メイドたちの記憶 めるさん、のんちゃん | さむの御帰宅日記

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ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 このブログの最後の更新が昨年の七月末だから、一年弱にわたり更新は止まっていた。理由はシンプルで「忙しかったから」。忙しいとは、心を亡くすと書くが、emaidについて書けないほどには七月以降、忙殺されていた。

 

 さて、忘れえぬメイドたちの記憶である。

 

 めるさんが卒業した。めるさんに初めて会った日がいつだったか覚えていない。おそらく、emaidに移ってきて、しばらくして、ぼくも慣れたころだった。そこには愛らしくも、しかし明らかに新人ではない動きの見慣れぬメイドがいた。二回目か三回目にお見かけした際に、水を淹れてくれたので聞いた。「OBの方ですよね?」。めるさんは、あの人懐っこい笑顔で「はい、以前に少し、新人ですけども、ふふふっ」と笑った。たしか、そんな受け答えをしたように思う。

 

 のちにemaidの先輩方から聞くところによると、以前、大変愛されて惜しまれながら卒業したメイドさんの一人とのこと。噂に違わず、愛らしく丁寧で、気さくな人だった。そして、会話の際、物理的に距離が近い。距離の近さ、こちらの目を見据えて話すめるさんの在り方に、少々、気恥ずかしさを覚えて、目を伏せた旦那様お嬢様は、きっと多いと思う。

 

 さて、めるさんの話である。多くの人々が、それぞれ各々に思い出を持っている。卒業するときにのみ、そういった思い出は言語化され、「あぁ、そうだよなぁ」とか、「そうそう、そういうところあるよね」と楽しくうれしく思い出語りがなされる。だから、ぼくも、めるさんが繋げてくれた、ある旦那様との関わりについて少しだけ置いておこう。

 

 ある日、たしか、2番か3番か、そのあたりに座っているときだった。隣に座っている旦那様とめるさんが話している。話から察するに、明らかに大学関係者だった。漏れ聞こえる会話から考えて、どうやら隣接科学の研究者のようなので、めるさんに頼んで紹介してもらった。以後、その旦那様とはメールを交換し、たまに御屋敷で会うたびに、少し会話をしては、またいつかメシでも行きましょう。飲みにいきましょう、という話をしている。ただ、互いに忙しく、いまだ実現していない。それは仕方ない。

 

 何が言いたいか。言いたいことは、めるさんがぼくに与えてくれたものの一つが、隣の科学の知人である。多くの人にとっては象牙の塔に過ぎない「大学」内部の世界について、話が通じる人がいるのはうれしいことだ。emaidは、そんな多様な人々が集まる場所でもある。つまり、めるさんがぼくにくれたもの、その一つが、隣の科学の知人であった。アカデミアーー大学という世界は、なんだかんだと狭いもので、互いの所属や身分を明らかにすれば、何となく共通点なり距離なりが見えて来るものである。そういう意味で「研究者」という肩書でメイドさんを通じて知人が増えたことは、少し可笑しく斬新で楽しいことだった。

 

 だから、めるさんの思い出とともに、隣の科学の知人と細く長く、たまに御屋敷で会っては挨拶を交わしたいと思う。めるさんというメイドが御給仕をされたことで残ったもの、または新たに作られたものがたしかにあるのだ。言いたいことや語りたいことは、たくさんあるように思う。しかし、このエピソードを語ることで、十分に、伝えるべきは伝わるように思う。

 

 だから、めるさんへの手紙は、ここで筆を置かなくてはならない。今まで有難うございました。いつも楽しくうれしく過ごさせて頂きました。コロナ禍によって時間が止まっていたような気がしましたが、少しずつ季節はめぐっているようです。めるさんに会えて良かったです。

 

 新たな歩みに、父と子と聖霊の御名によって祝福を。

 そして、長寿と繁栄を。

 メイド・めるのお出かけです、お気をつけて、いってらっしゃいませ。

 

 

閑話休題。

 

 

さて、のんちゃんである。

 

 のんちゃんもまた4月4日に最終御給仕日を迎えた。当日、中々すさまじい込み具合ながら、彼女は彼女らしかったように思う。のんちゃんに初めて会った日は覚えていない。ただ、カナダへ行って帰って来られたあたりから、英語の話題などで少しずつ話すようになった。また平日午後にいらっしゃることもあり、ぼくのように、平日の昼から夕方に御帰宅する者にとっては、馴染みのメイドさんであった。

 

 「黒髪メガネの三つ編みメイド」というのは、何か漫画なりアニメなりのキャラクターに出てきそうな造形であり、全体的に、どこか異国情緒を感じさせる人だった。多くの旦那様お嬢様にとって、のんちゃんはコアなメイドだったのではないだろうか。

 

 古いアニメや音楽にも造詣があり、バイクから縫製、デザインまで、多趣味の人である彼女と話すとき、話題は事欠かなかったように思う。

 

