沖縄映画といえば『ナビィの恋』よりも
ホテル🌺ハイビスカス派の私
1980年代の辺野古を舞台に
天真爛漫な小学生の美恵子と
その家族によるハートフルな
沖縄ローカル映画
辺野古基地の真横にある集落で
小さなホテル、ハイビスカス🌺を営む一家
地図➡は米軍基地
ロケ地になったホテル跡は
放射線状に延びた道の真ん中にあるようです
グーグルマップで事前確認
ストリートビューでも降りてみた
左が交番、真ん中は映画ではクリーニング屋だった
右がホテルハイビスカス跡の建物
映画は20年くらい前に制作されてて
元々は日蓮宗の法華道場だったらしい
いつから廃墟になったかは不明
もう一か所、映画に登場した
渡具知ストアーという食品店にも行ってみよう
というわけで
古宇利島から脱出した後は
ホテルハイビスカス🌺ロケ地巡りをしに
辺野古方面へ向かいます
ぼーっとしてたら基地を通り過ぎてしまってて
一枚も写真が撮れなかった・・・
早くも集落の中です
近くに車を止めて
あの放射線状に道が伸びた場所まで歩いてきました
辺野古交番
交番横の道は、美恵子の通学路
交番横右は元クリーニング屋
子分を引き連れて帰宅する美恵子
クリーニング屋から道を挟んだところに建つ
ホテル🌺ハイビスカスが
ない・・・
は?
ない!?
映画の好きなシーンを思い出しながら
嬉しがって撮影する気満々でここまで来たのに
影も形もないんだが?
こんなことある?
カーブミラーだけを残して
完全な更地にされていた
父ちゃんが経営していた
ビリヤード屋だったホテル側面
(ストリートビュー)
Billiardマサオ
映画でも何度か登場する
事前に調べて来たのに
想定外過ぎ
ハイビスカスの対角線にある
右の建物は無事だった
映画ではここにバス停があって
母ちゃんがねぇねぇを連れて
アメリカに行くシーンとして
登場します
ホテルを背景に見送る家族
いきなり目的を失ってしまったので
集落を歩いてみる
基地の真横ってのも理由の一つなんだろうけど
この辺りの廃墟群
オールドアメリカンな雰囲気が漂ってます
星条旗が描かれた壁の家
飲み屋街だったのかな?
日本とは思えない
賑わってた頃もあったんだろうな~
辺野古コミュニケーションセンター
空き家と空き地が多い
何年放置したらこんななるの?
スナック・ハワイ🍍
寂れた町
レストラン・オーシャンは
今も営業してるっぽい
寿司レストランらしい
オリオンビールの看板が良い味を出してますね
行き倒れになった旅人を
ショッピングカートにのせて運ぶ美恵子達
オーシャンの右の坂道を上っていくと
喫茶ワシントンがあって
ここも映画に出てくる
ワシントンの手前の道に入ると
比較的新しそうなタイタンズカフェバー
その先はタトゥーショップだった
その先にも元レストラン
ネコ発見
すごい可愛い八割れ
黒いのもいた
この子たちは耳カットされてなかったけど
毛並みも良いし、飢えてる感もなかったから
可愛がってる人がいるのかも
植物に喰われかけてる廃墟
この先に渡具知ストアーがあるはず
歩いてると、閉業してしまった店含め
飲食店が異様に多いことに気付きます
このイタリアンレストランは
今も営業されてるようです
お店の情報見ると
イタリアンとは程遠いメニューと内装で
好奇心そそられた
いつかオーシャンと合わせて行ってみたい
撮影当時はこんなに綺麗だったんだ
そしてお隣の渡具知ストアー
なんとなく予感はあったけど
やはり閉業していた
(2021年6月に閉店したらしい)
集落全体が活気を失ってる感
渡具知ストアー前で
チューペット食べる美恵子たち
このチューペット
渡具知ストアーで実際に売られていた
沖縄の北部でのみ販売されている
LONLONという商品だった
オレンジ味とコーヒー味があるらしく
まさにその2フレーバーを食べていると思われる
(借り物画像)
後にホテルの長期滞在者となる
旅人の能登島が行き倒れるシーンも
ここで撮影されました
もう少しだけ歩いて
集落散策終了~
見たことない自販機
ミリオンスーパーショップ
最後に沖縄らしい家も見つけた
ホテルハイビスカスは全体的に
のんびり、のほほ~んとした
沖縄の日常を描いた内容だけど
子供達の遊び場である美しい海岸に
いきなり基地の有刺鉄線が現れたり
基地の敷地の中に
昔からこの家に住んでいたという
おばあが登場したり
再びおばぁに会いに基地内に潜入すると
おばぁごと、家が消えていたり
お盆に先祖を迎えるために御馳走を並べ
祈る家族に、姿が見えないと
バカにしていた美恵子が
幼い頃に戦争で亡くなった叔母の霊に会って
命を救ってもらったことで
先祖の大切さを知り
成長していく姿を見られたり
美恵子の兄役として登場するのが
若き日のEXILEのネスミスだったりと
なかなか見所の多い映画です
この集落のことが気になって少し調べてみると
1950年代に辺野古の地域開発が行われた際に
米軍用の歓楽街として
整備された街だったことが判りました
だから飲食店が多かったんですね
当時、開発に大きく携わったのが
米軍民政府土地課長のアップル中佐だったことから
アップルタウンと呼ばれるようになったらしい
1965年には309世帯
2000人以上が住む街へと急成長
米兵で賑わうスナックやバーが軒を連ね
社交街として繁栄していき
最盛期には飲食店が200店舗もあったんだとか
賑わってた時代の写真とか見てみたいな~
そんなこんなで
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