私はシャロン。
23年前、日本人とフィリピン人のハーフとして
日本で生まれました。
生まれてからずっと日本で育ちました。
だから日本語しかしゃべれません。
フィリピンには一度だけ母親の故郷のネグロス島に
行った事があるそうです。が、生まれてすぐだったので
何にも覚えていません。
新潟の片田舎で育った私は小学生の頃
ハーフという事でいじめられ泣きながら家に帰ってきた事も有りました。
そんな時、いつも優しくしてくれた母親に
「どうして私はハーフなの?」って
幼いながらも両親を恨めしく思った事もありました。
今はそれも懐かしい思い出の一つになりました。
そして生んでくれた両親に感謝しています。
何もかもが初めての私にとって
毎日が不安と驚きの連続でした。
正直、自分にはこのお仕事は無理かな。って
思った事も有りました。
失敗ばかりの私にいつも優しく接してくれるママとスタッフの皆さん、
そして新米の私を支えてくれる一緒に働く女の子たち。
皆さんのおかげでこれからも頑張れそうです。
(8月2日の長岡祭り。
恒例のゆかた姿で、フィリピーナのアテ(お姉さん)に囲まれて。)
シャロンさんから応募のメールをもらったのは
6月下旬の事でした。
「初めまして、私は・・・・」から始まるメール内容は自己紹介から
夜の仕事へ踏み出す決意まで
彼女の真面目な性格がにじみ出ている様な
実にていねいなものでした。
実際面接で会ってみるとやはり真面目そうで、年のわりにピュアで
すれてないというか、世間知らずのところも有り
お願いされと断りきれない様な人の良さと危うさを
持ち合わせた、今時のこの世代の子としてはどちらかと言うと
超がつくかもしれない少数派と言われる女の子でした。
Yシャツでお仕事です。)
しかしこの業界での真面目さは、得てしてプラスにはならない。
逆にマイナスになる事が多い。
酒を呑み遊びに来るお客さんにとってすきもないかたいだけの
相手などつまらないだけだ。
ここ一カ月で彼女の「真面目さ」はひらがなの「まじめさ」ほどに
丸みを帯びてはきたが
この後どんなアクセサリーを身に付けて行くのか、
初めてこの世界に飛び込んで来たシャロンさんが
どれだけシャロンという女優になりきれるかどうか、
今後の展開が非常に楽しみです。
マネージャーは応援しています。で、アドバイスだけど
とりあえず次のサラリーでテレビを買いなさい。
ほんとに世間知らずになりそうだから。
次回、イベント&タレント紹介の予定です。