8/25 阿蘇④ | 【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

東京出身40代の独身男が、震災をきっかけに、それなりに給料の良かったSE職を辞めて世界の陰謀論にのめり込み、神社巡りの旅に出掛けたら、次から次に不思議な偶然に出会ってしまうというドキュメンタリー。それらはただの偶然か、それともすべて必然か!?

8月25日

今日は、南阿蘇と高千穂の気になるスポットを周りたいと思っていた。
で、明日もワンちゃんに助けてもらえるようなら、明日は少し北の中岳やら阿蘇神社やらに行きたいと思っていた。

今日行きたいのは、神社学の中村さんから聞いていた上色見熊野坐神社、それとラクダ山、高千穂神社と高千穂峡、あとは時間があれば、3日前にシュタイナー農園のお母さんがいいと言っていた池上水源である。

朝、ワンちゃんに迎えに来てもらい、まずは飲み水を汲みに近場の水源へ。
昨日の水源もそうだが、この水源にもお宮が立ててある。水源そのものを祀るという古来からの信仰の現れか。自然への畏敬の念。かつての日本人なら普通に感じていた心。無条件に美しい。
お金を払い、鉄のパイプから水が出るようになったとき、人は自然の恵みを忘れてしまったのではないか。

水汲み後まずは熊野坐神社へ。
入り口から何やらいい感じ。古代からの自然信仰を感じさせるロケーションである。入り口の鳥居をくぐってから、ひたすらに伸びる急階段とそれに沿って立つ石灯籠、それらに張り付いた苔。そしてその周りの杉。すべてが調和している。そこに神様が立っていたとしても違和感のない景色。

階段の途中まで来て、どんな流れでだったか覚えてないが、屋久島に行こうか行くまいか迷ってるんだという話をした。すると、ワンちゃんが「そういえば、今朝早くに、屋久島の友達からすごく久しぶりに電話がかかってきた。行くなら紹介しますよ。」
俺、屋久島にも呼ばれたのか?

階段をさらに登り、山の頂上に向かった。途中階段脇に土をくり抜いたような穴が空いている。なんのための穴か分からないが、ここはワンちゃんも恐くて入れないそうだ。
階段の上まで出る。岩に穴が空いた風洞となっている。そこから少し右に行くと広めの岩屋。古代には何かの祭事が行われていたのだろうか。雰囲気がある。蜘蛛が巣を張っていたが、蜘蛛は神様の使いだと言われているとワンちゃん。芥川龍之介の小説でも地獄への救いの手として蜘蛛の糸が垂らされていた記憶がある。

神社を出て、ラクダ山をリクエストすると道すがら見えるとのこと。あー、確かにラクダの背中みたいな山が、あるある。見学終了。おっと、予想より時間短縮である。

ワンちゃんとは、移動中、毎日いろんな話で盛り上がる。お互い一般的な価値観で世の中を見ていないから、自分の意見を正直に話しやすい。
僕は、ここ一年の自分なりの調査の結果、自分の中の理性と感性が納得した意見を言う。普通の価値観で考えたら、は?は?って感じで会話にならないような内容だけれど、ワンちゃんは自分の軸、あるいは神様の軸?があるから、モラルとか当たり前を気にせず自由な会話になる。

ドライブ途中、性の話になった。
僕には前から持っている疑問があった。熊本には日本一サービスがいいと言われるソープランドがある。芸能人や有名スポーツ選手もお忍びで来るという噂のある店だ。しかし、それはなぜ東京でなくて大阪でもなくて、はたまた名古屋でもなくて、熊本なのか???自分なりの推測はあった。
ワン「超古代の文化の名残だと思います。」
やはり。僕もそう思っていた。日本で性が表面的にタブーとなったのは、明治維新で西洋キリスト教文明が入ってきてからだというレポートを見たことがある。
確か、キリスト教では基本的にSEXは生殖のための動物的な行為であり、人間的な行為とは見なされていない。
しかし、かつての日本社会はもっと性に対しておおらかだったようだ。各地に残る男根崇拝のような信仰もあるし、同祖神の中には男性器や女性器を形どったものもあるらしい。田舎では戦前まで夜這いも普通に行われていたようだし、共同体内でのオープンな性が普通であったようだ。
それが「近代化」と言う名の「西欧化」で変容を遂げて行く。
人々は自分の性の欲求を隠さなければならない文化に支配されて行った。

