メイドたちの記憶⑥ | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 ごくたまに思い出したように「休日の歌」 を聞きたくなる。夏の夕暮れ、日曜も終わりかけだからだろうか。アニメちびまる子ちゃんの第二期EDだ。検索によれば2001年秋アニメとして開始した同アニメのED6らしい。まるちゃんの映像と歌詞があまりにマッチして非常に印象的だった。

 

 放送からしばらく経ってから、正確には思い出せないが、おそらく在米時、ニコニコ動画でみつけた。 『休日の歌(Viva La Vida)』というらしい。これを歌ったDELiGHTED MINTは、すでに解散していた。この歌は、実家の台所で、ちびまる子ちゃんを見ていた記憶と結びついている。記憶は捏造するものであり生成し現象する。だから、どこまでが事実で、どこまでが心象なのかはわからない。ただ僕の遠い日の思い出が、この音をスクリーンとして再生されるのだ。歌詞とリズムがよい。

歌詞タイム:休日の歌 Viva La Vida

 

 「脱サラ」というのも死語の感ある昨今であるが、いわゆる脱サラをしてメイドカフェを開闢した友人を応援しようと、2015年6月1日、月曜日、僕は二度目の御帰宅をした。2014年4月から5月にかけて僕は沖縄にいた。その後、京都に流れ着いた。約一年ぶりであったが、沖縄で世話になった友人たちが大阪で集まっているという。三日ほど前に声をかけられたので、彼らの顔を楽しみにミナミを訪れた。あちらから善意で声をかけてくれる友人というのは、今にして思えば非常に貴重であり、重要だ。嬉しく思いながら京阪に乗ったことを覚えている。

 

 待ち合わせはNGKの近く。既に店に入っており飲んでいるとのこと。陽気な沖縄の明るさを見るようで、たくましい。この日、確か手持ちの旧型ネクサスが壊れて、地図を開こうにも、ひたすら再起動しては固まってを繰り返した。結局、電話して落ち合った。

 

 

 一年少しぶりに会った皆は、それぞれに新しく仕事を始めたのだという。僕は中高生の頃から沖縄に住むことに憧れていて、海洋考古学者になりたかったこともあるのだが、結局、そうならなかった。しかし、たまたま人生に隙間ができたので、思い切って一ヶ月だけゲストハウスに住んでみた。そのとき、偶然ではあるが、近くにいてくれた人々である。

 

 すでに顔を赤くしている彼らに挨拶をして、そばめしと軟骨唐揚げを頼み、酒場に加わる。テレビドラマで以前、テラスハウスというのがあった。終わってしまえばなんとやらで、僕は知らなかったが、当時、そういう色恋沙汰のようなこともあったらしい。おもしろおかしく話を聞いた。

 

 うれしい報告もあった。友人のためにボランティアで作ったHPが、どうやら割に意味をもったとのこと。水中カメラのレンタルサービスなのだが、毎月の飲み代くらいにはなっているそうだ。思わぬ成果報告であり、このおかげで、この日の御代はチャラとなった。


 楽しい時間はすぐに過ぎてしまい、沖縄に戻り事業を立ち上げる友人は南海の改札へと消える。気持ちのよい、酒を笑顔の似合う南の人である。このとき、彼との付き合いがいまに続いていくことは想像しなかった。のちに彼の京都訪問の際、観光案内をした。また僕が地元に残る唯一の友人と沖縄を訪問した際、彼が案内してくれた。そして、先日、沖縄を訪れた際、彼が開いた店に僕は座った。奇縁といえよう。

 

 この後、年上の友人准教授と食事の約束をしていたので、その時間まで、残った皆さんを誘い、御帰宅した。祝!二度目の御帰宅である。当時はメニューにラムネ味ソフトクリームがあった。見た目も涼やかで好きだった。しばらく見かけていないが、また再開してくれるとうれしい。


 日記によれば、『その後、彼らと別れ梅田にて夕食。300円均一の店で食べさせてもらい、様々な話をした。業界というか界隈の話。お嬢さんの就活の話、また向いの席で家族連れで嬉しそうに食材を眺める親子三人の印象が京都行きの車窓を通り過ぎた。いつのまにか寝ていたようで、気が付くと既に京都府内。改札を出て乗り換えて、さらに乗り換えて歩いて帰宅。ひどく疲れたが良い一日を過ごした。』とのことである。

 

 2015年夏、隣接分野へと移り、二回目の修士課程に悪戦苦闘しつつ、初めてできた彼女がいた頃である。御屋敷は再会の場となり話題となり、花を添え寄り添ってくれた。この日いたメイドの名前を僕はまだ知らない。