メイドたちの記憶 まなつのねおんソーダ | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 約一年前、2021年3月17日の深夜、noteに「ねおんソーダ」という文章を書きかけた。夢見るアドレセンス『メロンソーダ』に重ねて、FunnyTearsのねおんちゃんの音楽センスの心地よさについて書こうとしたのだ。しかし年度末は研究も仕事も忙しい。翌日には古代ローマ帝国の宗教事情に関する辞典項目の校正やらシナリオ仕事やらが入って、途中で止まっていた。結局、あれから一年間、続きを書けなかった。だから、そこから始めて、卒業する忘れ得ぬメイドまなつ、ねおん両氏への送辞としたい。送辞なのに、いささか変な文体になることは許してほしい。

 

 気がつけば、ぼくは異常独身限界中年発狂全裸盆踊りスピおじメイドスキーとなってしまった。しかし誰にでも玉のような子供時代がある。ぼくにも中高生時代があった。その頃は音楽が好きで、大学3年くらいまでは、わりとCCM(現代讃美歌)の感性で生きていた。音大生たちとバンドを組んでいて、スタジオ・ミュージシャンにドラムの手さばきを誉められたときが、ぼくの青く拙い音楽歴のピークだった。バンドとして招かれ、何度か演奏したこともある。しかし、大人になって楽器を触ること、音楽を聴くことからも離れていった。

 ぼくが音楽に再び出会うのはアメリカ時代だ。在米時は初音ミクとsupercellのセンスに驚愕した。当時、築200年くらいの建物の屋根裏に住んでいた。日本にあれば歴史的な建造物になるはずなのに、現役で校舎として使われていた。ひとり小さな三角窓から外を眺めながら、エレキ・アコースティック・ベースを弾くのが好きだった。アコベは、結局世話になったアメリカ人の友人に餞別として上げてしまった。いまでもたまに買うか迷うくらいには好きである。

 

 帰国してからは、アニソンを少し聞くようになった。そして数年前から知人らに教えられて、わーすた等のドル歌を聞くようになった。わーすたのみならず現代アイドル曲はバンド音楽としては相当にセンスが良い。ジャンルは違えど東京事変や「けいおん」楽曲並みのクオリティに到達している。その他に最近聞いているものといえば、雨音などの環境音BGM、またはLo-fi-hiphop24/7ジャンルである。

 端的にいって、最近は感性が枯れていた。もう「今流行ってる」といわれる音楽を聴いても、どこかで聞いたことのあるような音作りで、とくに新しさも感じなかった。ところが先日(約一年前)たまたまFunnyTearsに座っていて流れる音楽に耳を奪われた。「EDM」というジャンルらしい。新たな音楽ジャンルとの出会いは、非常に楽しいものとなった。そう、ぼくはねおんちゃんの音楽の趣味が好きなのである。

 

 そんな「ねおん」と名乗るメイドに出会ったのは、2017年12月頃だ。もしかすると、もう少し前かもしれない。日記によれば、12月2日の土曜日、ぼくは300円で買った古本『河童アジア考』をもって畏友作家氏と御帰宅していた。いまは天に帰った「VillAnge」で鍋を食べて雑談していた。そこで、ぼくは、ぼくらはねおんちゃんに出会った。

 黒髪の三つ編みおさげはウィッグで、彼女の地毛は鮮やかな派手色だった。「黒髪の三つ編みおさげ」が象徴するものからは遠く離れた、その髪色には驚いたけれど、翠髪ともいうべき、その姿はよく似合っていて素晴らしいと思った。あれから4年ほどたって、当時、新人メイドだったねおんちゃんは、FunnyTearsの筆頭メイドとして店づくりを行い、さらに制服までデザインして、いよいよ卒業することになった。「やり切った」と言っていい。

 

 そして折しも、彼女と同じくVillAngeにて出会ったまなつさんも卒業することになった。

 

 

