父が入院中、弟は相談医にガンの事を相談したわけではなく、精神科医を連れてきて父と母の精神状態を調べて下さいと言っていた。父がガンなのによ。弟はもう精神科医を神のように思ってるらしく、また、父もワクチンを信じこんでいたし、母もあまり考えてないから同じ。家族は私と離れて暮らしてる間、医療宗教に洗脳されてしまっていた。私も昔鬱病なのかなと思って心療内科で鬱病ですと言われた時はすごくホッとした。3ヶ月も具合の悪い状態が判明したからね。でも、精神薬は飲んではいけないと聞いていたので、処方されたのはほんの少しだけ、後は自分で漢方薬、西野式呼吸法でこれまた自力で直したけど。

 

 

母は、親戚から父の生前からいろいろ母の実家から相続の事を聞いていたので、手続きしなくちゃという事で、近所から聞いた司法書士に相談をし、あんたいくら欲しいのと口では言っていたけれど、なんと弟は、預金も不動産も法定相続でやってしまった。それが分かったのは、なんで、預金の明細を司法書士が聞かないのかなと疑問に思い私が司法書士に聞いたからだ。

 

それでやると私は実家の固定資産税払わないといけないし、預金の中には父が亡くなってから振り込まれた保険金が入っているから、それを単純に法定相続で分けてしまうと、贈与税が掛かかるいう事を本を読んで分かっていた。相続人を母にすれば、弟と分ける事は母が死んでからにすれば良く、税金も掛からないのでこれで相続を進めたのだ。

 

しかし、弟は今までやってきた事務手続き等を私にひっくり返されたのが面白くなかった。私はまだ仕事をしていたし、弟は仕事やめてるし、父の墓を決めたり父の死後の後始末をいろいろやってくれていたけれど、なんか半分うれしそうにやっていた気がする。私に影響のないものは、何をやってもらっても結構だが、相続をパスポートを取るみたいな感覚でやるのは勘弁してもらいたい。税金の話しをすると、そんなの請求が来たら考えればいいんだという事だった。なんで世の中の人達は、節税の為に目を血眼にしてるんでしょうね❓話し合いもせず、勝手に相続手続き、法的相続なら相談しなくてもいいと思っていたそうだ。会社を辞めさせられた原因もこう言った権限違反のせいだったのではないか。

 

なんかやることなす事、56歳のおっさんがする事ではなくて、10代の男の子がやってるレベルなのだ。

 

私の過去の失態を言い続け、挙句の果て昔私の部屋に置いてある私の物を捨て始めた。英検2級に受かった賞状とか大切なハリソンフォードのポートレートとか。これまたすべて事前に分かったのだが、私は人のものを捨てるという弟に気味の悪さを感じていた。

 

私は父が亡くなった翌年の1月から元自分の部屋を片付けていた。父は物を捨てるのが嫌いで、元私の部屋でガンで寝込んでいた時は斜めに寝ていた。せめて母の時は、介護ベッドくらい入れてあげたいなと思っていた。でも母は今やらなくてもいいのよと阻止しようとしていたのに、弟がやると全面協力し、私が台所のお菓子の道具をはっきり箱に「捨てるな」と書いたのに捨ててしまい、カタカナで「ハイキ」とかいたジグソーパズルは捨てていいのかと弟は母に何度も質問し、なんでこの家族は逆のことをやるんだろうと不思議な家族だった。

 

母がいうには、田舎では嫁に行った人の荷物は勝手に捨てるのよという事だった。私は嫁に行ってないし、父が死んでからやるってどういう事❓私の赤ちゃんの時のアルバムとか破るのはめんどくさいという事で、そのままゴミ捨て場に持って行こうとしてたのは、本当に悲しかった。

 

また、弟が勝手に法定相続した事を私が覆していろいろ調べている時、母は「私は医者から心臓発作を抑える薬をもらっていて、いつ発作が起きるかわからない」と電話口で話し、相続の勉強の上、会社の財務の試験を受けようと思っていた私を急かしまくった。何のために相続は10ヶ月の猶予があるんでしょうね。余談だが、母にこの薬を処方した医者は、この後すぐ自分が1回目の心臓発作を起こした😆

 

 

 

 

弟が会社辞めたり、私がコロナに罹ったり、父が亡くなったり、25年前にも似たような事があった。私がマンションを買った年。

 

順番は定かではないが、弟が会社を辞めた、父がオートバイで出勤中車に足をぶつけられて会社を休んだ。母は、胆石摘出のための手術が、急遽、耳の中に入ったシャンプーが浸潤して耳の手術に代わった。母は子供の頃、溺れかけた時に鼓膜を無くしたらしい。

 

前回無傷だったのは私、

 

今回無傷だったのは母。

 

家族とは繋がってるとしか言いようがない。

 