 のんちゃんは、ぼくがemaidに移って来たときには既にそこにいた。だから、先輩の旦那様方と同様に、当然、年下ながらも(メイドさんは毎年17才になるので)どこか先輩のような存在だった。きっと多くの人にとって柱のような存在だったのだろう。ルールはルールとして伝える様子に、自己主張の強さを感じる人もあったかもしれない。

 

 しかし、ぼくは、こんな場面をみたことがある。

 

 2021年の2月か3月の話だ。おそらく初見の、いわゆる一見の老人二人組がやって来た。いまどきマスクをせずに飲食させてくれる店舗はそうそうないし、どこもかしこもマスクである。当然、emaidでも入り口に張り紙がしてあり、入店時にも「飲食時以外はマスクの着用をお願いします」と伝えられる。

 

 しかし、その老人二人は大テーブルに座り、大声でマスクを外してしゃべっていた。明らかに周囲の気分を害する声量であり、かつマスクをしなかった。やかましいし、集中できないなと思っていたら、のんちゃんがさらりと老人二人を注意した。結局、その老人二人は珈琲を一杯のみ、会計時に、のんちゃんに少し文句をいって出て行った。

 

 水を注ぎ、食器を引きに来た彼女に思わず言った。

「お疲れさまです、チェキをピンで一枚」

「え、なんで?」

「お疲れ様でした、ゴミ片づけ」

「あっ、あぁw」

「よくぞ注意してくれました。」 

「まぁ、ああいうときは感情を込めずに事実のみを伝えるのがいいかなって」

 

 もちろん、ぼくと彼女の会話は、別の観点から見れば、少々問題である。「客が別客の陰口を店員とたたく」というのは、あまり気分の良いものではないかもしれない。いつも事実の解釈は両義的だ。裏返せば、ぼくがそのような厄介客とみなされて、メイドさんが旦那様をたしなめることもあるだろう。しかし、ぼくとしては、この時勢に、あんな大声で、横柄な態度で飲食店を利用するというのは、正直、ちょっと無理があるというか、どこか頭がイカれているのだろう、と思わざるを得なかった。

 

 だから、のんちゃんがメイドとして取った行動は、少なくとも、ぼくには大変よいなと思われた。のんちゃんの歯に衣着せぬ、ある意味、飾らない性格が功を奏した場面だった。

 

 そんなわけで、平日昼間に御帰宅し、比較的静かで空いているemaidで執筆や読書をするぼくにとって、のんちゃんは馴染み深いメイドだった。そして4月4日が来て、のんちゃんもまた、emaidの制服を着ることはなくなってしまった。とはいえ、のんちゃんについては、また近いうちにどこかで会える気もしている。

 

 のんちゃん、長い間、大変お世話になりました。

 本当にありがとうございました。

 今後の歩みに、父と子と聖霊の御名によって、祝福を祈ります。

 長寿と繁栄を。

 メイド・のん、お出かけですね。お気をつけていってらっしゃいませ。

 

 

 桜が冬の名残りを散らして、地面を冷やす季節。それはコンカフェ業界においては、出会いと別れの季節でもある。考えてみれば、SNSが惑星全体を覆う現代、「別れ」とは、贅沢な悲しみかも知れない。メイドはアイドルでもないし政治家などの公人でもない。あくまで飲食店の従業員である。

 

 御屋敷に足しげく通う旦那様お嬢様方と同じく、それぞれに生活があり、家族があり、過去と将来がある。自己申告の名前と疑えない顔だけが、ぼくらを繋いでいた。しかし、暇を得たメイドは、御屋敷では客となってしまう。だから、辞めてしまうと、無関係な人になってしまう。たまに見かけることはあっても、以前のような関係ではない。OGイベントがあれば違うかもしれないが、それは非日常になってしまった「過去の日常」なのだ。

 

 公人でも芸能人でもないから、SNS経由で消息を知ることもあまりできない。不可能ではないだろうが、やはり、もう変わってしまう。しかし、変わることは良いことなのだ。桜が散って新緑が萌え出でるように、季節はめぐる。だから変化は良いことだ。それぞれに新しさがやってくる。

 

 今までのようにメイド・めるさん、メイド・のんちゃんには、もう会えない。その哀しさが花冷えのように、足下の影を薄くする。しかし、その甘い哀しみは、やはり贅沢なものだ。無論、言うまでもなく、ぼくよりも、めるさん、のんちゃんと関わってきた旦那様お嬢様方がおられるだろう。だから、ぼくは先輩方の後ろに立って、先輩方とともにいう。

 

 お疲れさまでした。卒業おめでとうございます。

 お気をつけていってらっしゃいませ。

 

 めるさん、のんちゃんのお出かけです。

 

 いってらっしゃい。

 

さむ 拝