そもそも「性」という字は「りっしんべん」に「生きる」と書く。つまり、心が生きると読める。
読みを変えたら「さが」だ。「さが」とは、人間の本能であり、持って生まれた変えられないものであるはず。どうにも変えられないものを、人間としてあって当たり前のものを、否定して隠す。即ち、心に生きるなと言っている。

しかし「さが」である。実際になくなることなどできるはずがない。
公の発露の場所を失った「さが」は、アンダーグラウンドに行き場を求める。ゆがんだ形での表現であるアダルトビデオやポルノグラフィー。
本来は男女のこころの交わりであり、お互いの精神を豊かにしてくれるはずの性が、動物的な単なる生殖行為、あるいは、男女のエゴを満たすパワーゲームの道具に貶められる。

竹内古文書に代表されるような超古代史の世界があったとすれば、世界共通の文化的な遺産があってもおかしくない。(竹内古文書では、かつて世界全体にわたる文明が存在していたと伝えられている。)
中央アメリカに住むマヤ族の長老が、現在、古代マヤ文明の叡智を我々現代人に伝えようとしているそうで、その中にはマヤの性教育も含まれている。それほどまでに古代人にとって性は重要な意味を持っていた。
彼らにとって、性は自分自身、相手、宇宙との繋がりを感じる美しく神聖な行為であり、目に見える以上の高次元にアクセスするために人間に与えられたかけがえのないツールであったようである。
そういった文化的な伝統が古代日本にも残っており、地球のへそとも言われる幣立神宮を中心とする阿蘇の文化の奥底にその伝統が流れ続けていると仮定すれば、熊本に日本一サービスがいいといわれるソープランドがある説明がつく。行為の肯定なしに、その質の向上は望めないのだろう。
言葉には、先人の叡智が隠れている。かつて「性」は「聖」なるものであった。

「性」と対象的な文字は「忙」である。こころが亡くなると読める。

明治政府による近代化以降、資本主義社会の日本はよく働いてきた。生きるとは即ち働くことであると信じていたようにさえ思える。

3年半前に亡くなった父は、それなりに出世した人で、70歳近くまで忙しく働いていた。完全に引退すると、直ぐに大病を患い手術を受けた。手術はうまくいったものの、それからは薬漬けの毎日。後は日々の退屈を紛らわすように暮らしているように見えた。
結局は、2年ほど経った頃同じ病気が再発し、これが命取りとなった。

生きることとは忙しく働くこと。
忙しく働かない人間には価値がないという、人間の「さが」のすり替えが行われたようにも見える。
社会の一員として何かをしなくてはならないという強迫観念が隅々まで浸透していて、人々はじっくりと自分を見つめることや、こころと体で相手と、あるいは自然と関わることができないでいる。
その結果、現代の日本社会が直面しているのは幸福か?不幸か?
父は、忙しい生活から開放されたとき、お金はあってもどう生きればよいのか分からないようだった。父の人生は満たされたものだったのだろうか。

性と忙でちょっと熱が入り過ぎましたが、とにかく、人間も自然の一部。自然の摂理と矛盾する生き方は良くないんだろうね、きっと。

話を元に戻してと…。

続いて高千穂へ。
大観光名所の高千穂峡。急にものすごい雨に見舞われた。南国のスコールみたいな豪雨。びっくりだなぁ。何だこれ。例の「人払い」?
崖上から渓谷に落ちる有名な真名井の滝を見る頃には雨もほぼ降り止んだ。おかげで人も少なめになって、狭い歩道を歩きやすくはなったかも。
美しい情景だった。側面の岸壁に見える地層のバリエーションがこの地形の成り立ちの奥深さを感じさせる。

そのまま高千穂神社へ。
ここは神社庁管轄でかなり格の高い神社だそうな。つまり、国家神道系の神社か。

一口に神社と言っても、その成り立ちは複雑だと僕は考えている。推測ではあるが、明治政府が近代国家を作る際に国民を管理するための代行機関として整備し今に至るものもあれば、大和朝廷の記紀編纂時にその神話の後ろ盾として作られたもの。そして、それ以前の民間信仰(山や岩などの自然崇拝)を起源とするものなどがあるのだと思う。
朝行った熊野坐神社は恐らく古代から長い間続いて来た国家権力とは関係のないお宮。高千穂神社は明治政府以降の権力のヒエラルキーに組み込まれたものではないだろうか。

