マニラのお話 | パブ ライトハウス 

パブ ライトハウス 

セクシーフィリピーナ♡勢ぞろい!!!
◆◇◆ダンスショー&イベント◆◇◆

新潟県最大級のフィリピンパブ・・・まだまだ頑張ってます。

 フィリピンにお世話になって20数年、 

公私に渡っていろいろな人々に出会えた。

今も友人として連絡を取り合っている日本人、フィリピン人が数多くいる。


 その一人に15年近くの付き合いになる I 君がいる。 

現在マニラ在住で観光や仕事で訪れる日本人の

通訳やエスコートなどをして、本人いわく なんとか
パブ ライトハウス ~フィリピンパブ~
食っているそうだ。


 俺もフィリピンに行く時はよく世話になっている。

ホテルの手配から携帯の用意や、車の運転はもちろんの事、 

  
同行者がいる時は彼らの夜の観光案内までしてくれる、

非常に調法な優れ者のお友達なのだ。


 俺は到着から帰国まで移動はほとんど彼にお任せだ。

フィリピンでは特にマニラでは車の運転だけはしたくない。

慢性的なトラフィック(交通渋滞)とドライバーのマナーの

悪さには時々怒りさえ覚える。


 道路事情も悪く、大通りはともかく市街地には

信号も少い。と言うかほとんど無い。

たまに有ってもほとんど無視だ。


 その上、フィリピンの庶民の足とも言えるジプニー(乗合ジープ)や

トライシクル(屋根付きサイドカーが付いたオートバイ)が縦横無尽に

走り回っている。

一応路線は有るけれど、何せ数が多いんだよ。
パブ ライトハウス ~フィリピンパブ~


 ラッシュ時の十字路で渋滞に巻き込まれると

それはもう大変だ。

 普段温和なフィリピン人も人が変わった様に

戦闘モードに切り替わる。


 バンパーとバンパーの 

せめぎ合いの戦いが 始まる。

アクセルとブレーキ、そしてハンドルを巧みに

コントロールして

5センチ、10センチ、前に出た方が勝ちなのである。


 いかにぶつけない様に切っ先を制するか。
制した者が前に出る事ができる。

負けた者は次のバンパーとの戦いが待っている。

譲り合いなんか有りえない。

 大げさに聞こえるかもしれないが冗談のような本当の話だ。
パブ ライトハウス ~フィリピンパブ~
  


 その必死な形相での

つばぜり合いと

寸止めのブレーキングは

まるで、何かスポーツをしているかのように見える。

 

 地の利もなく、まして方向音痴のこの俺が、マニラで車を

走らせている姿など想像もできない。   


 そんなわけで我が友ドライバー I 君に世話になるのだが、

それもいつもと言うわけにもいかず、

近場の買い物や用事には、タクシーやジプニーをよく使う。  

 ジプニーは利用するにはちょっとしたコツがいる。が、

慣れてしまえばなかなか便利で安い。

 

 一乗り、距離にもよるが30円~40円で手を挙げれば
すぐ乗れる。

 降りる時は車体を

コンコン叩いて 

「おりまーす。」     
パブ ライトハウス ~フィリピンパブ~ と、言えばどこでも降りる事が出来る。

 

実際には運転手に日本語は

ほとんど通じないので

「おりまーす。」の後に

「パラ」~止めての意~と付け加える。


 簡単な日本語の普及に、日々微力ながら

努めているのだが。?

 

 後ろから乗り込んで左右に有る長座席に座るのだが

朝夕のラッシュ時はもちろん昼間でも座るどころか

すし詰め状態になる時が有る。 


 支払いは運転手に払うのだが、後ろから順繰り 

乗客の手から手のコインリレーで運転手までたどり着く。

 外の喧騒の中、何かホッとする場面でもある。


 窓は吹き抜けで、後ろはオープンだ。
生暖かい風と排気ガスと騒音と、

時には道路脇で遊ぶ
パブ ライトハウス ~フィリピンパブ~ 子供たちの叫び声までも

いろんな物が混じり合った

匂いと共に

車内を通りぬけて行く。

 

 目を閉じるとその情景と匂いまでもがよみがえる。 

未熟だが力強い生命力と

存在感。 

 そして、何とも言えないなつかしい感覚に囚われる。


 いつからこんなにフィリピンが好きになったんだろう。