メイドたちの記憶:番外編 | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 いま徳島駅近くのホテルに三泊四日で逗留している。初日は時間を間に合わせるための移動。昨日、今日とは仕事をしたので、今晩、自腹で延泊し、少しく足を延ばしてみようと思ったのだ。徳島出身者にはわずかに知人がいて、大変お世話になったご夫妻、また友人と同業者というか知人が一人いる。大学時代の友人も一人いるが十数年ぶりにSNSで連絡したが返信はなかった。まあ、そういうものな気もする。

 

 仕事を終えて、商店街を歩いていたら南海ブックスというアニメ系の書籍などを売る店舗を見つけた。何かおもしろいものはないだろうかと入ってみて、4月に出たブレイブウィッチーズのカップが売っていたので連れ帰ることを決めた。なにも徳島で買わなくても良いのだが、この土地のオタク文化の振興のためにわずかな貢献をしたいのだ。

 

 その後、遅い昼食にアメリカン・ダイナーを模したバーガー店があったので、そこに入った。最近できた店舗らしく、カウンターやら壁に油性ペンで来店記念コメントを書いていいらしい。驚いたが、これはこれでよい客寄せになるかもしれない。なお味は良かったので近くに行くひとがあれば試してみられたい。

 

 食後、さて仕事も終わったし買い物もしたし、どうしようかと考えて、ふと思いついた。せっかく徳島に来たのだ、ここのメイドカフェに行くべきではないか。が、検索したところ、アイドルユニット系の割と派手な感じのところらしいので敬遠してしまった。興味がないわけではないが、ちょっと疲れているので、体力と精神力を削られるようなタイプの店舗は遠慮したい。存在は不在という形で記憶されることもあるのだ。

 

 閑話休題。

 

 徳島にきて同じ部屋に連泊しているが、なぜかカナダでの宿泊を思い出した。ナイアガラの滝にいく途中で泊まったモーテルだ。のちに女性を追いかけて学校をやめてフランスへと旅立ったアンドリューが、カナダドライを飲んだせいで腹を下したとか云々とか騒いでいた記憶がある。僕は歯ぎしりから歯を守るために渡米前につくったマウスピースを確かこのホテルで失くしたように思う。ビジネスホテルに泊まると、なぜか普段は忘れていたホテル宿泊の記憶がよみがえる。その多くは、東京ではなくて地方のビジネスホテルだ。

 

 ホテルの部屋というのは必要十分なものはそろっているが空疎だと思う。無造作に突っ込んで読まれるのを待っている本棚もなければ、掃除機や皿などの家電や日用品がない。きれいに片付いているが、どうにも落ち着かない。

 

 落ち着くといえば、今回案内してくれた知人の様子には感じ入るところあった。地域に根差しているというか足が地についている。土地を知り、街を知り、人を知っているのだ。移動になれる生活というのもあろうが、職を得て、家庭を持つ中で、人は旅をやめる。正確にいえば、別の旅が始まる。物理的な移動ではない探索と放浪が始まるのだろう。

 

 いまだ中途半端な身なれど、ぼくも京都を自分の街だと思うようになってきた。今回、徳島に出てきて、思った以上にそれを感じた。世界としては、そこまで断絶していない。たとえば、中央アフリカ共和国のような距離は徳島と僕にはない。しかし、訪れたことのない土地と街に、かえって自分の輪郭は定められ浮き彫りになる。

 

 

 端的に関西に馴染んでいるといえる。大阪や神戸、京都を愛している。そこで出会った多くの人々が住む地域、2500万人の都市圏を愛している。河原者のごとく、僕は京都に流れついた。大和朝廷以前に新潟とともに栄えた古い町を出て、国内第二の都市圏の洗礼を受けた。その後、港町と工業地域の川辺に佇み、かつては栄えた米国三河製鋼業地域にも住んだ。中高生のころに憧れていた沖縄にも一か月だが住んでみた。そして、いま京都に住むようになった。何が言いたいかというと、ある種の傾きが生む流れの中で、気がつくと大阪の御屋敷はぼくの旅の癒しとなったのだ。

 

 帰国してすぐ外人を案内したか何かで梅田のスカイビルに上った。また帰国時に関空に到着する間際、上空から関西都市圏の街明かりを見たように思う。「翼よ、あれがパリの火だ」とまではいかずとも「これが僕の町だ」と思った。いま僕は、その無数の街明かりの一つとなった。

 

 徳島市の全景を見下ろせる場所に、眉山というものがある。駅から歩いても20分ほどで乗り場まで行ける。ふと気が向いて、上ってみた。朝の雨はどこへやら、日本の夏らしい、西日本の夏の夕暮れらしい湿度と彩が空をなずみ風あざむ。ピッツバーグのロープウェーからみた景色が、記憶の底から思い出され、静かな青の底に橙色がホタルのようにちらつく。夜になった。

 

 山頂の強い風にも飛ばされず僕から吸血した蚊には敬意を払おう。遠く紀伊水道を眺望する豊饒の街に、この土地に生きることを受け入れた者だけが持ちうる矜持を感じた。街の重力に引きずられる箱の中で、花火が一発だけ上がった。「あ、花火…」ふと口をついた。同乗の友人連れらしい若い女性二人がえ?と向いたあとで、二発、火の華が街の上を踊った。興奮する女性たち。なぜか三発で止まった花火に理由を考える僕。

 

 ドアが開いたので、係員に「今日、花火ありますか?」ときいたら怪訝な顔をされた。夢か幻か。しかし、僕のほかに二人の証人がいるのだ。エレベーターで降下したのち、急ぎググり発見した。K福の科学のミニ花火大会らしい。なるほど、なんとも稀有というか、うむ。思えば、今日は七夕である。徳島に来てからみた七夕飾りには、願いが収束収斂していた。願いは願いを呼び集め、夜空に放たれてどこの誰へと届くのだろう。織姫と彦星は、今晩はよく晴れた月のきれいな夜だから、きっと大丈夫なんだろう。よろしくやってほしい。帰り道、小腹が空いたのでミニ餃子を買って食べた。

 

 部屋に戻り、徳島のテレビを見ることもなかろうと、テレビをつけてみる。NHKかなにかが京都の鴨川を映した。笑ってしまった。僕の街だ。明日は美術館を見たらバスに乗り、僕は僕の街に戻り、家へ帰る。そう御帰宅するのだ。七月七日、晴れ曇りの七夕の夜は更けていくのである。