そんな気持ちでいるからか、このお宮には魅力を感じなかった。入り口の鳥居があまりにも立派で綺麗すぎる。
境内に生えた杉の巨木は見事だった。雨上がりの空気は木々の美しさを倍増させていた。
ただ、今ひとつ心地よさを感じないでいたところ、一箇所、杉木立が円形に取り囲んでいる小さな空き地が気になった。
足を運びその土地に立って手を合わせる。ここは何やら気持ちがいいぞと思って長々と祈り続けたあと目を開けた。隣にはワンちゃんが立っていて「やっぱりここでしたか。ここは気の流れがいいんですよね。」
お、俺も以外といい線行ってるじゃあないか。自分でもびっくり。
「ひょっとすると、もともとこの神社はこの場所を祀っていたのかもしれませんね。」
ほう、なかなか意味深い。

と、既に今日行きたかったところはほぼ終了。あとは時間があればと思っていた池上水源である。
時間はまだ2時前。
「では、昼飯を食って、それから阿蘇の方に向かいましょう。まだ時間があるから、阿蘇神社でも見てから池上水源に行きましょう。」
はーい。完璧だ。これじゃ明日行きたかったとこも今日終わっちゃいそうな勢いじゃないか。

まずは飯。
初日にも寄った焼肉屋が忘れられず、再びそこへ。
入り口を入ると、定員さんが、「すいません。お昼2時までなんです。」時間は2時数分前だった。そこをなんとか。と、軽く押したら、結構簡単にオッケーが出て、昼最後の客となった。僕らのあとに来た人達は断られていた。
またまた、閉店間際に飯にありついた。神様は見捨てはしないようだ。ありがたい。

縁結びの神様、阿蘇神社。
参道が拝殿ではなく、阿蘇の山に対して伸びている。
ここは高千穂神社とは打って変わって明らかに気持ちがいい。
「この神社は阿蘇のレイラインに沿って作られてるんです。だからいい気が流れています。」
そうなんだ。俺の「気アンテナ」も大したもんだ。なかなか敏感。

ひとしきり参拝した後だった。ワンちゃんが参道の先を指差しながら「あそこの古民家で友人がお店を始めたんです。で、その二階が空いてて僕に貸してくれるって言ってもらってて、カウンセリングをあそこでしようかと思ってるんです。行ってみますか?」
僕は間髪いれず答えていた。「是非見てみたいです。」

お店は古民家の中を改装してあり、お茶や軽食が楽しめる空間と、パワーストーンを展示販売する空間に別れていた。
中に入ると、「今日来てますよー。」との声。
普段は姿を見せないオーナーの女性が見えているとのこと。ワンちゃんが早速ご挨拶に伺う。

「どうもー」といいながら、ワンちゃんが僕の紹介を始める。そして、これまでの旅の軌跡ともいえる偶然の連続、まあ、いわゆるシンクロニシティの話を、冗談交えて話した。
「すごい!面白い。ワンちゃんがいつもこういう人連れて来てくれて、こういう話いっぱいできるから、ここ楽しいのよね。」
オーナーの女性は「ゆきえさん」(仮名)といい、そして、目の前にいる甚平を着たイケメン従業員の青年二人は彼女の息子さん達だそうだ。とてもこんな大きな子供達の母親とは思えないほど若々しい。

ゆきえさんもあるときから神様からの指示を受け取ったらしい。世界のアセンションのお手伝いをするよう、この場所の古民家を買いお店を始めるという指示だ。
彼女はみんなが集まるサロンみたいな場所を作りたかったと言った。ふさわしい場所だと思った。ここでは、まるで空気清浄機から出てくる風が大量に身体中を流れて行くような気持ちのいい気を感じた。というか、そういうのを感じられている自分にびっくりだったのですが。。
ここは誰でも来たがるに違いない。絶対に流行ると直感した。

お店を出した今でも、ゆきえさんは前からの仕事である保険セールスの仕事を続けている。地元の支部の支部長さんとして皆をまとめ、地区内でも上位の売り上げだそうで、なかなか会社に辞めさせてもらえないのが実情だそうだ。

初めてだけど、初めてとは思えないほど会話が流れた。ゆきえさんの話し上手も手伝っているかもしれないが、とにかくものすごいスムーズ。
「前に会ってるんでしょうね。僕に見えてるのは、僕ら3人がアメリカのインディアンだったイメージです。」とワンちゃん。
前世で知り合いだったという訳か。またまた、わけわかんない世界だけど、初対面の人とこれだけ楽しく話すとそれも信じてしまいたくなる。

