某日、少し年下のヒコーキヲタ仲間から連絡があった。
「プラモデルの展示会に行って来ました。珍しいレコードがありました。ご存知ですか?」と。
「ゼロ戦はやと」の主題歌レコードである。
「ゼロ戦はやと」を知らずしてヒコーキ小僧を語るな!というトシヨリ世代。
トシヨリが小僧のころ、太平洋戦争を題材にした戦闘機マンガが数多く書かれていた。
「ゼロ戦はやと」はそのひとつであり、一連の「ゼロ戦○○ (0戦)」作品の先駆けとなったのが「ゼロ戦太郎」であった。
1961-1964 少年画報
この「0戦」シリーズ(?)は「ゼロ戦はやと」「ゼロ戦仮面」「ゼロ戦あらし」と続いた。
作者は「タイガーマスク」で有名な辻なおき。
1963-1964 少年キング
当時発売されていた少年漫画雑誌には、たくさんの航空戦記マンがが掲載されていたのである。
海軍の「ゼロ戦太郎」に対抗すべく描かれたのが、陸軍の隼戦闘隊を舞台とする「大空のちかい」。
「ゼロ戦○○」シリーズの史実無視の設定や、メカの無謀さ(当時はそれを信じていた小僧達)に比べ、タツノコプロ吉田三兄弟の末弟の作者のメカ作画は折り紙付きである。
「ゼロ戦シリーズ」に比べ地味ではあるものの、ヒコーキ作画は「通」好みであった。
1962-1969 少年サンデー
「宇宙戦艦ヤマト」の作者 松本零士のが、まだ「松本あきら」の名で発表していた作品。
後の「戦場まんがシリーズ」(ザ・コックピット)に昇華される松本零士の初期作品である。
戦闘機の書き方は当時から他の作家と一線を画していた。
1963 日の丸 少年ブック
南洋の秘密基地(重要なシチュエーション!)を舞台に、当時としてはマイナーな二式複戦 「屠龍」の秘密戦闘機部隊の活躍を描く作品。
斜め銃という、これまた秘密兵器めいた武器の存在を知った小僧達もずいぶん「通」ぶったものだ。
1964 少年サンデー
これまた南洋の秘密基地に展開する、赤いゼロ戦の「秘密」部隊。
その活躍を描く「ゼロ戦レッド」
1965 少年サンデー
昭和30年後半にピークを迎えた戦記ブームは、「紫電改のタカ」で終焉を迎える。
物語後半は実在の343航空隊「剣」部隊をモデルにしている。
それまでの作品がゼロ戦神話を作り上げたと言っても過言はないほど、強く勇ましい日本軍戦闘機を描いてきた。
ところが本作は、物語の後半から少年兵の苦悩や、敵兵とのかなわぬ友情など、戦争の悲惨さを漂わせるストーリーと変わっていく。
そしてメカ的にも史実的にもありえないが、紫電改に爆装。
主人公は、これまでの作品になかった特攻攻撃へと飛び立ち、物語は幕を閉じる。
勇ましい戦闘機マンガから、戦争の悲劇を描く物語へ。
まさに、ひとつの戦記ブームに終止符を打ったともいえる作品であった。
「紫電改のタカ」で戦記ブームは終息したが、その数年後、残り火のように「あかつき戦闘隊」がリ登場した。
作者は「ターゲット」、「赤き血のイレブン」の園田光慶
二部作となっており、第一部はの舞台は、これまた定番の南洋の孤島にある秘密基地の陸海軍混成のはぐれ部隊の活躍を描く。
遠浅の海岸の海中に延びた滑走路から波を蹴立てて離陸!という荒唐無稽さであるが、飛行機やメカの正確性よりも、その力強い画力とストーリー性で人気を博した。
第二部では登載機の「晴嵐」を失ったイ-400潜水艦に、なんと二式水戦を双フロートに改造(!!)して登載し戦う!という荒業で楽しませてくれた。
1968 少年サンデー
こんな作品で囲まれた小僧達はノートの裏ページにゼロ戦を書きまくり、多くの小僧達はゼロ戦のアウトラインなどスラスラかけたのである。
そんな小僧達だからこそ、マンガ家のゼロ戦の絵を見る目は厳しかった。
「こっちは上手い」
「こっちはダメだなぁ」
などと、いっぱしのヒコーキ評価家を気取っていたのである。
・・・・つづく・・・

