 どちらから聞いたか忘れてしまった。ある日、まなつさんとねおんちゃんが話しているとき、「この春でメイドを辞めようと思っている」と打ち明けた。「え、嘘、わたしも...w」という会話をしたらしい。なんとなく想像できる二人の会話に思わず笑ってしまった。

 

 まなつさんとの出会いは、VillAngeである。どの時点で話すようになったのかは、あまり覚えていない。VillAnge閉館の際、ぼくの送辞には以下のようにある。

 

まなつさん、マイペースな感じとことばのセンスが好きです。合同ライブの際のマイペースっぷりが可愛くて、記憶に残っています。またラストチェキ計画の最初の一枚は、まなつさんでした。よく分からないことを言われても、丁寧に応じている様子から優しさがにじみ出ていました。そこに癒やされ救われた人も多いと思っています。

 

 多くの人が同じことを感じていたはずだ。閉館の日、メイドさんへの最後の挨拶の行列に並びながら、ある旦那様がまなつさんの前で泣きながら挨拶していた。まなつさんに対しても、その先輩に対しても、二人とも本当にいい人なんだなと思った。

 

 先日、まなつさんの最後の平日お給仕の際、その先輩にこの話をすると「フフフ、まんまと騙されましたね...w」と笑っていた。しかし、ぼくは知っている。その先輩と同じように、泣いてしまうくらいには好きになってしまう、引退をさみしく思ってしまうメイドがまなつさんなのだと。

 

 まなつさんがさりーさんの誘いもあってかemaidにて復帰したことは本当にうれしかった。たしか一度、ななせさんがまなつさんを訪ねて御帰宅していたことも覚えている。いま、ななせさんもあきほさんも復帰してくれた。彼女らのメイド復帰の理由のひとつは、まなつさんの存在ではないだろうか。

 

 何が言いたいか。それくらい、いつのまにか彼女は静かに人々に寄り添ってくれるのだ。御本人は謙遜し、固辞されるかもしれない。しかし、彼女の存在は多くのメイドさんにとって、旦那様お嬢様方にとって、まるで空気のように透明で、しかし必要不可欠な存在だったのではないか。少なくとも、ぼくにとってはそうだった。

 

 まなつさんは、先代オーナーのときに一度emaidの面接で落とされている。しかしオーナーの代替わりにより、彼女はemaidのメイドとして働いてくれていた。オーナーとぼくと畏友作家氏の前で、その感謝を語ってくれる彼女の話に聞き入ってしまい、ぼくは注文を頼むのを忘れてしまった。

 

 真っ青な夏の空の光が苦手なのに、まなつという名のメイドさんは、こうして、ぼくらの前に現れて、そして去っていく。彼女が珈琲や紅茶と一緒に置いてくれた優しい思い出や記憶は、ぼくにとってはアイドル・わーすたの『詠み人知らずの青春歌』MVのような疾走感と色彩に溢れている。同曲の歌詞にもある通り、真夏の一日のようにまぶしい。

 

炎天下のアスファルトは なんか罰ゲームみたいだな

どこからか聴こえてくる歓声 肩落としてる場合じゃないや

群青色 揺れてた

詠み人知らずの青春歌(ラブソング)

きっと届かないな
青春は矢の如し ボーっと眺めてたら

いつか消えちゃう 炭酸の泡みたいに
綺麗だ

 

 

 FunnyTears故燕さんの卒業発表、その直後に来たまなつさん、ねおんちゃんの卒業発表は、正直にいって堪えた。コロナに罹患し、結果、滞った仕事をなんとか片付けて久しぶりに日本橋を訪れた。emaidとFunnyTearsに御帰宅し、「どうせ明日も仕事の前に御帰宅するのだから」と御屋敷近くのホテルを取った。部屋に戻り寝落ちするまで何度か頬が濡れた。否、正直にいえば泣きながら寝落ちした。

 

