有栖川さんに思う
先週、有栖川夫妻を自宅にお招きする機会があった。
いつもの如く、よた話を面白ろおかしく交わした。
と、言っても僕たちの会話の99%は漫才のような内容だ。
そこにはいつも少年有栖がいて、それを微笑ましく見守るご夫人がいる。
どういう流れだったか、横断歩道の赤信号では絶対に渡ってはいけないのか?と、言う話になった。
物事の本質を考える内容だ。
その説明は僕のつたない言葉より有栖川さんの方が断然頷ける・・・当たり前か・・・
ご夫妻が帰られたあと、家内がお茶を飲みながら
「あなた方、ものの見方が本当によく似ているね」と、感心していた。
隣にいた二男が「そらそやろ。そうでなかったら、何十年も付き合ってないやろ」と。
確かにそうだ・・・見識は天と地ほどの差はあるが・・・
有栖川さんは、作家になる事を諦めなかった人なんだと感じる。
疑いもせず黙々と己の道を切り拓く人。
プロとして独立をすると聞いた時の氏の目は今も忘れない。
数十年に渡り、ミステリー小説の第一線で活躍なさっているのは伊達じゃない。
そこにはにこやかな表情の奥に隠れた眼光の鋭い才人がいる。
それとは真逆にいつまで経っても風采の上がらない僕に、
気長にお付き合いくださっているご夫妻にとても感謝している。
僕は気づかない間に脇道に入ってしまい、そこに咲く不思議な花々に魅せられてしまった。
おつかいを忘れて遊びほうける少年とさして変わりない。
その内、はたと我が使命に気づいた時、僕は違う世界を歩みだすのだろうか?
ふと振り返ると、お互いがバタバタとし、行き来出来ない期間が相当あった。
毎回思うが、古い仲間というのは途切れた時間の糸を瞬時に繋いでしまうようだ。
どっちを見て走ったら良いのか分からない時代。
ただただ、何の当てもない事が明日にでも起こるかのように話をしたものだ。
氏は黙々と努力を重ね、僕は一朝一夕に事を成そうとした。
そこには子供と大人程の思考レベルの差があり、僕は物事の上面しか見ていなかった。
金は金、金メッキは金メッキだ。
少し風雨に晒されるとボロボロと剥がれ落ちるものに価値はない。
内にあるものを叩いて叩いて、不純物を放り出す。
そうする事でしか、本物は出来ない。
誰もすぐに剥がれてしまうメッキのような人生は送りたくはないはず。
なのに、人は焦り急ぐ。
内にあるものを、端正込めて叩き磨け。
我が生きてきた道を上面だけだと思うなら、
それは、本物とはどういうものかという事、
それがどれだけ強いかという事を学ぶ必要があったからだ。
どれだけ年月がかかったとしても、それはその人にとって必要な時間だったのだ。
目の前の人参に食らいつくな。人として正しい方をとれ。
それがよりよい人生を生きていく糧となる。
そう信じることは無駄ではない。