メイドたちの記憶20. 最後の晩餐、そして5月21日(月)へ | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

↑2018.5.20.(日)最後に食べたハニートースト ↓2015.5.21.(金)初めての御帰宅にて。

 

…立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、

「この方はまことに神の子であった。」と言った。(マルコの福音書15章抜粋)

 

 5月20日、日曜日。あれから一週間たった。メイドの皆さん、旦那様お嬢様はどのようにお過ごしだろうか。今週末が、御屋敷ロスの最初のピークではないかと思う。日本橋で、回遊魚のようにぐるぐると行き場をなくした御帰宅難民ゾンビと化した人々を、今日はとくに見かけたような気がするが、気のせいだったかもしれない。

 

時計の針を一週間戻そう。

そう、御屋敷ヴィランジュ閉館の日である。

 

 

 

5月20日 日曜日 快晴 夏日

 

 昼前に起きて身支度して出発。泣いても笑っても今日が最後である。

 

一時過ぎに到着。とりあえず座れたら、そこにまさかの畏友が現われたので相席。仕事の都合で来れないと聞いていたが、無理やりきたらしい。最後に、ハニートーストを食べたいと思っていたが、まだ残っていたらしく、最終日に食べることができた。ぼくが、ここで初めて食べて、最後に食べたものは、ハニートーストだった。最後にふさわしくパンの耳の部分である。パンの耳すきだからうれしい。

 

 ふと隣をみると在日ロシア人の友人である。おお、久しぶり!と、少し前に日本でも公開された「ザシツニキ」という映画「ガーディアンズ」について聞くと、全然ダメとのこと。かなり変わった映画だったので、ロシア人がみた感想を聞きたかったのだが、どうやらロシア人がみてもイマイチだったらしい。ちょっと笑ってしまった。

 

 人も増えてきたので、一度外出し姉妹店へと足を運んだ。友人となんだかんだと話し、彼がそのまま帰るのかと思っていたら、また行くという。まじか。ということで、本日、二回目の御帰宅である。既に人が並んでいて、しばらく待つと空いたらしく、御帰宅。大盛況である。

 

 さすがに仕事から無理やりきた友人は疲れたらしく、彼はここで離脱。最後に、メイドさん全員分のドリンクを入れてお出かけした。友よ、さらば。思えば、彼と出会ったのも、御屋敷あってこそである。

 

隣に元メイドさんが座っていた。みな最後にと思って来ているのだろう。

 

 席を空けるためにネット仲間氏の喫煙席へと移動。その後、彼と再び姉妹店へと向かい、時間を待って、最後の御帰宅となった。8時半、ちょっと遅いかと思ったが、やはり遅かった。約30人ほどだろうか、順番を待つ人々がいた。結局、10時前になかに入れた。元より、最後の挨拶を観たいだけだし、大変なのは働いているメイドさん方である。文句などありようもない。終電も気になっていたので、9時くらいにカプセルホテルを当日予約。

 

 

 

10時過ぎ、挨拶始まる。

 

 一人一人の個性の出る挨拶だった。いろんな言葉が浮かぶが、とてもではないが、言葉にならない。

 

 挨拶の順番は、みなとさん、まりあさん、ゆきのさん、みるさん、さりーさん、撮影タイム、はなさん、みのりさん、ちぃさん、まなつさん、あきほさん、まつりさん、ゆとさん、のあさん、ねおんさん、みささん、つきさん、うなぎさん、まひろさん、最後にオーナーだった。

 

 11時過ぎ、最後のお出かけ。あまり長くいてもアレかなと思い、メイド長みなとさんに一言挨拶して、メイドさんたちが作っているアーチを通り抜けた。

 

 外に出ると、みな名残惜しそうに見ている。オーナー氏が、一人一人に御礼を述べている。「さむさん、ありがとう、ごめん」と彼はいい、思わず堪え切れずぼくは涙して彼をハグした。

 

 シャッターが閉まるまで見ようと思い、外で待つ。終電や仕事もあるので、一人一人減っていく。途中、まつりさんが終電チャレンジで走っていった。いよいよシャッターを閉めようというとき、オーナー氏と三人の旦那様がそれぞれにツーショットを撮影。わかりみすぎる。

 

 

シャッターが閉まり、電気が消える。

 

 

 

天使の別荘カフェ・ヴィランジュが閉館した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 冒頭に新約聖書の一句を引用した。ぼくもローマの百人隊長と同じ気持ちだ。「まことにヴィランジュは神の国であった」。その後、常連旦那様方がオーナー氏を待っていたので、ぼくも待ってみたが、ちょっと時間も読めないのでhtty氏とうどんを食べに行き、カプセルホテルへ。

 

深夜、どうにも眠れずに、送辞を書いて寝た。

 

 

 

 

 10時過ぎ、外に出て、ヴィランジュ前を道向こうにみる。15時には開くんじゃないかと思ってしまう。しかし、そうではないのだ。実感がないのに、少し目の前がかすんだ。月曜休みのネット仲間が出てくるというので、そのまま姉妹店へと向かい昼食として、なんばではなく恵美須町から帰った。

 

 時計をみると14時55分、少し待てば開くんじゃないかなと思ってしまう。しかし、シャッターは下りたままだ。うん、ありがとう、ヴィランジュ。さようなら、ヴィランジュ。きっと、ぼくは、この三年間のことを忘れないだろう。本当に天使の別荘だった。しかし、天使たちは飛び立っていったのだ。

 

 思えばイエスもそうだった。彼も三年間の公生涯で、多くの人々に居場所と喜びの物語を与えてのち、人々の目の前からいなくなったのだ。ヴィランジュも多くの人々の居場所となり、喜びの物語を与えてくれて、そして去っていった。

 

 ヴィランジュ前の信号が赤から青に変わる。歩き出さなくてはならない。交差点にぼくは一歩踏み出す。白線がタイルに代わる。そして見慣れた御屋敷の前を、ぼくは通り過ぎた。