G-1.0 その1 | simonのブログ

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ゴジラ -1.0 である。

 

昨年末鑑賞していたが、今回このモノクロ版を鑑賞しネタの材料がそろうまで待っていると時間ばかりが過ぎてしまうので兎に角UPすることとした。

 

 

このトシヨリ 生憎初代ゴジラは生まれる前で、ご多分に漏れずモスラやキングギドラと戦う、また「シェー」をするゴジラに興じた世代。小僧が少し背伸びする年頃には映画館でゴジラと会う事もなくなり、いつしかゴジラがハリウッドに進出した時にはCG GODZILLAに「着ぐるみは日本の文化じゃ~!着ぐるみゴジラを復活させよ~」と呑み屋で放射炎を巻き散らしたものだ。

 

てな、わけで先の「シン・ゴジラ」にも触手が動かず未だ未見。

 

それがどうした風の吹き回しか!?このトシヨリがイソイソとCGゴジラを観に映画館に足を運ぶとは!?

 

それはコレ。大戦末期に試作された局地戦闘機「震電」が登場するというのだ。

未だかつてマイナーなアニメで登場したことはあっても実写映画で飛行することはなかった。

実写映画でCGでも「震電」が飛ぶのである。これは大戦機ファンであれば「観ずに語るな観なずに死ねるか」だ。

 

と、ゴジラ以外のヲタネタはあとにして本編!

 

まずは「よかった」! 配役も朝ドラカップル神木隆之介と浜辺美南、吉岡秀隆、佐々木蔵之介、安藤サクラと芸達者な面子。安心して見ていられる布陣である。

 

爆装零戦が海面を孤島に向かって飛行する。そして着陸。かけよる日本整備兵。 これだけで特攻機が機の不具合で戻ってきたのであり、それも機体に不具合がない「引き返し」であることも容易に想像がつくオープニングだ。そこから海軍特攻隊員「敷島」自身の心との抗いが始まる。

 

その後あっという間の呉爾羅の登場により整備員1名と敷島を残し隊は全滅させられてしまう。またこの時の敷島がおじけづいたことが全滅に繋がったという傷を負ってしまうのだ。

 

呉爾羅   

 

敗戦、復員船で生き残った整備兵から呉爾羅に殺された整備兵達の写真を「お前のために死んでいった人間を忘れるな」とでもいうような眼で渡される。

 

帰宅すれば焼け落ちた我が家の前で家族を亡くした隣人に「お前らがしっかりやらねぇからみんな死んじまったじゃないか」とたたかれ罵られる。サンザンな敷島である。

 

両親の手作りの位牌と亡くなった整備兵の写真を枕元におき、夜な夜な罪悪感にさいなまれる敷島。  この辺りまではゴジラ云々に関わらず、特攻や戦争を生き残った兵士たちが手放しで自由を喜べず後ろめたさを感じ戦争神経症、PTSDを発症した人はとてつもなく多かったことを想像すれば「まっとうな戦争映画」といえなくもない。

 

ひょんなことから、孤児を抱えた女性ノリコと同居することになり生活のために就いた仕事が「機雷処理作業」。

 

米軍が敷設した磁気機雷に反応しない木造船で機雷を浮上させ機銃(九三式13粍機銃)で爆破処理するのだ。

 

この機雷処理船の乗組員の佐々木蔵之介が劇画チックなベランメェ艇長を、初代ゴジラの志村喬演じる山根博士の役どころの(生物科学者と軍事技術士官の違いはあるが)吉岡秀隆、小僧と呼ばれる(小僧とよばれるには大人っぽい)山田裕貴をくわえた4人がゴジラと対峙する中心となっていく。

 

このゴジラと対決するのがこれまでの自衛隊や防衛隊という国の戦力ではなく「民間」の武力と呼ぶには微力な戦力。民間がゴジラと対峙しなくてはならないという理由が「アメリカは対ソ対応で軍事行動不可」で自衛隊発足前の1947年という絶妙な(?)設定により可能となる。

 

 

和光、日劇を含む銀座4丁目付近、有楽町を蹂躙し、日劇前あたりからから放射炎で国会議事堂を消滅させるゴジラ! 破壊シーンは完璧なCGであるが、省線(国鉄ではない)を襲うシーンの電車が上手い具合に(?)ミニュチュア感が感じられ心の中で拍手喝采!

 

やはり日本の特撮はミニュチュア技術だ~と放射炎を吐き出すトシヨリ!

 

戦争のトラウマから脱却し未来に希望をもった刹那、その未来、幸せをゴジラに奪われた敷島。

 

戦争を戦い生き残った人々とゴジラに立ち向かう!

 

生き残れる勝算も少ない博打のような作戦と装備。それに参加する戦争を戦い生き残った元兵士達。「参加するのは自由です」というリーダーの言葉に「誰かが貧乏くじをひかなきゃならねぇ」と見得を切る佐々木蔵之介! 笑えるほどの劇画的カッコよさである。

そして作戦参加に燃える小僧(山田裕貴)に参加させないと伝え、「なぜ連れて行ってくれないんですか!オレだって日本の役に立ちたいんだ~!」と叫ぶ小僧を背に「これからの日本はまかせたぜ」とつぶやく蔵之介。ある意味ベタであるが過去の東宝8.15シリーズなどとは違い、ゴジラという架空の作品の中で素直に反戦を訴求できるのではないだろうか?

 

いよいよゴジラ決戦!

 

震電が飛ぶ飛ぶ飛ぶ!!!(画像が無い~!!)
 

 

かすかにつかんだ幸せをゴジラにもぎ取られた敷島は、「自分の戦争を終わらせるために」機首に250キロ爆弾を積んだ震電でゴジラに挑む! その結末や如何に! 

 

この作品を見終えたときに脳裏に浮かんだのが「プライベート ライアン」であった。題名的にはライアン二等兵の救出(Saving Praivate Ryan)であるが、本質的にはSaving Captain Miller ミラー大尉が救われた作品であると捉えているのだ。

 

つまり、このゴジラ-1.0も ゴジラ映画に名をかりた一人の元特攻隊員が救われる・・かどうかのお話なのではなかろうか。

 

物語はシンプルそのもの。そのシンプルさ故 悔しくも感涙トシヨリである。