レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -415ページ目

母という人

久し振りに実家に帰ってきた。

車で1時間余りもあれば行けるのに、

慌ただしく日々が過ぎ、結局、盆と正月くらいしか顔を出していない。

父母共あれこれ医者の世話になりながらも、それなりに暮らしている。

以前、父は第二次大戦最後の隊で沖縄南大東島に赴いた内容の記事を書いた事があった。

母はといえば、女だてらに戦闘機づくりに関わっていた。

話によると、戦闘機づくりには様々な部署があり、

その一つの部署を担当監督していたらしい。

戦前、ある企業が母を含む何人かを女学校に放り込んだ。

幹部にする為の素養づくりだったようだ。

そうのこうのしている内に戦争が勃発し、

その企業は軍需産業に参入した。

或いは、国からの要請を受けたのかも知れない。

母にとっては、予想もしない出来事だった。

戦争が終わり、母は故郷に戻りテーラー○×といった店を開いた。

男もの女ものを問わず誂えを受けた。

母の店は国の復興の追い風を受けて、

たいそう繁盛したという事だ。



結婚後も仕事を続け、僕が小学校低学年あたりまでは、忙しい毎日を送っていた。

都合上、自宅に仕事場を持っており、

僕はその採寸や仮縫いで訪れる裕福そうな人達を

物珍しい生き物でも見るように観察していた。

一度だけその中に、テレビでみる顔を見た事がある。

僕にはそれが不思議でならなかった。

テレビの中の人は、あくまでもテレビの中の人であり、

現実の息遣いを感じちゃいけない存在なのだ。

指先で弾けば潰れそうな自宅前には、高級車がとまっていた。

それは泥を跳ねあげてあるくような道路を

真っ白なスーツで歩くような違和感があった。


誤解のないように付け足すと、

特に母の腕がいいという事ではなく、

母の店を愛用して下さっていた方が紹介して下さっていたようだ。


洒落のきいた母で、未だに話す内容に吹き出して笑ってしまう。

その母が、今回の帰省で、家内に一つの指輪を差し出した。

自分が若い頃、していたものだが、自分にはもう必要ないと言う。


相当古い指輪だけど、丁寧に使っていたようだ
$疾走する古本屋!成穂堂〔なるほどう〕店主の苦悩と爆笑の日々-ring



母からそんな言葉を聞く日が来るとは、努々思いもしなかった。

改めて、父母共に年をとったのだと思う。

目頭が熱くなったのは家内だけではない。

このまま仕事に忙殺されていてはいけない。

少しは孝行しないと、僕は一生後悔する事になると思った。

そんなしみじみとした思いで実家を後にした。