大きな病院で担当医から癌の説明があった週の土日は、父の看病に帰った。父が何も食べられないというので、母が焦り出し、医療機関に相談したところ経口補水液を薦められたが、薬局では在庫がないので、土曜日まで待ってくれという事で、駅前まで取りに行かなければならなかった。

 

土曜日母と一緒に、駅前まで買い物に行った。母は、父の看病で若返ったようだった。しかし、年のため要領が悪く私と一緒に行動をしようとしていたが、私はコロナ明けであまり体力がなくなっていたので、別行動にしようという事で、薬局まで経口補水液を取りに行った。

 

取りに行って、運んでから愕然とした。

ものすごい重さ。

私が確認したところ、6キロ。母が電話で聞いた話では2キロと聞いていたが、3倍も違うじゃん。大病院の外科の先生といい、薬局といい医療機関の冷たさが伝わってきた。よくよく考えたら、Amazonで注文すればいいだけのことだった。

 

 

 

 

 

あまりの重さの為、母が戻るまで喫茶店で休む事にしたが、あてにしていた喫茶店はコロナの為休業中❗️

あの重さの中、また、そろそろ暑くなる時期だったので、引き返し別の喫茶店で母を待つ事になった。

 

なんなのこれ❗️本当は母が取りに行くことになっていた。86歳の老婆にこんな重い物を運ばせようとしていたのだ。

 

しかしながら、父はこれさえも、もう取れなくなっていた。食べられるのは、氷だけ。私が、癌に効くという公園から取ってきたオオバコ茶さえ飲めなくなっていたのだ。

 

 

 

 

2年前のGW実家で中華パンを作った。父は美味しい美味しいと、本来は中華鳥を挟む料理なのに、気に入って、ジャムをつけて食べ出し、この量じゃ足りないんだなぁと思ったほどだ。

 

 

そんな食欲旺盛だったのに、私がコロナで養生の頃、父は、足の調子が悪いという事で、10年位高血圧の薬をもらっている駅前病院に訴えた。

 

母が、換気扇の掃除をしようとしたところ、父から病院の担当医が至急奥さんを呼ぶようにという事で、電話が架かって来た。母は、これから、換気扇の掃除をしようとしてるからダメよと答えたが、父は、担当の先生が呼んでるんだから、とにかく来いとの事だった。母が行ったところ、MRIの検査では、ステージ4の肝臓癌とのことだった。

 

父は、その前の夜いつものようにパチンコに行って、夜まで帰ってこなかった。そしてその時、病院は、電話をしたのに、いつものように父は携帯電話に出る事はなかった😆だから、病院からは、相当叱られたようだった。

 

父は、癌と分かってから、寝込むようになり、口の中が苦くなって、食欲もなくなった。大きな病院の検査では、原発は膵臓癌との事だった。担当医からの説明があった後家族で、寿司屋で食事をした。私は、コロナ明けで食欲なかったし、父もあまり食べられなくなっていた。それが、最後の家族での食事となった。

私がコロナの後職場リハビリをしている頃、2年前の今頃母からショートメールが来た。

 

帰宅したら多摩へ連絡下さい。おとうさんのしんばいな病気のこと伝えなければならないから

 

父は当時86歳、大変丈夫な人で、80歳を過ぎて仙台の郊外の物件を売る時、夜行バスで仙台に行き、不動産屋で手続きを済ませ、時間が余ったので、松島に観光に行って、またその日の夜行バスで東京に帰るといったような私でも太刀打ちできない元気さだった。

 

その年の6月3日家族と駅で待ち合わせ、バスで病院へ行って、担当の先生の話を聞いた。

 

膵臓癌のステージ4、2泊3日で入院して抗がん剤を射ちましょう。しかし、その日程は、コロナワクチン2回目の予定が入っているという事で、入院は次の週になった。

 

ドラマのような通り一遍の医者の説明、抗がん剤の話、休暇がない中わざわざ休暇を取ったのに聞く価値のない話の後、この医者は、がんの患者にワクチンを射つ事を容認している。抗がん剤投与の話しだけで私は叫びたくなった。

 

父は、TVを信じコロナを恐れコロナワクチン1回目は射ってしまっていた。

 

せっかく私が父にエドガーケイシーのホリスティック医療の本を4巻も薦めていた。英語が好きな父は、CAREという言葉を気に入っていた。

 

 

 


C   Circulation     循環

 

A   Assimilation   同化

R   Relaxation     弛緩

E   Elimination     排泄

 

しかし、コロナという恐怖の前では、こういう知識は吹き飛んでしまったようだ。