8/26 阿蘇⑤ ~ あんでるせん ~ 嬉野温泉① | 【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

東京出身40代の独身男が、震災をきっかけに、それなりに給料の良かったSE職を辞めて世界の陰謀論にのめり込み、神社巡りの旅に出掛けたら、次から次に不思議な偶然に出会ってしまうというドキュメンタリー。それらはただの偶然か、それともすべて必然か!?

8月26日

「あんでるせん」のショーが17時半からなので、今日は13時ぐらいにワンちゃんに来てもらうことにしていた。チェックアウトの時間としては少し遅めになるので、朝ごはんを食べながらお父さんとお母さんに確認してみた。

実は、お母さんは一昨日から偏頭痛で休まれていたが、今朝はその分いろいろすることが多く、11時ぐらいまでにはチェックアウトして欲しいとのことだった。
ワンちゃんにメールすると、11時半ぐらいになるとのこと。まあ、宿の前で本でも読みながら待つのもいいか。
もはや、時間は神様がうまいこと調整してくれるんだろう、ぐらいにしか考えられなくなって来た。

朝ごはんのとき、お父さんが「そういえば、何度か幣立神宮のお参りでうちに泊まりに来てる人がいて、その人も神様の話をしてましたよ。鹿児島の女性でねぇ。細身で、40代と思うけどいつも綺麗にしてたなぁ。」と、お母さんが「あ、ななこちゃん。そういえば、ななこちゃんから豚肉が届いてたわ。」
神様や幣立のつながりに加えて、鹿児島というのが気になって聞いてみた。
「その人、鹿児島のどこですか?」
「ああ、知覧よ。」
来た!そんな気がしてた。やはり知覧には行かねば。直感的にこの人に会わなければならない気がして連絡先をご存知かどうか聞いてみた。
「分かるわよ」と言って、お母さんが豚肉の送り状を持って来て言った。「ごめん。知覧じゃなかったわ。鹿屋だった。」
おっと、なんだ外れか、と思ったとき、お父さんが言った。「鹿屋にも特攻の基地があったはずですよ。」
なぬ!ということは、特攻がらみで行かなければいけないのは知覧ではなくて実は鹿屋なのか?
とにかく、送り状にあった住所を写させてもらい、一緒に書いてあった携帯の電話番号も写した。ただし、送り状が千切れていて番号の最後の一桁は分からなかった。
知覧にしろ鹿屋にしろ、やはり鹿児島は行かねばならないのだなと確信し始めていた。

11時半まで、まだ時間があったので、お母さんが家事をされている間、お父さんといろいろお話した。
長崎に行くこの日、NHKの朝番組に女優の仲里依紗が出ていて、長崎出身だという話をしていた。(今調べていて偶然発見したが、彼女の出身地である東彼杵郡東彼杵町は、「あんでるせん」のある東彼杵郡川棚町と、今晩泊まろうかと思い始めていた嬉野市嬉野町の二つの町に隣接している。)
恐らく彼女の出身地である長崎県がきっかけで始まった話だったように思うが、「森繁久弥と早稲田の同級生で宮崎康平さんという有名人が昔いました。」とお父さん。
「この人は長崎県の島原出身で島原鉄道の取締役をしていたのですが、目が見えなくなって、晩年は島原に邪馬台国があったっていう研究をされてました。何年か前に竹中直人の主演で映画になってましたねぇ。僕らが若い頃、島原は新婚旅行のメッカでした。」

何かのヒントか?と思い、Wikipediaで検索してみると、旧制早稲田大学文学部を卒業とある。
僕「あ、僕の先輩に当たる方です。実は僕も早稲田大学の文学部出身なんです。」
お父さん「え、そうでしたか。文学部?何を勉強してたんですか?」
僕「早稲田の文学部は扱う分野が幅広くて、文学だけでなく社会学や心理学なんかも含まれるのですが、僕は歴史をやってました。」
お父さん「ほう。どんな歴史を?」
僕「アメリカ史です。」
お父さん「じゃあ、インディアンの歴史なんかもやったの?」