 まなつさんの卒業はさみしい。しかし、それでも一度戻ってきてくれているし、今後も「お嬢様として会うこともある」と御本人も語る。だからさみしくはあれ、納得はあった。しかし、ねおんちゃんの卒業発表は青天の霹靂だった。

 

 まずVillAnge閉館時の送辞に戻ろう。ぼくはこう記している。

ねおんさん、最初、河童の話をしたことを覚えています。いま思えば、ミントグリーンだからかなと考えます。物怖じしない姿勢は好印象です。また、この街のどこかで会える日を楽しみにしています。

 

 約数行の別れの挨拶だ。しかし、いまは、この長文を綴るくらいには時間が過ぎた。いつか、この街のどこかで会えたらいい人ではない。月曜夜にFunnyTearsで必ず会いたい人だった。

 

 最近、仕事の都合で土曜に大阪に出ることは少なくなった。だから必然的に、ねおんちゃんに会えるのは月曜だった。宿直明け、ときにはネカフェで昼寝してカフェインを摂取しまくって夜7時にFunnyTearsの扉を開けるのが楽しみだった。

 

 音楽の趣味、アニメキャラのような容姿、朗らかで好奇心旺盛なその為人(ひととなり)、大きく口を開けて笑う笑顔に癒された。VillAngeの後半期にメイドになり、別店舗を経由してのち、FunnyTearsの基礎をかためて、制服までデザインして、彼女は卒業していく。そう、真夏の空の光の中で、まるでいつか消えてしまう炭酸の泡のように。

 

 いつでも誰に対しても朗らかに接する彼女はまぶしかった。これからも彼女が読んだというおもしろい本の話を聞きたかった。ねおんちゃんに質問されて、なんとか伝わるように答え方を考えたかった。

 

 ぼくは日本と海外で修士号を二つ持っている。その後、文系の博士課程に入った。今年、博士論文を提出せねばならない。結果、ぼくは生来のコミュ障に拍車をかけてしまった。自分の専門について、または世相について、誰と何を語っても仕方ない...と黙るようになった。徹底的に議論し緻密に話すなら査読論文を書くしかないからだ。

 

 しかし、ねおんちゃんの朗らかな好奇心は、そんなぼくにとって会話の扉を開いてくれるものだった。いつのまにか会話を楽しいと思える、楽しんでくれているなと思える関係になっていた。

 

 もちろん、ぼくは彼女の実名を知らない。しかし「メイドねおん」は、彼女の作品だといえる。半匿名だから1.5次創作とでも言おうか。半匿名でなされる、限られた場所に現れる彼女の作品、それがぼくの楽しみであり癒やしだった。それは、まなつさんでも同じだ。もちろん、現役でいてくれる他のメイドさんでも同じことが言えるだろう。

 

 

 そして、ついに、まなつさん、ねおんちゃんが卒業してしまった。3月26日、卒業イベントは大混雑だった。もはやオペレーションも崩壊していたが、しかし、それでも何よりも良かったのは主役のねおんちゃんが終始、笑顔で楽しく過ごしていたことだ。あきほさん、ひよりんも駆けつけていた。それぞれに「メイドねおん」との別れを惜しんでいた。たのしくて楽しくてよい時間だった。

 

 夜が明けそめて3月27日、まなつさん最終お給仕日。10時半には待機列が形成され始めたので、九州から駆けつけた、ひこにゃんと慌てて列に並んだ。正午、少しずつ人の増える館内に髪を切ったまなつさんが入った。続々とみなれた顔、常連の先輩方が集まってくる。皆「メイドまなつ」を見送るために集まってくる。今まで何度も「お気をつけていってらっしゃいませ」と見送ってくれた彼女を、今度はぼくらが「いってらっしゃい」と見送るために。敬愛する先輩がろ氏が「身体に気をつけて幸せになるんやで!」とコメントされていた。本当に、これ以上ない一言だ、これしか願えない。心から同意する。

 

