花森安治の事を調べるために、とと姉ちゃんの本も読んだ。


彼女は、大正生まれ、終戦の時25歳。

食糧がない時、岐阜まで食糧をもらいに行って、たくさん作ってもらったおにぎりを汽車の中の人に配った話しもあった。


そんな時、上記のYoutubeを観てふと思った。

小麦粉だから、グルテンフリーじゃない。平成5年のお米がない時、鈴木その子さんは、すいとんを食べなさいと作り方を教えてくれた。母親に言わせると、戦争中のすいとんはこんなに美味しくなかったと。


弟も3歳の時、駄菓子屋でやっているお好み焼きを一人で食べるのが大好きだった。


こんな食事していたら、母親からは野菜が不足していると何かを出されそう。イラッと来そう。


でも、食事の基本ってこれなんだよね。


今の食事は目で食べている。頭で食べている。食べさて頂いているという神への感謝がない。


と思いつつ、今日もたくさんの情報と材料の中から選び出す私。



花森安治という人がどういう人が知りたかった。
暮しの手帖の編集長、NHKの朝のドラマ「とと姉ちゃん」に出ていた唐沢寿明演じる人物だったが、あんなにいい男じゃないよ😆
私が高校生の時にお亡くなりになったが、その時に見た女装のインパクトが強くて、何者かあまり分からなかったのに、いつまでもその写真の印象が深かった。

私の世田谷に住んでいた義理の大叔母が暮しの手帖を愛読していて、その影響で母も時たま買っていたような気がする。

上記の本の作者によるとあれは女装ではないそうだ。
東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業の彼は、金太郎飴のようなサラリーマンの背広とワイシャツネクタイのスタイルを皮肉っていただけで、パーマをかけたり、ショートパンツを履いていたりはしたが、スカートを履いたりはしてなかったようだ。

また、戦時中は大政翼賛会で働いていたが、本人は戦争責任があるなんてつゆほども思っておらず、これからは絶対にだまされない、だまされない人をふやしていくという思念のもと、暮しの手帖を作っていたのだ。

コロナ騒ぎの頃、花森安治だったらなんていうかなって思っていた。また、戦争がおっぱじまったよっていうような気がしてならない。

彼は分かっていた。戦後から高度成長期にはなりこそすれ、政治は国民のためを考えず、自分たちの利益のために、自分たちの票のために行っていることを。
時代は悪くなっている。権力は、恣しいまま、やりたい放題だということを。



弟の行動は常軌を逸しており、気持ちが悪かった。
 
そんな時、インターネットから、アスペルガーという言葉が浮上して来た。
 
私は、会社の本店で 働いており、仕事ができなくて、私が理解できない人達が沢山いたんだよね。そんな時この本に出会った。
同じ職場の年下の女性が、2、3行読んだだけで当てはまった、ADD、注意欠陥障害。彼女は、私が行けなかった都立目黒高校に行っているから、頭はいいんだよね。同じく、その前までいた慶應大学出身の臭いおじさんはADHD、注意欠陥多動性障害。その他にも当てはまる人は沢山いたが、私自身もADDなのかなと思った事はある🤣
 
でも、アスペルガーって人は初めて。弟がアスペルガーというのは私の想像だけで、弟は肝心の診断は言わない。廻りをカサンドラ症候群に陥れる危険性があるのによ。

 

 

そのくせ母親には、精神科には親が一緒についてくる患者もいるんだと甘えまくっている。

 

若干腑が落ちた。

 

子供の頃から、落ち着きがなく、たくさんのエピソードを持っている。

 

八戸に住んでる頃、まだ弟は3歳だったが身体が大きかったので、友達と三輪車で遠くの海上自衛隊の運動会まで行ってしまった。ついて行った友達は途中で帰った。会場では、迷子の呼び掛けをしたが、親はおらず、当たり前だ。近所の弟の素性を知ってる人のお陰で、家まで、自衛隊のジープに乗って帰って来た🤣

 

