今回の杉屋佐助さんは、愛知県美浜町にある「鶴林山 密蔵院」の名号碑ですニコニコ

 

「密蔵院」は知多四国八十八ヶ所の第52番札所となっています。

 

「知多四国八十八ヶ所」について少し調べると、札所が開かれたのは文政7年(1824)。

もっと新しいのかと思っていましたが意外や意外。江戸末期でしたニコニコ

 

妙楽寺の亮山阿闍梨(りょうざんあじゃり)和尚が弘法大師の夢のお告げにより発願。

ところが弘法大師(=空海)が開祖の真言宗は知多には88もなかったため、他の寺院に札所となるようお願いをしなければならなかった。

当初は宗派の違いや費用負担によりうまくいかなかったが、百姓の岡戸半蔵や武士の武田安兵衛の尽力もあり、成し遂げる。

 

ちなみに妙楽寺は1番か88番かと思いきや、第79番札所でした。

巡礼ルートの関係でしょうね。

 

山門に入ると目の前に佐助さんの名号碑がありました!爆  笑

佐助さん、コンニチワ!

 

施主は杉屋佐助、松野屋久左衛門、近江屋市兵衛の3人。

ん?この組み合わせ...どこかで???

愛知県春日井市の尻冷し地蔵(地蔵堂)と退休寺で同じでしたニコニコ

 

特に尻冷し地蔵は、年号も彫られた内容も全く同じというびっくり

二つ同時に発注したのでしょうか。

碑の大きさは尻冷し地蔵の方が大きかったような気がします。

 

それでは四面チェック!

[北面]

南無阿弥陀仏 徳本(花押)


[東面]

(梵字)カ 悉成仏道 後我成仏
経曰   若残一人 我不成仏

 

[西面]

丁亥 文政十年 十一月 吉日
名古屋 施主 杉屋佐助
松野屋久左エ門
志水 近江屋市兵衛

 

[南面]

南無阿弥陀仏 徳本(花押) 
 

独特の書体の「南無阿弥陀仏」は徳本上人によるものです。

徳本上人は念仏行者として全国を巡り、「流行神」と称されるほど熱狂的な支持を集めたという。

佐助さんもその支持者の一人という事ですね!ニコニコ

なお、梵字の「」は「地蔵菩薩」を表すそうです。

 

寄進された文政10年(1827)は、「知多四国八十八ヶ所」が開かれた文政7年の3年後です。

佐助さんも知多四国巡礼したのかもしれませんね照れ

 

 

弘法堂の前に伊藤萬蔵さんが寄進した香台がありましたよ!爆  笑

というか、近隣のお寺をいくつか回りましたが、ほとんどの所に萬蔵さんの寄進物がありましたあせる

さすが伊藤萬蔵さん!爆  笑すごい!

 

 

密蔵院には他にも見どころがありますので、これは次回の記事にしたいと思います。

 

新発見を求めて、佐助さん探しの旅はつづく。

またねー!