両親を見送りつつ、いつしか自分も68歳になっていた昭和の若き日を思いながら、下山を楽しむ日々である座敷童をはじめ,いろいろな不思議体験を織り交ぜながら,自分史をまとめていきたい
サラダ前菜プレート 生ハム パテ チーズの盛り合わせ オリーブとトヴォローク チーズ用クラッカー ナッツカプレーゼサーモンのカルパッチョラタトゥイユキャロットラペ黒毛和牛のステーキ水ようかん8月15日(土)に,家族全員が集まった以上はその持ち寄りのメニューである去年から始まったイベントである家族といっても,私たち夫婦と息子,それに娘の夫婦の5人だけ家族同然の,我が家の元家庭教師はコロナのため,今年は不参加まだコロナは健在なのだ会場は私のアジトのマンション早めに始めて早めに終わりたいというので朝一番に買い物に行ってカルパッチョとカプレーゼなどつまみ系をつくっていると11時半ぐらいに全員が集合してしまったテーブルのセッティングしながら持ち寄った料理を皿に盛ったりチーズを切ってもらったりいろいろと準備をしてもらった娘の夫は,もとパスタ屋さんのシェフなので肉も焼いてもらうことにした何もできない息子は,洗い物担当だがこれもなかなか助かったなんだかキャンプみたいねといってみんなではしゃいで飲み始めたのが12時どの食材もおいしい買っておいたワインも進む娘の夫の焼いた肉がまたうまい焼き加減もミディアムレアからミディアムまで,変化をつけ塩も凝っていて,実においしかったところが3時くらいから息子の様子がおかしくなったもともと寡黙な息子なのだがこの日だけは気分がよかったらしくどんどんアルコールがすすみとうとう義理の弟に絡み始めた気がつくと,その話し方が私の父にそっくりになっている………憑依?息子は私譲りの霊感体質である奇しくもその日は8月15日盆の明けである息子の後ろで,父の遺影が微笑んでいたその後,息子はダウン翌日の昼頃,ふらふらと帰宅していった昨日で長い夏期講習も終了した久しぶりに自分のための時間を楽しもうと思う
26歳の後半であるだんだん30歳が見えてきた調査官の試験に落ちた私はとにかく「何か」にならなければならなかった私はどうして塾人生を選んだのか今では思い出すこともできないがただなんとなく,デモシカでそうなったそんな感じがする20歳で初めて塾の講師になった実家の自分の部屋で4人の中学生と塾の真似事をしていた時期もあった生麦で小さな塾に雇われたこともある魚河岸の風情が残る旧東海道の路地で子供たちとキャッチボールをした懐かしい想い出であるだが,生活は苦しかった塾講師は今も昔も時間給が基本だ社員として働いた場合の初任給は当時,平均14万円ほどしかし,時間給よりはまだましだったきちんと社員として働こう東京の新宿に「M塾」という塾があったそこに社員として採用してもらおうと思い面接を組んでもらったどうせやるなら,本格的に一から始めようと教える側ではなく,経営側の募集に応募したすなわち営業マンになろうとしたのだ面接では,人事担当のTさんが待っていたところがTさんは,私の顔を見るなり怪訝な顔をするのであるやはり留年していると厳しいのかな…などと考えていたときTさんがこういった「〇〇君だよね」「……?」「覚えていませんか?Tです」私は必死にTから始まる苗字の記憶を辿った40代半ばか,やややつれた感じがする……わからなかった「申し訳ございません。思い出せません」「あなたが小学校1年生のときに教育実習に来たTですよ」はっとした「T先生!どうしてこんなところに?」T先生は,確か公立の学校の先生になったはず先生は私を題材に卒業論文を書いたのである論文の内容は知りようもないが私が大学に入るまで,年に数回文通を続けていたしかし、会うことは全くなかったのである先生の人生にもいろいろなことがあったのだろうT先生はそのことについて語ることはしなかった私は大学に入ってからのことを話した「文通が途絶えてどうしてるのかなと思ったら こんなことになっていたんだね」「教える側でなくて,営業部でいいの?」「はい,塾経営を一から学びたいんです」採用はあっという間に決まった人生とは不思議なものである唐突に訪れる別れもあればびっくりするような再会もある今月は初めて高校の同期会が開かれる幹事には懐かしい名前が連なっていたぜひ行ってみたいと思ったが8月は仕事が忙しくて行けそうにないでも,またきっと偶然の再会があるだろうそんな想いを胸に,今週もまたがんばろう!