仙台にいる時は、母が借りてる家の本屋さんの手伝いをしていたので、保育所に預けられていた。昼寝の時間全く昼寝をしない。やはり、身体が大きかったので、他の子供に暴力を振るっていたみたいだ。

 

母と私と弟が駄菓子屋の前を通りかかると、何か買ってもらいたくて、子泣き爺みたいに石のようになって、背中を地面につけて動かなくなってしまい、母が見かねて気が済んだら私に見守って連れて帰って来てという事で、彼の背中を見守りながら帰った事がある。グスングスンして帰る後ろ姿の弟はとても可愛かったけどね。

 

仙台から東京までは、深夜バスで引越しで来たけど、まだリクライニングが無い椅子でまだ小6の私は足が浮腫んで大変だった。途中のドライブイン弟はまだ小1だったけど、コロコロしていて可愛くて、おじさんが見惚れていたくらいだ。

 

夏休み親戚の家に行くと、冷蔵庫等のダイヤル回しまくって、よく親戚にひんしゅくを買う。

 

大人になって、結婚した私と同い年の男の子達は、ビックリする位大人しかった。母は、何でも男だからしょうがないといっていた。私には子供がいないが、あんなうるさい男の子はやっぱり勘弁だなぁ。

 

小2の時まで、活発な子だった。将来出世するねと言われていたくらい。しかし、女の先生にいじめられ、ものすごく暗い子になる。母がいうには、日曜日小学校の動物の世話をしていたのに、先生は全然褒めてくれなかった。動物をすごく可愛がるのは、アスペルガーの特徴の一つらしい。

 

弟は高校はなぜか全寮制を希望した。父も北海道に単身赴任していたので、条件は揃っていた。

しかし、いじめの標的にされ、父親に参観日に行ってもらい、大勢のPTAの中で陳述してもらった。この事を弟は今全く感謝してる風もなく、死んでからも爺さまと呼んでいる。この時、いじめっ子の中心人物は両親と共に実家に謝りに来たが父が不在だった。父がそれを知った時、何で家に上げるんだと怒っていたけど、弟にも非があった事を父は教えたのだろうか?そうすれば、もっと弟は、違っていた気がする。

 

こういう経緯があり、弟は大学を目指し、ラッキーにも現役で、受かってしまった。2校受けて落ちていたから、もう浪人決定と思っていた。その当時は、私も一緒に暮らしていたから、あの弟が、暗く家にこもるのは耐えがたい気がしたけど、今になって考えると、あの時暗く家に閉じこもっていた方が、その後反省し、新しい展開があったかもしれない。56歳になって発達障害と認められ、やれ親のせい、先祖のせい、俺は小さい頃虐待されたんだと58歳にもなって、家で暴言、暴力、そして実家は全部俺のものだという態度は耐えられない。父が亡くなり押さえ込む人がいなくなった。赤ちゃん返りもはなはだしい。

 

精神科に行ってからというものお父さん、お母さん、お姉ちゃんと言わなくなった。精神的な指導をしてくれる精神科とは思えない。薬をもらうようになって、双極状態が激しいと母もいっていた。精神科の罠にハマっていた。

 

アスペルガーは遺伝性という説もあり、父方の血かなと思っていたが、父が亡くなった後の母親の態度をみると、母親である可能性もある。

 

家の家計は父が握っていて、母はよく父がお金をくれないと嘆いていて、ものすごい大げんかをした事もある。父がケチだからと思っていたが、母親の性格もあったのではないか。父は、意識があるまでお金の事を母親に引き継げる程、頭が明瞭だった。

私は、相続の件は専門家に説明させたら分かってくれるのかと思って、母と弟に弁護士から説明させようとしたところ、母親が何か訴えられるんだと思って、警戒してしまった。私の物を捨てた時、訴えたらいいでしょと言ってたくせに。

 

私は冗談で、実家の家族は認知症とアスペルガーなのと言っていたけど、本当にそうなってしまって、母と弟に理論、理屈は全く通用しない事を思い知った。