ちょっと面食らった。アメリカ史と言ったら一般的には独立戦争やら民主主義やら白人主流の歴史がイメージされると思っているからだ。少数民族史はせいぜいキング牧師や黒人の市民権運動ぐらいしか思い浮かばないのではないだろうか。にもかかわらず、アメリカ史と聞いてのお父さんの第一声は「インディアンの歴史」である。

実は僕の卒業論文のテーマは、合衆国の少数民族史だった。マイナーなテーマだが、お父さんの発想とは見事に被っていた。その上、昨日の夜、僕の前世がインディアンだと言われたばかりだったので、それとも被ってきて何だか不思議な感じ。

お父さん「昔、なんていう名前だったか、有名な俳優さんの主演でインディアンの映画があったでしょ。なんていう題名だったかな。白人がインディアンの味方になって戦う話で。えーと、名前が出てこない。大昔の映画じゃないんだけど…」
僕「「ダンスウィズウルブズ」ですかね、ケビンコスナーの。」
お父さん「そうそう、ケビンコスナー。それまでは、インディアンは悪者でやられるばっかりだったんだけどね。」

僕は西部劇をほとんど観たことがないが、ダンスウィズウルブズは観ていた。もう20年以上前だろうか。ケビンコスナー主演という以外、当時特に強い印象を持たなかった。
その後、僕の大学での話をしていたからだろうか、しばらくして、何を思ったかお父さんが言った。「大隈重信(早稲田大学の創設者)は佐賀の出身だね。」
早稲田OBとしては恥ずかしながら、大隈さんの出身地を初めて知った。
この一言で、今日の宿泊はやはり佐賀の嬉野温泉だと確信した。

その後、宿に11時半までいても問題なしということになり、部屋でワンちゃんが来るのを待った。
そして、ほぼ時間通りにワンちゃんが到着。たった4泊だが感覚的には一ヶ月ぐらい滞在していたような気がする阿蘇の宿を出る。
お父さんお母さんに念入りにご挨拶をした。でも、きっとまた帰って来る予感というか実感があるので、不思議と悲しくはなかった。

「早く出たということは、先に水を汲めということかな。ということで、阿蘇を出る前に水源に行きましょう。」とワンちゃん。
「いいね。で、実は長崎のあと、佐賀の嬉野温泉に泊まろうと思うんだけど、「あんでるせん」行く前に宿見つけに行ってもいいかな?」と、嬉野温泉に想いが行き着いた経緯を説明した。
「なるほど。了解っす。」
ということで、今日の予定が決定した。
まず、白川水源に寄り水を汲む。その後、嬉野温泉に行って宿を見つけ、嬉野にある豊玉姫神社に参拝。で、「あんでるせん」でショーを観たあと嬉野温泉泊だ。

ワンちゃんとは出会って4日目で年齢差もあるけど、もはや知り合いという感覚ではない。既に友達、あるいはより深い繋がりのある同志という感覚である。
このころから、会話から敬語は消えていた。人として最低限の敬意さえ感じられれば言葉はさほど重要ではない。
「依頼されてたブレスレットできたよ。僕の中でガーデンクォーツとルチルクォーツのイメージが来てて、二つ混ぜようかと思ってたんだけど、昨日ガーデンはプレゼントされてたでしょ。だからルチルで作った。」
大玉の針水晶が連なる見事はブレスレットだった。ルチルクォーツとは、金色の針状の結晶が何本も入っている水晶で、とても力の強い石だとのこと。
しかし、42年間パワーストーンなんて全く興味のなかった男が、この5日間の間にブレスレットを3本も着けるようになるとは、自分でもビックリですよ、ほんと。

阿蘇滞在の間に、大小合わせ、水を汲める5箇所の水源に出会ったが、白川水源はその中でも最大のもので、それ自体が観光スポットになっていた。敷地に入るのに100円の料金が必要で、周辺にはお店が多い。
実際に目にしてみると、その理由が分かった。
水源の周りは池のようになっていて、こんこんと、まさにその表現がぴったりなのだが、こんこんと湧き出る水は小川となって流れ出て行く。
池の周りには青苔やら草木やらが茂り、それらの緑が水の透明感や光の反射と見事に調和している。
水は池の底に溜まった砂を押し上げるように絶えず噴出していて、水の中でゆったりと舞う灰色の砂はまるで動くオブジェのよう。
一級の芸術作品に出会ったような感動。いや、こんな作品を作れる芸術家が自然以外にいるのだろうかと疑いたくなる。静かで安らかな感動に心が満たされ、水源よろしく感謝の気持ちが心に溢れ出る。
ちょっとマジで、こんなこと一週間前なら絶対思ってないから!それぐらい、自分の中の意識に大きな変化が起こっているわけです。