 3月28日、月と太陽がめぐり、また朝が来た。メイドねおん、メイドまなつはもう人前に立つことはない。月曜の夕方、ねおんちゃんに会うために眠気を我慢してカフェインを摂り過ぎなくてもよい。身体にはよいけれど、やはり、さみしい。ふと御帰宅して、まなつさんを見つけてしまって作業の手を止めなくてもよくなる。本当は手を止めたいのに。

 

 しかし、彼女たちが卒業すると決めた以上は、それを喜んで見送りたい。そう思うのは、ぼくだけではないだろう。emaidとFunnyTearsに座る多くの旦那様お嬢様も同じ気持ちのはずだ。だから伝えなくてはならない。今までありがとう、と。

 

 まなつさん、ねおんちゃん、卒業おめでとうございます。今までの数年間、ありがとうございました。ぼくにとってお二人は忘れられないメイドさんです。

 

 個人的には願っていた、思っていた人生行路を外れた先で、新たに見えてきた水平線、踏み出すべき地平を見つける過程において支えになってくれたメイドさんが、お二人です。

 

 少々大げさな話ですが、もし戦争の元凶となったヒトラーのそばに彼の絵画への情熱をわかる大人がいれば歴史は変わっていたかもしれない、そんな話がよく聞かれます。

 

 何が言いたいか。ぼくらは得てして隣にすわる誰か、挨拶を交わす誰かの内奥や横顔を知らないものです。でも、だからこそ何気ない一言や、意図しない仕草で、ときには、そこにいることだけで、人は誰かを助けることができます。

 

 「メイド喫茶で働くこと」は、そんな「誰か」に優しさと敬意を以て接する仕事だったのではないでしょうか。ぼくだけではありません。お二人が御給仕してくれたことで、何かが変わった旦那様お嬢様、多くの「誰か」がいたはずです。ぼくは、ぼくらはあなたがたに助けられた「誰か」でした。

 

 メイドになってくれてありがとう。

 自分がつらいときにも、ぼくらに優しくしてくれてありがとう。

 メイドとして、そこにいてくれてありがとう。

 

 お二人がくれたもの、それは、真夏の光に輝く炭酸の泡のように、透明なグラスに揺れる氷の音のように、涼やかで懐かしくて楽しい記憶です。

 

 だから罰ゲームのように思える一日が来ても肩を落としている場合ではありません。お二人と過ごせた時間で与えられたものを、それぞれの日々の中で育てていかなくてはなりません。ぼくの場合、それは神と人の前に博士論文として提出されねばなりません。たがいに次なる段階を目指して頑張りましょう。だから、さみしくて上手くは言えない、できれば言いたくない、この祝福のことばをお二人に送らねばなりません。

 

 

 わが神、わが主、しもべは恩寵のゆえにあなたの御名を呼び起こします。

 どうかしもべに与えられた契約のゆえに、この二人の友を祝福し、その行く道を御守りください。

 神なる主、あなたがしもべにお与えになられた全ての約束の通りに、

 父と子と聖霊の御名によって、死の陰の谷を歩むときも彼女らを祝福してください。

 しもべに約束された恩寵のゆえに、契約のゆえに、それを果たして下さい。

 

 まなつさん、ねおんさん 

 

 主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

 主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。

 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。

 父なる神の愛、主イエスの恵み、聖霊の親しい交わりが、

 メイドまなつ、メイドねおんの上に、卒業後、今よりのち、永遠までありますように。

 つつがなく健やかに、長寿と繁栄を。
 行きましょう。主の平和のうちに。

 

 お疲れさまでした、ありがとう。

 メイドまなつ、メイドねおんのお出かけですね。

 お気をつけていってらっしゃいませ。

 

 また、いつかどこかで会える日を楽しみにしています。

 そして会えたなら、真夏の空色みたいなソーダを一杯おごらせてください。

 

 いってらっしゃい。

 

会員番号239/4548 

さむ 拝