そして去年(2011年)年明け早々に摘発を前に自ら廃業した。
ROYの話では廃業するまで10回以上移転を
繰り返したそうだ。
置屋がよく移転するのは常とうでその移転の
早い遅いは各方面のアンダーテーブルのばらまき方
と金額に多分に左右された。
要は「あぶないぞ。」と言うj情報が早いか遅いかの
違いなのだが、置屋にしてみれば常に準備はしているわけで
そのタイミングの為のアンダーテーブル(袖の下)だった。
いたちごっこの出来レースで警察が踏み込んだ時はすでにもぬけのからで
末端のポリスから上層部までの間、金の回っている者にとっては常に想定済みの
手入れゲームだという事はわかっていた。
そしてだれもがこれからも摘発されないでほしい。と願っていた。
ポリスにしてみれば置屋から毎月固定給が入る様なもので一回それを
受け取ってしまえば、断ち切ることはなかなか出来ない。
又、客を置屋に運んでくるタクシーの運ちゃんにしてみれば
その紹介料は非常に大きな臨時収入だ。
一人エスコートすればP300~P500の金を得る事ができる.。
時に本業より収入が上回るのだから置屋様さまだ。
そして残るは我らお客さんだ。
企業の接待から個人のお楽しみまで無くてはならない有る意味
必須アイテムの一つだ。
お客が置屋に金を払う。(相場はP3000-P4000)
女はそれに見合った報酬を得る。(およそ50%)
そこに係る全ての者は紹介料や袖の下、口止め料をふところにする。
それぞれに家族も有り、家庭も有る。
その経済波及効果は、年間の金額にすれば馬鹿にならない数字になる。
何故なら客の多くが外国人で外貨が観光の名のもと、フィリピンに入って来るからだ。
他のセックス産業と合わせれば無視のできない金額になる。
過去20~30年以上、フィリピン政府が取り締まりに本腰を入れなかったのは、
俺からみればその様に見えたのだが、こんな事も理由の一つだったのかもしれない。
今度アキノやアロヨと話をする機会が有ったら、このへんの事を聞いてみたい。
因みに外国人のお客さんナンバー3以内に、めでたく日本人はエントリーされていた。
他は韓国人と中国人で毎月3カ国で順位争いをしていたそうだ。
がんばれニッポン。
(2012.6月 写 今でも空家のままだ。)
しかしさすがにこの5年ぐらい前から取り締まりが厳しくなり
徐々に置屋の姿も消えていった。
レイラのいた置屋が廃業した後、去年6月までに最後の2軒が
N.B.I(国家警察捜査局)の手によって摘発された。
この5年間 P.N.P(国家警察)とN.B.I は競うように置屋をつぶしてきたが
最後はN.B.I に軍配が上がった。
何故なら最後まで残っていた置屋に警察関係者が係っていたからだ。
その先の上層部まで手が届きそうになったが結局うやむやになった。
これは私見だが、相当強い力が働いたのはまちがいないと思う。
写真は実際に検挙された置屋跡でフィリピンのニュース番組(チャンネル2・ABSCBN)
にも大きく報道された。
当時、私用でマニラにいたママもこのニュースを見ていたそうだ。
そして悲しいお知らせだが、この取り締まりを最後にマカテイの置屋は全て全廃した。
時代の移り変わりと共に置屋という存在はフィリピン政府にとって対外的に
負の象徴でありこうなる事は必然の結果だった。
しかし、これで売春婦がいなくなったわけではない。
何故ならマニラには今のところ置屋以外なら何でも有るのだから。
(2012.7 写)エドサ コンプレックス
通称「七茶」 中にゴーゴーバーなど7軒の
店が有る。
LA改め BAY CAFE
最近事件が相次ぎ、ガードもナーバスに
なっている。写真も遠目から。
持ち帰りが出来きたり
出入りしている売春婦と直接交渉ができたりと
いろいろ有るが・・・
この辺の話は次に譲る事にする。
余談だが警察と警察捜査局の違いについては俺にはよくわからない。
ただこの二つは別組織である事と
置屋についてはそれぞれが独自で捜査、摘発していた事。
お互いにあまり仲がよろしくなかった事。
そして両方ともいまだに悪徳警官が存在する事。
俺が理解しているのはこの程度だ。
興味の有る人がいたら自分で調べてくれ。
P.N.P ( Philippine Nationa Police) フィリピン国家警察
N.B.I (National Bureau of Investigation)国家警察捜査局