自分の生い立ちをたどって学生時代までを書き綴ってきたがいよいよ社会人時代が始まるしかし,その前にもう一つのしくじりについて話そうそれは年金である私は26歳まで学生だったので年金保険料の払い込みを猶予されていたしかし,私も私の両親も全く無知で「猶予されている」ということは「払わなくていい」と解釈していたのだそうではなかった「払わなくても督促がない」だけで払えるようになったら猶予された分を払わねばならなかったのだそうしないともらえる年金が減ってしまうそんなことを考えたこともなかったある日,晩年を迎えた母が言い始めた「あなたは年金がもらえないから…」少しボケ始めた母の言うことだったが年金事務所を訪ねて愕然とした(え…これしかもらえないの?)私は会社員時代の10年間は「厚生年金」個人事業者となってからは「国民年金」に加入していた未納は「国民年金」の部分である借金返済の目途が立っていた私は「未納部分を払います」 というと「払うことはできません」ときた「時効だ」というのだいやいや,「時効」は罪を犯しても捕まらなくなる期限のことではないのか?「国民年金保険料を払う義務は 2年で時効となります!」……知らなかった2年を過ぎると,過去にさかのぼって保険料を納めることができなくなるのだこちらに払う余裕が出てきても受け取ってもらえない私は年金について,習ったことがないというか,お金に対する教育をほとんど受けたことがない年金保険料の納付は義務であるその義務を怠ると何が起きるのか?それを義務教育で教えるのは当たり前ではないか!借金をするとどうなるのか?サラ金でなくても,多くの人が使う住宅ローンを組むとどうなるのか?失敗談を織り交ぜながら語り伝えるそういうう教育を受けたかったしかし,もはや手遅れである私は数年前に,会社の厚生年金に入った焼石に水ではあるがとにかく私は働けるだけ働いて会社にしがみつくつもりださぁ!夏期講習は2週目だ!今週もがんばろう!
面接室は法廷だった小さな法廷だったが,面接官が判事席に私は5メートルほど離れたそう、「被告席」に座らされたそして第一問面接官の声が反響するそれは法廷の天井が高いためだ「◯◯さん、……おからだ,大丈夫ですか?」頭の中で何かがプツッと切れた(ば…ばれた~~~(>_<)!)血の気が失せ,全身に冷や汗が浮く私は被告席で,どんどん小さくなっていったそれから30分,何を聞かれ、何を答えたのかほとんど覚えていない小学校の入試以来,得意とする「面接」で最も後味の悪い面接になった悪い予感は,このときに芽生えたのである実は,二次試験に受かってから間もなく私の実家の近所に,黒い服を着た数名のグループが訪れた「あそこの〇〇さんはどういう人ですか?」「何か問題を起こしていませんか?」などと,聞いてきたらしい地域でどのように捉えられているかも大切な面接の資料となるらしかったなにしろ裁判所に勤めるのであるちょっとでも危ない人物は排除される顔の痣は、私が何かのトラブルを起こしたあるいは巻き込まれたことを証明していた私の人生最大のチャレンジはこうして幕を下ろしたのであった後日,私を殴った人から謝罪があったと教官を通して聞かされたその方は,その後中部地方の女子大の先生になったらしいこの話は,今でも生徒に話すことだ「いったい誰が悪かったと思う?」「殴った人が悪い」生徒はそう反応するもちろん暴力はいけないでも、私は一番悪かったのは、「私自身」なのだと教えている面接を二日後に控えた日になぜ飲みに行かねばならなかったのか本当なら「今日は失礼します」と先に帰るべきだった心に隙があったのは私の方なのだ「最後の最後まで気を抜くな」生徒に伝える教訓であるさて,季節は秋になっていた大学にはこれ以上残れない社会に出なければならない人生の分水嶺は目前に迫っていた…
