同じ感覚です。
今成ら、reilaにも感情移入が凄まじいです。
学生時代、バンギャル友達との空演奏でれいたの替え歌を楽しんで居りました事が、余計に滲みます。
気持ちを認めると、止まらなく成りますね。
御宅の良い所で有り、又、その逆でも御座います。
宛ら、春風香る四月に謌う純恋歌、です。
様々な物を、受け止めて、受け入れる日。
嗚呼、れいたに、ガゼットに、ゼッターに、御多幸が御座います様に。
