水沢アキの財産弟に取られた件


私の周りでは、兄弟姉妹遺産で争うケースが本当多い。


従兄弟は、兄にばかり実家の土地を相続したという事で裁判沙汰。


知り合いのヒーラーは、お母さんが実家に戻ってくれという事で、実家内の別練に住んだら、同実家内の弟に2,000万円請求された。


これって、なんで起きるのか。親が生きてる時きちんと家族同士に向き合えてなかったから。具体的にいうと、兄弟姉妹同士の学歴格差とその後の収入格差なんだよね。


従兄弟の弟は、成績が良く、遠くのよい高校に通い、歯科技工士の学校に行って独立。しかし、近年仕事がなくなり、お嫁さんの家族とやっている会社が先細り。少しでもお金が欲しいのだ。


ヒーラーさんは、一時すごく稼いでいたけど、最近は病気がちで先細り。先に住んでた実家の弟家族から、ここに住むならと2,000万円請求された。実家の土地は自分にも相続権があったと思っていたけど、実際は違っていたそうだ。


水沢アキも、弟との収入格差だろう。両親が弱り始めた頃から、姉が作った財産を狙っていたのだろう。


なんでこんなことが起きるのか、親が社会通念で教育してるからである。学歴さえつければ、将来安泰という錯覚のためである。私は、女だから、大学は行かせてもらえなかった。


しかし、最近まで流行っていたワーキングプーア。意外に高学歴にもいる。うちの弟もだよ。歯医者さんでさえ、年収300万円以下の人がいるそうだ。


大学行ってもワーキングプーアの出る現実。なのに奨学金を返さなければならない人もいる。お隣韓国では奨学金の返済は免除のNHK番組を観たことがある。なのに日本では、中国人の奨学金は手厚く、日本人には厳しい。いったいどうなっているのこの国❓



最近、ワーキングプーアの話題が消えたのは、私の弟のように正社員に起用する会社が増えたからかもしれない。正社員になったらなったで、仕事がは死ぬ程大変。だから、辞めちゃう。人手不足は解消できず。


最近行っているスリランカ料理の先生の旦那は、スリランカ人。成田のホテルで働いているが、家に帰るのは、ほとんど寝に帰るだけ、休みの日はほとんどテレビと日本の旦那様になってしまっている。外人だろうと日本人だろうと社員には容赦しない。日本は商品もサービスもすばらしいのに人手不足だ。もはや、慢性化して解消の兆しさえない。建前上、やれ時短だ、休暇取れと言ってるだけ。


スリランカ人が留学する時、親戚中から何百万も借金して日本に来るそうだ。スリランカは、政府が安定してないらしいが、まだ、家族の助け合いが生きている。先生はお子さんはいないが、老後はスリランカで甥っ子、姪っ子に世話になる予定だそうだ。


日本では、知り合いの助産師が、男性が育児休暇取っても、使い者にならないと言っていた。そりゃそうだよね。最近、おばあちゃんが孫の世話をする話はあまり聞かない。年寄りが仕事してる話はよく聞くけど。なんか効率悪いよね。


日本人は、コロナの時もそうだったが、徳川さんの政治が良すぎて、政府の言う事聞き過ぎなような気がする。もっと、家族で助け合うよい道があったのではないだろうか❓


花森安治の事を調べるために、とと姉ちゃんの本も読んだ。


彼女は、大正生まれ、終戦の時25歳。

食糧がない時、岐阜まで食糧をもらいに行って、たくさん作ってもらったおにぎりを汽車の中の人に配った話しもあった。


そんな時、上記のYoutubeを観てふと思った。

小麦粉だから、グルテンフリーじゃない。平成5年のお米がない時、鈴木その子さんは、すいとんを食べなさいと作り方を教えてくれた。母親に言わせると、戦争中のすいとんはこんなに美味しくなかったと。


弟も3歳の時、駄菓子屋でやっているお好み焼きを一人で食べるのが大好きだった。


こんな食事していたら、母親からは野菜が不足していると何かを出されそう。イラッと来そう。


でも、食事の基本ってこれなんだよね。


今の食事は目で食べている。頭で食べている。食べさて頂いているという神への感謝がない。


と思いつつ、今日もたくさんの情報と材料の中から選び出す私。



花森安治という人がどういう人が知りたかった。
暮しの手帖の編集長、NHKの朝のドラマ「とと姉ちゃん」に出ていた唐沢寿明演じる人物だったが、あんなにいい男じゃないよ😆
私が高校生の時にお亡くなりになったが、その時に見た女装のインパクトが強くて、何者かあまり分からなかったのに、いつまでもその写真の印象が深かった。

私の世田谷に住んでいた義理の大叔母が暮しの手帖を愛読していて、その影響で母も時たま買っていたような気がする。

上記の本の作者によるとあれは女装ではないそうだ。
東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業の彼は、金太郎飴のようなサラリーマンの背広とワイシャツネクタイのスタイルを皮肉っていただけで、パーマをかけたり、ショートパンツを履いていたりはしたが、スカートを履いたりはしてなかったようだ。

また、戦時中は大政翼賛会で働いていたが、本人は戦争責任があるなんてつゆほども思っておらず、これからは絶対にだまされない、だまされない人をふやしていくという思念のもと、暮しの手帖を作っていたのだ。

コロナ騒ぎの頃、花森安治だったらなんていうかなって思っていた。また、戦争がおっぱじまったよっていうような気がしてならない。

彼は分かっていた。戦後から高度成長期にはなりこそすれ、政治は国民のためを考えず、自分たちの利益のために、自分たちの票のために行っていることを。
時代は悪くなっている。権力は、恣しいまま、やりたい放題だということを。