ここんとこ良く行く場所。関西大学の博物館の簡文館(かんもんかん)。
職場からも近いので、訪問介護の合間にも通ってます。
博物館入り口近くに 藤ノ木古墳の石棺の復元が有ります。石棺の赤が、目に飛び込みます。
水銀と漆で鮮やかな赤(朱色)。
そして、その石棺の周りには、たくさんの出土品の美しい写真。
藤ノ木古墳の被葬者は、お二方だとか。まだ確定ではありませんが、有力候補とされている のは、穴穂部皇子(あなほべのみこ)。欽明天皇の皇子です。
そして、宣化天皇の皇子の宅部皇子(やかべのみこ)も一緒に埋葬されたとか。
私が穴穂部皇子の名や宅部皇子の名前を知ったんは、山岸凉子さんの日出処の天子でした。
聖徳太子(厩戸皇子 うまやどのみこ)の物語です。高校生だった私は、山岸凉子さんの描く絵に、妖しいまでの世界に魅せられました。
蘇我蝦夷、物部守屋、推古天皇等、太子ゆかりの古代史を彩るたくさんの人物が出てきます。聖徳太子の叔父に当たる穴穂部皇子は、印象の良き人物としては描かれてません。野心家のイメージがありました。
再度、日出処の天子を読み返しました。
さて関大の博物館は、二階に、たくさんの出土品が展示してあります。
古代の刀剣や鎧を見ながら、思います。
政権争いに、穴穂部皇子や宅部皇子は 巻き込まれたんかもしれないなと。皇子様ご自身が望んで王座につきたかったのか、担がれたのか。
その血筋が、その血筋ゆえに、非業の死を遂げることになったのかもしれません。
勝者によって、語り継がれる事は、必ずしも、当事者の思いでは無いかもしれません。
古代も幾度も戦がありました。
後に聖徳太子は、和を以て貴しと為す と仰ったです。
何事もみんなで話合いいさかいの無きようにしましょうと、言う意味です。
↑詳しくはここからどうぞ。
和を以て尊し
争いのない世の中であることを、私も祈ります。
家で本にふける。
そんな日を過ごしています。