ガタリという哲学者がいる。ちなみに名前しか知らない。何かの記憶を語る、物語るというのは、結局、本人の記憶を壁や画面に投擲することだ。映画「ニューシネマ・パラダイス」のように、少し軋ませながらフィルムを手で回すと時空を超えて、あの瞬間や場面が動き出す。事実か否かは問題とならず、記憶に紡がれる残照、夏越祓の雲のように、沖縄のこの時期の天気のようにアンビバレントなものを言葉でたぐり寄せて近似値を粘土のように捏ねるのだ。
帰国後、一つの目的と肩書を得て暮らしていたが、一年ほどやった結果で得た感想は、この目的も肩書もあまり意味あるものではないということだった。また自身の勉強不足と了見の狭さを痛感する中、より深く強い世界の説明の仕方が必要だった。必定、17世紀の結晶化した伝統のみを装備していた僕は、より古く深い伝統へと目を向けざるを得なかった。同時に過去ではなく、現在と未来へと目を向けざるを得なかった。
そんな状況が某有料SNSへとぼくを導いた。そして、そこで今につながる関係を得ることとなった。僕も大人なので、いま生涯続くような関係というものは想定し得ない。そのような関係は超越に支えられることなくしては成立しない。つまり、同じ宗教の徒であるとかでなければ、そのような関係に入ることはできない。逆にいえば、同じ超越への同意さえあれば顔も名も知らぬ人でさえ、枯れいく草木のような短い人の一生を超えた関係者となる。一方で、関係の尊さというのは、この瞬間に成立しては生成消滅していくところにこそ、線香花火のように輝く。
話が逸れた。結局、帰国後、一年して僕は得た肩書を返上し、生涯やろうと思っていた仕事もその後2年でやめる運びになった。これについては今は語らない。話を戻す。参加したSNSである。そこには「御屋敷おかえり日記」なるものをつける男がいた。メイドカフェに行くことを業界用語では「御帰宅する・お帰りする」といい、退席・退店することを「お出かけする」という。日記をつけるその男は、週に15回は「お帰りする」という。圧倒的な謎につつまれた彼の定点観測ともいえるその日記は、一地点に立ち続けるからこそ見えてくる人間模様と悲喜交々が綴られていた。
一体何がそこまでさせるのか。そこで繰り返し生成消滅する「メイドたちと旦那様」という関係の小宇宙はビッグバンにも至らず消えていく数多の星々の物語であった。仏教であれ何であれ、セカイを別の仕方で説明してくれるものは、僕にとって非常に興味深いものだった。おそらく、そんな理由で、彼の紡ぐ物語に惹かれたのだ。そして、たまに御帰宅するようになり、そのたびにメイドさんに「Kntrさんは来ましたか?」と聞いては会えずを繰り返した。このように書くと織姫と彦星のようなBLっぽささえあるが、断じてそのような関係ではないことは申し添えておく。
ともあれ、かくかくしかじか、僕のポンバシ物語はこうして始まり、西尾維新の物語シリーズも終わりを迎えつつあったのである。それはある意味でレンブラント「放蕩息子の帰郷」ならぬ帰宅の物語、アリーmyラブにおける"home again"の道程であった。いまより三、四年前の話である。