哀しい桜 | simonのブログ

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  1947年10月14日、透けるような青空を背にベアメタルの肌にカルフォルニアの陽光を反射
させB-29が3万5000フィートの空を飛ぶ。そのクジラのような機体の腹にはオレンジ色に塗装
された機体がコバンザメのように吊り下げられている。
 
そのオレンジ色の機体ベルX-1には与圧服に身をくるんだアメリカ空軍のトップパイロット チャックイェーガーがこれから行われる「神への挑戦」ともいえる未知への飛行に緊張していた。
  
未知への飛行・・それは音の壁を超える=音速飛行であり、その速度への挑戦を1940年代
のドイツ、イギリス、ソ連などの技術先進国が我先にと挑んでいたのである。

X-1が母機から切り離されると静寂な世界の滑空が始まる。
舵の効き、高度計、速度計とルーティン通りの確認を行い、すべて正常を確認しロケットに点火する。ゴッドスピード=神の速度に向けてオレンジ色の砲弾はグイグイと加速していく。

凄まじいロケットの咆哮とバイブレーション。
「空中分解するかもしれない。今 マッハ0.8」
ジェリー(ドイツ人)もイワン(ロシア人)もジョンブル(英国人)も行きつけなかった神の領域に今踏み込もうとしている。「マッハ0.9、0.95、0.98・・・」その時、とてつもない轟音が地上まで響いた。それは音の壁を突き破った衝撃波であった。しかし、それはチャックには聞こえずただただきらめく光に包まれた静寂の世界に彼はいたのだ。

戦後、この話がフューチャーされた映画「テスト パイロット」を映画館の片隅で涙を流しながら見ている男がいた。その男の名は三木忠直といった。海軍技術士官であった彼は音速記録機が母機に吊り下げられ、乗り移ったパイロットが自らロケット推進により加速していく姿が、かつて彼が作った「桜花」にあまりに似ていることに驚いていたのだ。

桜花・・・大戦末期、アメリカの艦船を攻撃するために作られた特攻機である。
母機である一式陸攻に吊り下げられ、敵艦を視認できる位置まで運ばれたあと、1200kgの爆薬とともにロケット推進により体当たりする・・・という死を前提とした攻撃機である。



 しかし、それでなくとも劣速な母機の爆撃機は桜花を積むことで更に重くなり、空気抵抗も増えて機動、速度ともに悪化し敵の防衛機をかいくぐって敵艦隊に近づくことなど土台無理な話であった。案の定、神雷隊として編成された第一回の攻撃では十分な味方の援護機も揃わない中出撃し、18機の全てが撃墜されてしまった。18機が撃墜されたということは桜花搭乗員18+母機搭乗員7名×18=144名。
加えて援護機の損害を含めると160名近い兵士が無為に命を落としたのである。
結局9回ほどの攻撃で片手に満たない数の艦艇に損害を与えたのみで終戦を迎えたので
あった。 米軍ではこの有人特攻ロケット機に「BAKA BOMB」(バカ爆弾)とコードネーム
を与えていた。




それまでの実験機は独自で離陸し音速を目指していた。つまり、それだけ機体は重くなりそれらは速度に対してはまったくのネガティブ要因でしかない。それに比べ桜花は自ら飛び立つ機能も装備もなく、ただ飛び、スピードのみを追求した機体だったのである。
それを見たアメリカの技術者は「なにも自らが離陸する必要はない」というコペルニクス的展開 に気付いたのだった。

三木は回想している。
「私は技術者であるから見ればわかるのです。これは私の技術を使っているな。
 偶然でここまで何から何まで全く同じになるということはありえない。それは科学的に言って絶対にありえない」

彼は心ならずも自ら手をかけた機体によって若者を死地に向かわせたことに強く自責の念を抱いていたが、スクリーンの中で飛ぶベルX-1の姿には涙が止まらなかった。
「なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。しかしどうしても涙が止まらない。 よかった、本当によかった、と・・・泣けて泣けてしかたがなかった」

若人を死地に導いた哀しい桜は時を経てカルフォルニアで音速を越えたのだ。

月にまで人類を運ぶに至った航空技術は、無謀、狂気の中で尊い命の犠牲の上に
なりたっている。その犠牲は高潔ではあっても報われるにはあまりにも虚しい事実
のひとつと言わざるをえない。

三木忠直は戦後この桜花に関わる罪責からクリスチャンとなり航空機や船舶では
その技術が戦争に使われると考え、平和への復興産業ともなる鉄道車両の設計に
あたった。そして世界一安全な高速鉄道、新幹線の設計者となったのである。

・・・・この記事を書こうと思い立ってから・・なんと7年がたってしまった。