共通してるのは、弟が会社を辞めた事。

最初の会社を辞めて職安で仕事探しをしたようだが、どこも採用してくれず、ずっとアルバイトだった。弟は、大学を出た後、父に借金をさせて映画学校に行った。大学は3つ受けて2つは不合格。最後の6大学の一つに受かったのは、試験的な試験があったからだ😅数学試験のない試験、国語と英語だけ。家は数学が弱い。これに受かったのは作文教室に通っていたおかげ。映画学校を決めた時も、リスクの高い仕事だから、その後の事は自分で責任取れよと私は言った。

 

父は私には、健康保険の話をしただけで、会社辞める事は猛反対。弟には、子供の頃から、習い事、水泳、剣道、公文式、作文教室と最優先にやらせていた。私は小学校1、2年のオルガンだけ。転校をしたり、入院をしたりで辞めてしまった。オルガンは、子供の頃から母がやりたかったらしい。自転車を買ってあげたのも弟が最初。私は弟の自転車を使って乗れるようになった。なんで弟には最優先なのと母に聞くと、男の子は将来嫁さんや子供を養わなければいけないからと言っていたが、いまだ家を出ずにこもっていて、貯金なし、稼ぎなし。

 

水泳も自転車も尻上がりも、私は自分だけでできるようになる子供だった。だけど、自己流だから、高校生の時、その平泳ぎ違うよと先生から言われた😆

 

弟は映画学校時代に知り合った韓国人と最初の会社に入っても、関わりがあったらしかった。最近に勤めた会社の社長が亡くなってしまい、弟はクビになってしまった。アルバイトをしながら、よく韓国にも行っていて、韓国映画の仕事にも関わっていたようだ。しかし、母が言うには、韓国人とは仲違して騙されたのよと言っていた。人のお金で韓国行けたのがその内自分のお金で行くようになり、その後行かなくなってしまった。アルバイトなので、何度か会社を転々としていたが、数年ほど前、人手不足の為に大手の会社にアルバイトに入り、正社員に採用された。30年間の社会人人生、正社員だったのは、5年位か。

 

その後体調を悪くして案の定辞めた。その時行った病院で、発達障害と診断され父が亡くなった後、障害年金が認められた。

 

当時、母も私もその事は深刻に考えず、鬱病程度で障害年金ってもらえるんだと思っていて、私ももらおうかなと気軽に考えていた程度だった。

 

 

2021年6月3日病院の帰り、家族で寿司屋に行った後、私は自分のマンションに帰ると言ったら、両親は泊まって行きなさいと言われた。しかし、私は明日会社で今日はGパンで来ちゃったし、コロナ明けだし、何よりも両親ともワクチン射ってしまっているので、シェーディングが怖かった。強く薦められたけどマンションに帰った。両親と別れた後、前から欲しかったホワイトミントの薔薇の花が売っていたので、買って帰った。
 
7月1日から会社はお休みをした。父の葬儀は4日日曜日に決まった。家族で食事をしてから、1ヶ月しか経っていなかった。私の1ヶ月前に買ってきたホワイトミントの薔薇の花はもう夏だというのに、すっと立っていた。父が死ぬ頃は、真ん中が茶色くなってしまった。まるで、父のお腹の中のようだった。食事の時、既に父の顔には死相が出ていたとはいえ、1ヶ月後は葬式の準備をしてるとは思っていなかった。コロナで休んでいる時は楽しかったが、忌引を取っても、なんでなんでという事ばかり考えていた。父は今冷蔵庫に入ってる。寒くないのかな❓葬式の準備もする仕事もなかったので、こんな事なら仕事をしていた方がましだと思った。
 
親からは葬儀に誰も呼ばないでと言われた。部長が来るという事だったが、わざわざお断りするのが辛かった。
 
本当に葬儀は会場を借りて家族だけ。父の顔は、冷蔵庫に入ってる間、顔の黄疸は取れていた。弟は火葬だけでいいという事だったが、会場を借りて、父にお別れを言えてよかった。私は皮肉な事にコロナで7キロ痩せてしまったために、着られなかった喪服が着られ、捨てようと思っていた黒い革靴も、まさか父の葬儀に使うとは思ってなかった。何もかも、父が死ぬように用意されていたように感じた。
 
そこで弟は奇妙な事をやった。父の棺に花を入れる時、父の鼻の穴に入れようとしていたのだ。弟は56歳だったが、会社の同い年の上司の顔と比べると異様に若くて少年のようだった。私もさすがに最近あれっ❓て思うようになっていた。母に言わせると、火葬だけでいいという位、情がないのだ。
 
とうとう父が火葬される時がやってきた。既に火はごうごう燃えており、そこでゆっくりお別れをしてる暇はなかった。
 
火葬されてる間、家は神式なので、神主さんが来てくれた。ハンサムな神主さんでよかった。隣りの人達は、浄土宗のようで、念仏はすぐ終わったが、神主さんは父が火葬されてる間、丁寧に祭詞を唱えてくれていた。せめてもの救い。
 
父の骨は、体格が良かったので、焼き場の人から、しっかりしたお骨ですねと言われた。
 
父は骨になって、家に帰って来た。サイドボードの下でよくゴロゴロしてテレビを観ていたけど、今はテレビの横、サイドボードの上に乗ってしまったのだ。