筑波海軍航空隊 その3 | simonのブログ

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地下壕、零戦レプリカを後にして、記念館に戻る。

 

まずは司令部の脇に建てられた新展示館に入る。

 

ここでの地下壕に並ぶ大目玉が零戦21型の尾部である。

 

 

こちらに展示された当初は、垂直尾翼に海外の収集家の手にあった時に書かれたであろう「JAP ZERO TAIL」との文字があったのだが、現在は消されている。

戦争記念館としてJAPと書かれた文字を消したい気持ちはもちろん理解するが、歴史の保存という観点からみると正解か否かの判断は難しい。

 

 

劣化しているとはいえ、この薄赤い塗装はなぜなのだろう?

前線における零戦の塗装は濃緑色が一般的である。開戦当初は明灰白色であったが、どちらにせよ経年変化でこのような色になるとは思えない。

ヲタ仲間に問い合わせてみるしかあるまい。

 

 

水平尾翼と胴体を繋ぐ覆い(フェアリング)が消失しているのは、過去保管のために尾翼と胴体が取り外されていた時代になくなってしまったのだろう。

 

 

2階はパネル展示。

 

飛行訓練基地として発足した同基地は、大戦末期には教官による防空迎撃任務とともに実戦経験のない飛行学生を特攻要員として訓練する場所となっていた。

 

更にこの基地では「無能の軍幹部による非道な作戦命令を受ける神雷隊」が編制され出撃していったのである。

 

展示は彼ら特攻隊員や整備兵などの手記や歴史がつづられていた。

 

 

桜花および神雷隊については以前記事しているので参照されたい。

 

数ある展示の中でも、印象深かった証言をいくつか紹介する。

 

「直掩機が機体の故障で帰ってきた時、その搭乗員は上官に帰ってきたことを叱責、殴打され次の出撃にはだれも帰ってこなかった」

 直掩とは特攻機を敵戦闘機から守り特攻攻撃を成功に導くための任務であるが、その多くが帰還しなかった。

 

「飛行訓練生の部隊が敗戦となり部隊が解隊、基地から出ることになったおり上官から裏門から出るように指示された。その裏門にも近くの住民が集まっており、列をなして基地から出ていく練習生たちに<お前らがしっかりやらねぇから負けちまったじゃねぇか>などと罵声を浴びせ、石などもなげた」 

 

いつも「特攻=かわいそう=反戦」というくくりでなく戦争を語ることはとても難しい作業であることを痛感する。

 

それでも! NO WAR! NO WAR!だ