メイドたちの記憶 故燕 | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 2022年こそは御帰宅日記を更新しよう......そう思っていた矢先、コロナに罹ってしまった。結果、1月24日以降は自主隔離となり、陽性確定後、2月6日までは行政法上、外出できない身分だった。厳密にいえば、病院へ行くために外に出たり、陽性確定以前は丑三つ時以降、誰もいないころを見計らってコンビニへ行ったことはあった。

 

 2週間も休むと、ひとの暮らしは変わってしまうもので、高熱に唸らされては妙な時間に寝て起きてを繰りかえし、研究やら仕事やらが溜まっていた。ようするに様々な予定が大きくズレてしまい、確定申告の経費入力が終われば行けると思いながら、結局、ゆえんぴの卒業式には出席できなかった。だから、ただ哀しく画面の向こうを思いながらも、流れてくる笑顔の彼女をみてうれしく思っていた――そう、メイド故燕、ゆえんぴの卒業である。

 

 ゆえんぴとの出会いは、記憶の限り、コロナの猛威に街が静まり返っていたころ、2020年の3月頃だ。外出自粛、飲食店への時短陽性が始まる中、FunnyTearsが始まった。御屋敷e-maidが縁あって新たな店舗をひらくと聞き、FTに伺った。そこでおそらく最初か二番目に出迎えてくれたメイドがゆえんぴだった。くっきりとした端正な顔立ちに、お世辞でも何でもなく素直に「西洋人形みたいなメイドさんだな」と思った。

 

 しかし、会話をかわして気づく。彼女は人形ではなく、当然ながら血の通う人格あるメイドだと。たしか名前の由来について聞いたときだった。メイドにしては凝った名前だから、その由来を聞いた。うろ覚えだが、彼女は店名に込められた願いに重ねて、こう答えた。「涙は本当の自分に戻る"機会"、そんなきっかけを与えてくれるもの、楽しい自分に戻るための場所、そんな場所に立ち寄ってくれる所以(ゆえん)になれたらいいなと思って」――そう答えた彼女の少し緊張した笑顔を今でも覚えている。

 

 その後、最初期3週間ほどのあいだに数回、FTに通った。御屋敷の一部を守りたいと思ったからだ。しかし、時短営業になり、これはいよいよヤバいと思った旦那様方が過密に御帰宅を始めた。FTにも通う人々が増えた。それで、後は通える旦那様方にまかせようと、ぼくはFTには足を運ばなかった。

 

 おそらくこの始まりの時期だったと思う。彼女が明治/大正時代が好きだと聞いたのも印象的だった。なぜなら、ぼくは近代日本の思想を専門とする研究者だからだ。もっぱら当時の思想や哲学ばかりに興味があるぼくにとって、ゆえんぴの持つデザインや服飾への感性は、研究射程を広げる気づきにもなった。たしかに人々の生活は思想や哲学だけでは説明できない。美的感覚、デザインなどによっても規定されるのだ。だから、ぼくにとってゆえんぴはどこか気になるメイドさんではあった。

 

 その後、どれくらいか覚えてはいないが、おそらく約一年近いブランクのあと、何かの機会で再びFTに通うようになった。久しぶりに会ったゆえんぴはよく笑いながら旦那様やお嬢様方と話していた。時計の針が回った分だけ、彼女はその名前の通り、旦那様方お嬢様方にとってFTに戻ってくる理由になっているんだなと思い、うれしくなった。

 

 

 

 最後に彼女と話したのは、さりーさんの話題だった。どれほどゆえんぴがさりーさんを好きか、迫真の真顔で話す彼女は、ちょっとおもしろかった。良い時間だった。いま思い出してみても、ちょっと可笑しい。

 

 いまコロナ後遺症と思われる長引く咳も止まりかけている。確定申告も何とか終えた。やっと日本橋に戻り、FunnyTearsに御帰宅しても、そこにはゆえんぴはいなかった。知ってはいたけれど、少し切なかった。そして三寒四温という慣用句を実感するようになった。春が近いのだ。そんな春に向けて、ゆえんぴは袴姿で「メイド」という階段をのぼり卒業していった。

 

 ぼくは卒業式には間に合わなかった。けれど、やっぱり、ゆえんぴに会えて良かった、と思う。疫厄の中、ぼくらがぼくらである所以をくれた彼女は制服を脱いで次の場所へ向かっていった。ぼくらに残ったのは、泣いても笑ってしまうような、そんな楽しい記憶なのだ。

 

 また季節がめぐる。本州ではまだ少し遠い桜が南西諸島のほうでは咲き始めている。毎年ほのかに鴨川を染める桜色のような、忘れ得ぬメイドゆえんぴの記憶が季節を温めている。だから卒業式に間に合った人々とともに、挨拶が遅れたぼくも伝えたい。

 

 メイドになってくれて有難うございました。故燕さんと過ごしたFunnyTearsは、あなたが願ったとおり、多くの人々にとって、ぼくにとって戻りたい場所になりました。さみしくはなりますが、新しい場所での歩みの祝福を祈ります。父と子と聖霊の御名によって。

 

 メイド故燕のお出かけですね。お気をつけていってらっしゃい。長寿と繁栄を。

 

 恙なく健やかに行きましょう、主の平和のうちに、新しい歩みへと。