「明日ってどうします?いっそ長崎のあんでるせん行っちゃいますか。僕も行きたいと思ってたんでちょうどいいんです。」とワンちゃん。
おー、阿蘇神社も来ちゃったし、明日は長崎でもいいか、という気持ちがして来た。しかし、「あんでるせん」は予約2ヶ月前からの店である。前日の今日電話をして行ける可能性は低い。が、この雰囲気。何となく電話すれば行けるとは感じていた。
長崎へ電話をかける。
「明日なんですが、2名予約できるでしょうか?」
電話口の先は男性の声だ。
「朝の回はダメですが、17時からの回なら、団体のキャンセルが出たので大丈夫ですよ。21時半くらいまでかかりますけど大丈夫ですか?」
「はい、お願いします!佐藤です。2名です」
長崎行き確定の瞬間だった。
それにしても、こんなにスムーズに流れるもんかね。いや、もはや疑う余地はない。すべて仕組まれている。目に見えない何かに…。
ゆきえさんも、親子で何度も「あんでるせん」に行かれているそうだ。毎回度肝を抜かれるそうだ。これは楽しみである。

「でも、ホントにこの何日かのシンクロニシティの話面白いわ。日記にしてブログ書けば?「プー太郎の旅日記」とかいうタイトルで。あ、いい、いい、このタイトルしっくり来る。そのうち本とかになるかもよ。うん、本書けますよ。プー太郎さん、話面白いもん。文才ある。私、とにかく人を見る目は確かなんです。」
あ、ありがとうございます。ぺこり。
すると、ワンちゃん「あ、実は僕もそう感じてたんです。本を書くんじゃないかって。でも、僕がいうとねぇ…。ゆきえさんがいうから間違いない。僕から見てゆきえさんはものすごい力持ってるんです。巫女さんみたいな感じ。」

まじか。俺、書くのか。
一瞬たじろいだが、書くことへの不安は感じなかった。この一瞬、あって間もない彼ら二人は、不思議なことに僕の最強の応援団のように感じられていた。
この二人が言うんだから間違いないという気持ちと、この旅行記なら書くモチベーションが湧くという気持ちを強く持った。

ワン「もう既に、数冊書くイメージあります。ハリーポッター抜いちゃいましょう。」
いやいや、いきなりハードル高いでしょうよ、それは。

ワン「プー太郎さんって、大学どこいったんですか?」
僕「早稲田に行きました。で、卒業してからアメリカのユタ州の大学に行ったんです。早稲田では文学部でユタではコンピューター学部。」
ワン「そんなんだ。だから面白いじゃないですか。最初からスピリチュアルじゃなくて、学歴あって真っ当に生きてた人に突然始まる神の世界の話。」

確かにそうだと思った。
宗教活動等に没頭したこともなく、世間一般の価値観に従って勉強もし受験もした一般的なサラリーマンに始まる神事のプロセス。
僕は、一般社会と神世界の橋渡しが出来る立場に入りつつあるのかもしれないと感じ出した。
僕がこれまでやって来たことはすべてこのための準備だったのかという想いまで湧いて来ていた。

書くも自由、書かぬも自由。
でも、やっぱ書くしかないんだろうなぁ~。ということで、この日記始めたのでした。(^^)

ちょこっとお邪魔するつもりが、結局お店に3時間ぐらいいただろうか。最高に気持ちのいい時間と空間だった。池上水源は行けなかったが、もっと価値のあるものに出会った気がした。

ゆきえさんから「私、記念に何か差し上げたいわ。」という有難い善意を頂き、お店に入荷したばかりのパワーストーンブレスレットの中から一本頂くことになった。
お会いして数時間なのに、嘘みたいなホントの話。
直感で赤みを帯びた透明感のある石を選んだ。後で教えてもらったが、ガーデンクリスタルという、水晶の中に石が半分程度含有されているものだそうだ。地に足のついた生き方の人が好む石だという。結構フラフラしてるんすけどね、ぼく。

とにかく、この尋常でない流れに感謝。本が売れた暁には倍返しどころか十倍返しさせて頂きます。m(._.)m
とはいっても、まだ本になるとも決まってないわけですが。。

