メイドたちの記憶 ほとりん | さむの御帰宅日記

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ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく



 初めてみたメイドは「ほとり」と名乗った。正確には「あ、某所開催女性限定のメイド喫茶企画にいた人だ、ということは、うなぴの友人かな?」と思った。ちなみに最終お給仕日の夜、ぐみちゃんのツイキャスで、実はほとりんの初お給仕がヴィランジュだったと聞いた。


 漫画/アニメ『それでも町は廻っている』に出てくる「嵐山歩鳥」を誰でも思い出すに違いない。そう思って聞いたら「そんな感じです」と快活に笑った。


 しばらくして「虫」好きだと聞いて驚いた。若い女性が「虫」好きを公言することのデメリットがどれほどあるか、ぼくには分からない。ただ、ふぅ〜ん、おもしろいじゃん…!(ウエメセ)と思った。


 去年夏、休みで北九州を訪れた。市立「いのちのたび博物館」は、北九州を惑星規模で位置づける興味深い展示で、大変素晴らしかった。


 虫の柄の入ったマスキングテープをチェキ用のお土産として渡しながら、きっとほとりんなら美しいモルフォ蝶や化石、動物の剥製を気に入るから、機会があれば訪ねてみて、と勧めた。


 その後、ほとりんが友人と北九州へ行ったと聞いて驚いた。本当に行くとは…!?さらに事の顛末を聞いて、もっと驚いた。どうやら「いのちのたび博物館」ではなく、間違って「九州国立博物館」?へと向かったらしい。…なんと!?w


 なかなか予想を超えた動きを見せてくれた彼女の楽しい記憶のひとつだ。きっと多くの旦那様お嬢様にも同じように、彼女との楽しい記憶が残っているのだろう。



 そんな、ほとりんも最終お給仕日を迎えた。どこかコメディエンヌの雰囲気を漂わせながらも、先輩らにはきちんと気を遣い、テーブルの空気を明るくしてきた彼女の姿を惜しむ人は少なくない。


 ただ本人や周囲の言葉から察するにOGイベントはあるかも知れない。「きっとまた会える」、そう思わせてくれるのは、ほとりんの人柄なのか、または彼女の気遣いか、それは分からない。多くの旦那様お嬢様方と共に、その日が来るのを楽しみに待ちたい。


 そういえば、しばらく更新が止まっていたこの日記について、続けるように言ってくれたのは彼女だった。


 元々この日記は、自分の備忘録として始めたものだ。とりあえず一年間、記録してみようと思ったらコロナ禍となった。そして、ほとりんに言われて再開したら、今度は新たに大きな仕事を得て、結局、忙殺されてしまった。しかし、これを機会にぼちぼちと再開してもいいかもしれない。


 最終お給仕日、ほとりん曰く、「緊張してのどが渇く」と言っていた。そういえば、キリストもまた十字架上で「私は渇く」と言われた。無論、一切関係ない。


 人生は、ときに日照りと旱ばつに見舞われる。そんなとき「御屋敷」は砂漠のオアシスのように、御帰宅する者の渇きを癒やしてくれる。何よりもまず最初のお冷は、これからの季節、物理的に潤してくれる。同時に、一杯の水から始まるそれぞれの物語が癒やしとなっていく。


 おそらくこれはemaidに限らず、すべてのコンセプト・カフェにおいて、または、あらゆる愛される「場所」において同じことが言える。


 誰かが誰かの癒やしを支えている。ほとりんのお給仕によって潤されたぼくらは今日も街を行く。彼女はいなくなってしまった。それでも町は廻っている。


 歩く鳥と書いて「ほとり」。キャラクターさながらに館内を歩いた彼女は、あとを濁すことなく、より広い空へ飛び立ってしまった。



 ところで歩く鳥は、間違いなく恐竜の末裔だ。化石の発見以来、人類はつねに恐竜に魅せられてその存在を忘れることはなかった。同じように、emaidに現れたメイド・ほとりを、ぼくらは忘れることがないだろう。虫を見るとき、ふとした拍子、記憶のほとりに彼女が現れるかもしれない。


 ほとりん、お疲れ様でした。長い?ようで短い?メイド暮らし、いかがだったでしょうか。またお会いできることを楽しみにしています。


 メイド・ほとりのお出かけですね。

父と子と聖霊の御名によって祝福を祈ります。

そして長寿と繁栄を。


 お気をつけて行ってらっしゃいませ。


さむ 拝