我が家に慶事があった。
このトシヨリが「新婦の父」となったのである。

周囲から「号泣しましたか?」「絶対泣いたでしょ」と散々言われたが、当日は賑やかなパーティーでそれどころではなく、良かったのか悪かったのか??である。

子供たちを小い頃から可愛がってくれていたイタリアの友人も「イタリアの父」として来日参列。
携帯を片手に翻訳された日本語を読み上げながらスピーチ。
たどたどしさも含めて会場をおおいに沸かせ、皆を笑顔にしてくれた。
子供達と「イタリアの父」の3ショット
なかなか感慨深い一枚となった。

彼が我が家で数日過ごしたある夕食時、
「なにか一品つくってヨ」というリクエストにカルボナーラを作ってくれた。
レシピはいたってシンプル。
卵と少量の牛乳+粉チーズ加え、炒めたベーコンとパスタに絡めるだけ。
ポイントは茹で汁の湯気がたつ鍋の上でゆっくりと混ぜ合わせる。
これで卵が固まらず実にクリーミーになるという次第!
ナルホドと感心し、後日 同じように作ってみたが出来上がりは「ナントナク」それっぽい別物であった。
やはり本場の空気感まで再現するのは難しい。

初対面だが、ギター趣味が一致した義弟とはギターコレクション談義で大盛り上がりの一夜。
言葉も満足に伝わらないのに好きなモノが同じだと距離が一気に縮まるのは面白い。

そんな賑やかな日々の中、幾番目かの夕食の席で、彼が一枚のセピア色の写真を見せてくれた。
軍服姿の二人の男性
彼の叔父兄弟という。
左側が兄、右側が弟。

1945年 7月 イギリスで撮影された写真だ。
話によれば、兄はイタリア軍兵士として、弟はアメリカ軍兵士として従軍。
兄は捕虜となって抑留され、イタリア降伏の2年後異国の地イギリスで再会をしたのだという。
詳しい経緯はわからない。
だが、戦前よりイタリアからアメリカへ移民や出稼ぎする人達は多く、弟は移民先でアメリカ軍へ。一方故郷に残った兄はイタリア軍へ・・・そんな時代背景だったのかもしれない。
いずれにせよ、戦争が家族を引き裂いたのである。
我が家の慶事の中で皆と笑いあいながら過ごした数日間。
その最後に聞いたのこの話は、少しだけ胸に沁みるものであった。
<蛇足>
ここからは……いつもの「一枚の写真からの想像」である。
① 右側の弟の腕章を見ると、アメリカ陸軍の技術伍長と思われる。
② 二人の軍服は、ベルトループや胸ポケット形状などから同系統のものに見える。
③ ただし、帽子(ギャリソンキャップ)は異なっているようだ。弟のものはアメリカ軍の正規品と思われる。
1943年のイタリア降伏後、イタリア国内の情勢は非常に複雑化した。
連合国側につく部隊、親独側に残る部隊、さらにパルチザンなどが入り乱れ、事実上の内戦状態となっていく。
その中で、連合国側についたイタリア兵たちは、補助兵や労務兵として連合軍に協力していたという。
写真の兄の軍服を見ると、本来両袖に付く階級章が見当たらず、帽子も正規品とは少し異なるように見える。
あるいは彼もまた、降伏後に連合軍管理下で補助兵的な任務に就いていたのかもしれない。
もちろん、これは一枚の写真からの想像に過ぎないのだが。