ブレスレットは、僕の太い手首に合うよう、イケメン従業員の息子さんがサイズの調整をしてくれた。
二人の息子さんは学生時代荒れていて手が付けられないような時もあったという。が、僕が会った印象は柔らかい物腰でとてもそんな風には思えない好青年たちだった。
学校が子供達に、管理されやすい人間のメンタリティーを刷り込む場所だとすれば、心が純粋で自由な子ほど反発を覚えるのではないか。子供の性格が外交的か内向的かによって、教師に反抗するケースもあり、家に引きこもるケースもあるのかもしれない。
そう考えると、あんなに無邪気で愛と喜びに溢れ、見る側の心を癒してくれる幼児が、学校に上がった頃から徐々に心を失って行き、成人する頃には無感動な大人になってしまうのも納得が行く。6・3・3、12年もの長期に渡る時間が子供の心に与える影響は計り知れないし、子ども時代に形作られたメンタリティーがその子の生涯に及ぼす影響は決定的だ。
今になって尾崎豊の歌が心に響く。

お店を出て、宿へ送ってもらう車の中で、僕の大学の話になった。
ワン「最初、アメリカの大学って聞いたとき、MITか何かだと思ったんですよね。」
僕「そんなに頭良くないよ。あ、でも、実は俺、東大受かったんだ。」
ワン「マジっすか?」
僕「うん。昔、国立大学受験に前期日程と後期日程ってあって、前期日程は5教科全部だけど、後期日程は小論文と英語だけだったんだよね。で、後期日程で受けた。英語はメチャメチャ勉強したからどうにかなる。問題は小論文。テーマによっては書きにくいのもあるからね。
あ、思い出した!このときも、そういえばすごいのあった!
小論文の試験の前に何となくぼーっとしてたら、ふと、なぜ歴史を学ばなければならないのか?なぜ古文を学ばなければならないのか?っていう疑問が頭をよぎった。で、答えを頭で考えて大筋の起承転結はついたんだよね。で、試験が始まって、小論文のテーマを見たら、なんと「なぜ歴史を学ばなければならないのか、また、なぜ古文を学ばなければならないのか書きなさい」だった!つまり、俺は皆より数十分早く問題を始めていた。で、うまいこと試験にも合格した。」
ワン「やっぱ、そういうの持ってんだ。」
僕「だね。すっかり忘れてたよ。あれも仕組まれてたってことか。」
確かに、早稲田を出て、東大の試験を受かった男の話となれば、箔が付いて、世間的にも関心を呼びやすい。神様はそこまで計算して、、この時のために、、マジか!

明日は長崎に17時半に着けばいいので、13時ごろに迎えに来てもらうことにして別れた。
長崎に行けたら九州であと行きたいのは鹿児島の知覧だけだったから、ワンちゃんの車でそのまま熊本に帰ってくるつもりだった。

夜、いつもの温泉に入って部屋の鍵をもらいにダイニングに行くと、お父さんがいた。明日チェックアウトということもあり、これまでどうだったかという話になった。とにかく驚きの連続で、こんなに見えない世界にはまり込んだのは初めてですといった話をすると「そういえば、この近くに霊感の強い豆腐屋さんがいて見てくれるらしいんだけど、お金は豆腐の代金以外一切貰わないんだそうです。」
見える人は結構いろんなところにいるもんだなぁと思っていた。

部屋に帰り、眠ろうと思うが、なかなか寝付けなかった。ある想いが頭を駆け巡り出した。
「どうせ長崎まで行くのならそのまま長崎に留まるっていう手もあるな。福岡にも友達が何人かいるし、初日にお会いしたお二人も福岡だし。長崎から福岡に行って、そこから鹿児島に一気に降りるか。」
そこまで考えたとき、急に思い出した。昨晩、ダイニングで住所交換したおやじさんである。あの出来事だけは何となく自分の中でしっくり来ていなかった。これまでの全体の流れに沿っていないというか、何となく宙に浮いた感じ。佐賀って言ってたけど、そういえば、佐賀って長崎の隣だなぁ。
で、貰った住所を調べてみた。「佐賀県嬉野市嬉野町」
あんでるせんは長崎とは言っても市内からは少し離れた佐賀との県境近くにある。そして、なんと、嬉野市は長崎との県境!車で下道を行ってもせいぜい20分くらいの距離だ。昨日の住所交換はこのためか?と思いながら、インターネットで嬉野について調べ始めた。
嬉野には温泉があり温泉水で作る湯豆腐が有名。ビンゴ!さっきのお父さんの豆腐屋の話はこれのことか。
さらに、嬉野温泉は歓楽街が有名でソープランドが何軒もあるという。これまたビンゴ!いやいや、僕がソープに行きたいとか行きたくないとか、そういう話は別にして、今日ワンちゃんと話してたソープの話とも被る。
これだけ被ったら呼ばれてるとしか思えないわけです。

明日は佐賀に行くのかぁと思いながら瞼は落ちた。