人は誰しも、傷を抱えて生きて居ります。
大小は勿論に御座いますが、傷を持ちません人は居りませんでしょう。
心身に負った傷は、決して大小で測れる物では御座いません。
況してや、比べる物等では絶対に御座いません。
然し、敢えて申します成ら、私は無数の大きな傷を負わされて参りましたし、今も抱えて過ごして居ります。
幼い頃から、辛い思いも、怖い思いも、悲しい思いも、沢山して参りました。
一例を上げれば、定番では御座いますが、苛めや痴漢被害もそうです。
それ等に因る精神的外傷も確り御座いますし、忘れたくとも不意に鮮明に思い起こされるので、記憶を消す以外に対処法が御座いません程です。
今、生きて居りますのは、傷を負う事で様々な耐性が強く培われたからだとの自負が御座います。
対人的な部分で常に大変な思いをして居りますが、それを耐え得るのは、耐性が付いた御陰です。
元々の性格も御座いましょうけれど、強化されたからだとも、間違い無く申せます。
木々の紅葉は、寒暖差や環境に因る負荷と心労で生成される花青素が起こすそうです。
現象と致しましては、傷付いた三つ葉の変化から四つ葉が生まれるのと似た物です。
苦しみを知る者は美しい、との意味かも知れませんね。
傷付いた分だけ美しく、苦しんだ分だけ強く、痛みの分だけ進化して行くのでしょう。
そう思えば、耐性を得るのもきっとその一つです。
傷だらけの石も、磨けば宝石に変わります。
埋まった石も、削り出せば天然石に成ります。
傷は勲章、とは良く申した物ですね。
抱えた傷が宝石の乱反射に変わる日を、永遠に夢見て居ります妖怪でした。
消えない、消せない傷成ら、生きた証に変えて行きたい物です。
この様な事を申して居りますが、至って元気ですので御心配無く。
傷を作った方も、精神的外傷を生んだ方も、苦しみを寄越した方には、思い出す度に呪詛を唱えて居りますもの。
其処は、清く、正しく、美しく、魔女らしく、ね。
これも、精神が強化された証です。ふふふ。
