Sometimes I wonder if I'm ever gonna make it home again
It's so far and out of sight
I really need someone to talk to
And nobody else knows how to comfort me tonight
Snow is cold, rain is wet
Chills my soul right to the marrow
I won't be happy till I see you alone again
Till I'm home again and feeling right
Snow is cold, rain is wet
Chills my soul right to the marrow
I won't be happy till I see you alone again
Till I'm home again and feeling right
Till I'm home again and feeling right
I want to be home again and feeling right
ソングライター: Carole King
学会発表まであと72時間であり、一か月前に指導教授より指摘された分についての再構成を、いまだ終えることができず、Vonda Shepard のHome againを聞いている。何のことはない、ただの現実逃避だ。ピアノと足音がかぶるような、鼓動とリズム隊の刻むエイトビートが重なるような、そんな夜。アリーが歩く冷たい雨の夜、冬の空だったろうか。真夏が過ぎて秋が顔を見せた極東の宵に、僕の過ぎた一年がたゆたっている。
最近、怪談、UFOから民俗学への関心が高まっている。学会発表などはさっさと終わらせて、好きな本を読みたいのだが、雇用の危機も見えており、それを乗り越えるには新たに見えた地平で、いまのところ誰もやっていない仕事もせねばなるまいと思っている。もろもろの準備をしていれば、たぶん、また12月になっているのだろう。
御屋敷での怪談イベントは休館日ということもあり、隣屋敷よりの手伝いの方が二名来ておられた。顔馴染みのメイドさんは、キッチンメイドの方と当時研修中だったメイドさん。正確なタイミングは覚えていないが、それから一カ月も経ていないある日、御帰宅すると「あれ、お久しぶりですね」と言われた。毎週通っているので「ん、先週も来たけどな」と思ったが、このメイドさんが僕と会ったのが久しぶりだったのだ。あ、そうか、と一人ゴチて、そういう御帰宅の挨拶を受けたことはあまりなかったかなと、ふと思い出し、なんとも新鮮な思いがした。
また先日、別件で世界的な要人と面会する機会があった。もっとも面会というにはおこがましくて、会見に参列したということではあるが、向こうは僕の質問に笑顔で答え、帰り際、個人的に、さようならと一声かけてくれた。歴史的来日であり、非日常感と緊張もあって、疲れ果てた僕は、方向を変えて御帰宅した。その後、要人は、外務大臣と会っている。
記憶違いでなければ、今晩、仲良くした後輩である先輩がドイツへと留学で旅立った。今頃、機上の人だろう。ユーラシアのどのあたりを飛んでいるのだろうか。大学院というものは、その期間の短さ、20代なかば以降に所属するということもあって、実は出会いと別れの多い場所である。高校や大学のような長さがない。もちろん博士課程は通常5年ではあるが、しかし、毎年のように誰かが過程を終え、または留学し、出て行く。このあたりはメイドカフェや地下アイドルの世界に似ているかもしれない。それぞれの季節の中で、次なるステップへと旅立っていく。ビルボ・バキンズの歌を、つい口ずさみたくなる。そう恙なく健やかに。
The Road goes ever on and on Down from the door where it began. Now far ahead the Road has gone, And I must follow, if I can, Pursuing it with eager feet, Until it joins some larger way Where many paths and errands meet. And whither then? I cannot say.
Home again。来年のことを思うと、または10月以降のことを考えると、多少の不安がやってくる。Courage to beと題したのはティリッヒだった。しかしながら、この不安でさえも、ただの現実逃避なのだ。やるべきは原稿の再構成と精度を高めることである。9月末にはもう一本あるが、その先には、いくつかのホストを務めるイベントの可能性、また新しき地平へと踏み出すための下準備、その安定化のための別の仕事も必要となるのだ。
過ぎた一年を思う。去年の9月、慌ただしく考えていた。京都に、関西に残るべきか否か。友人の一人は、大学からは遠くなるが、良かったら間借りさせてもよいと言ってくれた。思えば、去年の9月は修論をまだ書いていた。途中でやめて地元に帰ってもよいのではないかと悩んでいたが、とにかく3月まではなんとか関西にいようと決めて、ここに居を決めた。
いま思えば拙くひどいの一言に尽きる論文提出を終えて、3月と4月は瞬く間に過ぎて、GWにて一息つき、予想以上に大きくなったタスクに慣れるのに消えた6月、ちょっと休憩で沖縄へ行った7月、そして再び一息つきつつの8月だったが、それもすぐに終わってしまい、2017年もあと三分の一を残すばかりとなった。一年が過ぎていく。
Home again but courage to be. 帰る場所がないのではない。ここが僕がいる場所なのだ。実存主義にふれなくとも、いまここで、という足場は形成され得よう。遠く地中海沿岸の古代の宗教が、21世紀の環太平洋域に到達したように、オイコスはすでにあるのだ。大きな西の商都の小さな館と、水盆に浮く古き都の間で、少しずつ繋がってきた人々の物語。シェアハウスの解散からもうすぐ一年、京都の山間の坂道の側溝から見上げた世界の広がりの続きが、まだ待っている。