時系列は少しだけさかのぼる教育学科の教官のお父様が亡くなったうちの学科からも、何人かの学生が葬儀の手伝いに行くことになり私もその一人だった葬儀が終わって、手伝いのお礼にと金一封を渡された私たちはせっかくだからということで東大近くの居酒屋で飲むことにした葬儀で懇意になった,他大学の院生方といっしょだったので,交互に座って情報交換をしつつ酒を酌み交わしたしばらくは楽しく歓談していたのだが右隣りの方が酒乱であることは知らなかった酒乱とは、飲酒によって理性が麻痺し人格が変わったように暴言や暴力を振ったりする人のことをいう右隣の方に酒を注いでいたときである私の顔面に、突如としてグーが飛んできた不意を突かれた私はもんどり打って椅子から転げ落ちるすると,その方は私の体に馬乗りになり往復で私の顔を殴ってきたのである飲んでいると,それほど痛みを感じないしかし5,6発殴られたあとようやくこれはまずいと思いその人の両腕を掴んで絞り上げたまだ植木屋をやっていた名残りで私は筋肉質だったので,すぐに暴行はやんだそのとき,やっと仲間たちがその人を羽交い絞めにして,私を助けようとした…………が、遅かった私は顔面や口から血を流し敗北したボクサーの顔になっていた店主からからは「喧嘩をするなら外でしろ!」と怒鳴られる私は喧嘩をしていたのではないのだが…踏んだり蹴ったりとはこのことであるその日は家に帰らず、I教授の別宅の無人のマンション(アジト)に転がり込みみんなで泊まった起きたときに、真っ先に心配になったのは翌日に控えた面接のことである…………恐る恐る鏡を見るなんと,昨日の傷はそれほど大きくなく痣もできていなかったこれなら行けそうだ!元気を取り戻して帰宅し,再び面接の準備そして,当日を迎えた朝起きて鏡を見るびっくりした!顔が痣だらけなのである一日おいて出てきたのである面接は,東京高等裁判所向かいながら顔を冷やす面接は,1人30分ぐらいかかるのでかなりの時間待たされたその間も何度もトイレで顔を確認する腫れがだんだん引いてきた……「よし!これならいける!」と思ったときに,名前を呼ばれた
二次試験の発表がどこであったのかそれは,はっきり覚えていないしかし,今回も左上隅の特権ですぐに合格したことがわかった一次試験で4人に1人二次試験で10人に1人約40倍の関門を突破したのだった私はよろこんだよろこんだのは私だけではない両親はもちろんのこと大学の仲間もよろこんでくれた心理学科の大学院生 も受けていてその人も二次試験を突破していた大学では私とその人のためになんと祝賀パーティーを開いてくれたお祝いというよりは、大学8年生の私の行き場が決まってホッとしたといったところだろう「ここまで来たらもう大丈夫だよ」「君は印象がいいから、決まったな」「ありがとうございます 先生方のおかげです」と,なかば有頂天になっていたところで,私は今,塾講師として半世紀…………その通りである!私は落ちるはずのない面接で見事に落ちたのだ!最終発表は、東京高等裁判所のロビーだった左上隅の特権は、落ちたときにも絶大な効果を発揮する掲示板の20m位手前から「1番」がないことがわかったA3サイズの紙きれなのにである私は膝から崩れ落ち呆然とした何も考えられなかった…………2年間の努力が水泡に帰した瞬間である年齢制限で,もうやり直せないふらふらとトイレによって帰路についた……そのことだけ覚えている実は,悪い予感が私にはあったのだそれは面接の2日前……あってはならないことが起きたのである