今回は愛知県美浜町にある「鶴林山 密蔵院」ですニコニコ

 

「密蔵院」は杉屋佐助さんの名号碑、伊藤萬蔵さんの花壺がありました(前回記事)が、見どころは他にもありますニコニコ

 

 

■かじとり観音昭和霊験記

門をくぐって階段を上がって右手に大きな解説板がありました。

戦時中に起きた奇跡的な話が記されていました。

以下、要約です。

 

太平洋戦争末期、第十雲海丸が小笠原近海で爆撃を受けて沈没した。

吉田船長以下7名が一週間分の食料と水を用意して救命艇で脱出。

日本本土まで1000Km、観音信者の乗組員は「南無観世音菩薩」と唱えながら三十数日間、必死に漕いだ。

観音様のお加護により、黒潮を突破して伊勢湾に入った。

そして救助されたのは、船長の実家があった野間の沖であったという。

この信じ難い奇跡も限られた者だけが知るのみで公表されないまま終戦を迎えた。

 

興味深い話ですニコニコ

太平洋戦争中には、虫の知らせやこういった奇跡的な事象が起きたと本で読んだ事があります。

 

 

解説板の下には船が置いてありましたが、大きさ的に話に登場した船ではなさそうですあせる

 

 

■磔の松

「かじとり観音昭和霊験記」から更に奥へ進み、竹藪をすぎると「磔の松」という町指定文化財(史跡)があります。

 

 

磔の松

天下を統一した源頼朝は建久元年上洛の途中

野間に立ち寄り父義朝を殺した長田忠致景致父子を捕え

この松にて磔(棒つきの刑)に処したと伝えられている

以来当古松は墓標の代わりとなっている

 

長田最後の辞世

ながらえし命ばかりは壱岐守

美濃尾張をばいまぞたまはり

平治の乱で平清盛に敗れた源義朝が東国に逃げ戻る途中、密蔵院の野間地区にあった家臣の長田忠致邸に立ち寄る。

しかし、長田の裏切りにあって殺されてしまう。

後に天下を取った頼朝が父義朝の仇討ちとして長田を捕え、磔の刑にしたのがこの松という。

 

近くの「野間大坊」に源義朝のお墓、その横には長田忠致が源義朝の首を洗ったといわれる「血の池」があったりと、この地方は源氏と縁のある土地のようですニコニコ

 

 

最後にこの「野間」地区と廻船問屋について。

密蔵院のある「愛知県知多郡美浜町」の海岸地帯は、江戸時代に廻船(千石船)で栄えた土地だったそうです。

 

海岸近くにある「冨具神社」には「一色村 廻舩 舩子中」と刻まれた、恐らく廻船に関わった人達が嘉永2年(1849)に寄進した狛犬がありました。筋肉質のカッコイイ狛犬爆  笑石工の銘がありましたが読めずえーん

 

狛犬の奥の常夜燈も「廻船 舩子中」による寄進で安政2年(1855)でした。

こういった石造物に当時の繁栄ぶりが伺えますね爆  笑

 


またねー!