The After Stories of VillAngers | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 VillAngers と書くと、なにかアヴェンジャーズめいているが、スーパーヒーローではなく、旦那様お嬢様方、またはメイドたち、あの場所に出入りし、何かしらの関係を得た人々のことである。物語の終わりは、決まって、「こうして、みな仲良く...」と、続く日常をほのめかして終わる。多くの人々にとって、物語の幸せは多いに期待されるところだ。ぼくもそれにはたがわない。

 

 あの圧縮された一カ月を通り過ぎてみて、同時進行で進んだ査読論文、申請書、雑誌原稿を振り返る。そのすべても終わって、気がつくと初夏の雨脚が聞こえ、夏越の空が見えている。

 

 宗教改革者カルヴァンは、まちがいなく天才だった。16世紀の地球上で、人類最上位に位置した希有の才能の人であった。しかし、それゆえに、彼にとって無能な同僚や先輩は耐えがたく、彼の性格はとても「優しさ」を持ったものではなかった。ギヨーム・ファレルに、その才を見いだされジュネーヴに根を下ろそうとしたカルヴァンだったが、その厳密さゆえに、その繊細な知性ゆえに、その浩瀚な見識ゆえに、市参事会と衝突した。市民全員に、宗教的に否を突き付けるという暴挙に打って出た彼に対して、市民は追放を望み、市参事会は、それを承認した。

 

 カルヴァンと手紙を交換した人のうちに、ストラスブールの宗教改革者ブーツァーがいる。カルヴァンに罵られることもあったが、追放されたカルヴァンに手を差し伸べて、仕事と住居を斡旋した。三年間、ブーツァーのもとで薫陶をうけたカルヴァンは、人文主義者としての厳密さ、繊細かつ鋭い知性、その浩瀚な見識に加えて「優しさ」を知った。もう日本語では書いていない、ある学者が「彼にとっての神学校は、まさしくブーツァーのもとでの三年間だった」というようなことを記している。

 

 ぼくはカルヴァンのような傑出した人物ではない。彼に比べれば、木端や微塵の類である。しかしながら、優しさを知った三年間ということでは、勝手に彼に共感を抱いている。そう、ヴィランジュのことである。

 

 三週間を経て、それぞれのメイドさん方の来し方行く末も明らかになった。同時に、旦那様お嬢様方も、御屋敷の不在という生活に慣れてきたころだろう。何度でもいうが、ただ願うのは、メイドさん方の幸いないまと今後である。当然、それは旦那様お嬢様方にも言えることだ。最後の加速するヴィランジュで顔見知りとなったけれど、結果的には、それが最後となる知己もあろう。だから、ただただ幸いを祈るばかりである。

 

 いささか唐突ではあるが、キリストは三日後に復活したことになっている。ヴィランジュも、三週間と少しあとに復活する。一日だけの貸し切り営業ではあるが、6月16日(土)15時から、あの扉が、もう一度開くのだ。

 

 15時から17時までは書籍販売の時間になっている。17時以降は有料のトークイベントだ。しかし、理論上、17時までは書籍販売の時間である。従って、覗き見ることは可能なのだ。あくまで、相対性理論に基づいた計算上の話である。しかし、その時間帯は無料入場可能であるのだ。そして、量子論的な物言いで恐縮だが、メイドさんが数名いる可能性がある。存在とは確率なのだ。

 

 期せずして、20年間の敬虔と研究を注ぐことになった論考を、この日に発売される雑誌に寄稿している。その潜伏期間、その最後の離陸のための滑走路となってくれたのは、まぎれもなくヴィランジュであり、そこで出会った人々だった。だから、もう一度だけ、刊行記念の場として開いてもらうことを強く願った。

 

 願いは束となり、一人の経験や人生を超えるとき、祈りに変わる。そして、その祈りが、社会を動かす深海底流となり、やがては歴史を隆起させる。たとえば、東西ドイツの壁を崩したのは、小さな教会で始まったお祈り会だった。きっと、天使の別荘の名も、そのような形で、祈りとなり、歴史となるだろう。

 

 だから、ぼくは6月16日に再起動する。そして、ヴィランジャーズのアフターストーリーへと移行するのだ。ということで、もし、ぼくを知っていて覗ける方は、15-17時に来てみてください。イベントと雑誌そのものに参加して頂くのも歓迎です。さあ、優しさの向こう側へ。

https://arguments-criticalities.com/2018/05/29/event-at-osaka/