はじめに。
今回、店とプロダクションとの関係や仕組みなど一部の事実を省こうかと悩みました。
しかし、自分なりに区切りをつける為にも知っている事の全てをここで述べる事にしました。
5月9日に逮捕されました。
罪状は不法就労助長罪です。
2月から4月にダンサーとして興行ビザで入国したフィリピン人女性6名を接客させた罪でした。
この件については何の異論もなく逮捕当初から認めていました。
5月29日に拘留期限20日間の満期を経て釈放されました。
略式命令は私個人と私の経営している法人へ各50万円の罰金でした。
興行ビザで来日したダンサー(通称・タレント)が資格外のホステス業務をしていた事を咎められたわけですが、
始めからタレントはそのつもりで来日をしているし、店とタレントの間に入り現地で送り出し業務をしているフィリピンサイドと
受け入れ先で招聘業務をしている日本のプロダクション会社も当然承知の上の事である。
当然ホステス業務ではビザは出ませんからプロダクションは入国管理局へタレント(ダンサー・シンガー)としての体裁を
整え、興行ビザの申請をしているわけである。
現在も過去も日本各地へ来日中のタレントはほぼ100%接客をしている。と言っても過言ではない。
当店も平成3年のオープンから途中一時の頓挫は有ったが30年以上の間、タレントをホステスとして
招聘していた事は事実である。
話を当店の今回の事件に戻す。
5月9日、主犯は私で、共犯として当時従業員だった私の妻も逮捕された。
当日朝、高校生の息子が登校のため家を出た後8:30分過ぎの事である。
そのまま私は長岡警察署が補修工事の為、西蒲警察署へ、
妻は三条警察署へ連行されその後20日間留置場へ入れられた。
接見禁止の為、その間誰とも連絡をとる事も出来ず
何よりも学校から、だれもいない自宅へ帰る子供の事が心配で不憫でならなかった。
息子を溺愛している妻の心中を思うと申し訳ない気持ちと何故妻までもが逮捕されなければ
いけないのか、その後拘留期限いっぱいの20日間も留置したのか理解が出来なかった。
逃亡と証拠隠滅のおそれ有りという拘留尋問を経ての裁判所の決定である。
妻は結局20日間の拘留期間の後に何の処分も受ける事無く三条警察署からそのまま釈放された。
わたしは冒頭に述べた様にタレントをホステスとして資格外活動をさせた事の一切を認め
更にタレント本人も両国のプロダクションも、ホステスとして仕事をする事は当たり前の事として
認識している事を嘘偽りなく供述した。
その結果、不法就労助長罪で50万円の罰金という略式命令を受けすでに納付済である。
以上でこの件は終わったのだが、私と妻にはどうしても納得出来ない事が有った。
4月12日に突然タレントと連絡が取れなくなった。
4月12日に何が有ったのか?
7月に妻がフィリピンへ帰省した際に当時のタレントやその関係者に会い、いろいろと話を聞くことができた。
全ての全容とまではいかないが大体の事がわかった。
語弊があるかもしれないが資格外活動の入管法違反で、あれほどの大きな
ニュースになる事はなかったと思う。
しかし、私が逮捕された翌日の5月10日には、新潟初の人身保護事件という大きな見出しで新潟日報に掲載され、
夕方のテレビでも店の看板や、私が検察庁へ移送されている様子など大きく報道された。
全ては人身保護という、虐待や監禁、強要、束縛を連想させるこの一言がキーワードになった。
私自身は留置場でその新聞記事を弁護士との接見の際に見る事となった。
記事には、「タレントのパスポートを取り上げ、一日10時間以上の労働をさせ、あげくに給料は一日1000円
しか与えず、携帯まで取り上げ資格外の接客業務をさせていた。
結果、6人のフィリピン女性が保護された。」
その内容は事実の歪曲と有り得ない話の混在で私は愕然とした。
私と妻はどれだけの極悪人なんだろう。
フィリピン人の妻は後輩の若いフィリピーナを常に気遣い、.
待っている家族のために少しでもお金を稼げるように指導やアドバイスをしていた事は
私自身も又、今まで来日したフィリピーナもよく知っている。
それだけに本人にとっては今回の事は非常にショックだった。
全ては4月12日にある第三者のエスコートでタレントの一人(通称・メロン)が当局へ保護を求めた事から始まる。
メロンは昼頃に買い物に行くと言って一人でアパートを出たそうだ。
アパートには5人のタレントが残っていたが
午後3時頃、ノックの音でドアを開けたところ7,8人の警察官にうむを言わせず長岡署へ連れて行かれたそうだ。
本人たちは当初何が起こっているのか理解が出来ず、通訳を通してママである私の妻に連絡を
取ってくれるように頼んだそうだが、聞き入れられる事はなかった。
警察はメロンからタレントが接客をしていた事を聞いていた。
はじめは店に強要されたような言い方をしたようだが、他の5人の供述と食い違い、後に撤回したようだ。
6人全員を不法就労の犯罪容疑者として新潟の施設へそれぞれ保護収容した。
タレントは一人一人個別に収監され、そのまま5月下旬に帰国するまでお互いに会う事も許されなかった。
マスコミはあたかもタレント6人全員が訴え出たような表現をしていたが、保護を求めたとされるタレントは
メロンという初めて日本に来日した27才の一人の女である。
前述のように妻は釈放された後に当時のタレント達に会いに行った。
メロン本人にはミンダナオの住まいである実家を訪ねたが帰国後実家に帰る事はなく会う事は出来なかった。
しかし両親には話を聞く事ができ、日本へタレントとして行った本当の理由や
過去にも同じような事が有った事など話を聞く事ができた。
又メロン以外のタレントにも会い、当時の話を聞く事ができた。
当日の出来事や日頃のアパートでのメロンとの確執や、メロンには店やママに対する不満があった事が
詳しくわかった 続く。