たっぷり水を汲み一路佐賀へ。
途中ガソリンを入れたり、昼飯のおにぎりをコンビニで買ったりはしたが、嬉野温泉までは基本ノンストップ。がっつり昼飯を食べることはしなかった。

幣立神宮以来、食事の量と回数が明らかに減っている。一日三食というのはなく、日によっては一食で済んでしまったりする。一度食べるとあまりお腹も空かないし、多少の空腹感はあっても食べる必要性を感じなくなっている。食べる気になれば食べられるが、食べないほうが気持ちがいいのだ。
誓って言うが、東京の僕はこんな人間ではなかった。常に食べたくて食べたくて仕方がない。お腹が空いてなくても食べる。街で何か見つけると衝動的に食べる。ここ最近は朝を抜いているが、その分昼以降に3度食べることはよくあり、その食べる量も尋常でない。下手すると、夕食を食べた数十分後に二度目の夕食を食べる。そんな人間だ。それが、どうしたことか、こっちに来てからは食べたいと思わないのだ。

こんな僕だから確信を持って言えるのだが、実際には食べることで人は心を埋めているのだ。ストレスや不安や何かしらの欠乏感、そういったものを埋めるために食べる。人によっては、食べる代わりにタバコやお酒で心の隙を埋める人もいるだろう。ひょっとすると、愛のないセックスに依存する人もいるかもしれない。
しかし、心が満たされているとそういった「クスリ」はもはや必要ない。実際には身体を維持するために食べているわけではないのだ。
それを神と呼ぶのかどうかは別として、見えない何かと心つながっている感覚があると、感動や感謝の気持ちを簡単に感じることができる。不思議と幸福感も強い。
今までの俺は何だったんだと思えるぐらい、全く異なる意識の在り方である。どうも、自然から離れれば離れるほど、この意識は薄まって行くような気がする。

熊本から高速を飛ばして、嬉野温泉に着いたのは、16時頃だったと思う。途中、インターネットで宿を探そうかとも考えたが、何となく現地の観光案内所で聞くのがいい気がしたので、その直感を信じることにした。日曜の夜だし、まあ、どこかは空いてるでしょぐらいの感覚。

実はこの日の朝、イギリスの名門マンチェスターユナイテッドに今シーズンから移籍した日本代表の香川君が、移籍後初ゴールを決めた。ワンちゃんは「これからどんどん日本人はオフェンスで行け、攻めろっていうメッセージだと思う。」という。
香川君の背番号は26、今日の日付も26なので、ひょっとすると、26という数字絡みで何か起こるのかと思っていたところだった。

観光案内所で、早速試してみた。
「2600円ぐらいで素泊まりできる宿ないですかね?」
秒殺で厳しいと言われた。。。見せられた宿のリストでは、安いところでも4000円ぐらいからだ。マジックナンバー不発。香川くんのようにはうまくいかない。
当てが外れた。でもとにかく安いところと思い、リストにある最安値の宿2軒に電話してもらった。1件目は今日は休みだという。宿が休み?そんなことあるのか???2軒目は電話がつながらない。ならばと思い、マジックナンバーを再度試してみることにした。リストの各宿には番号が振ってあったので、その中の26番!うわー、一泊1万5千円ぐらいする高級なとこだぞ。えーい、もうどうにでもなれ、26番でお願いします。しかし、既に満員とのこと。またもや不発!
すると、奥にいたベテランオーラを醸している女性職員が「うれしの屋(仮名)さん聞いてみますね。」リストみたら7000円って書いてあるぞ。ちょっと高いのでは、と思ってたら「空いてました。4000円でいいそうです。」おお、いいじゃん!
どんな宿かわかんないけど、まず一泊してヤバそうなら変えることにしよう。

宿はひなびた古い建物で、昭和を感じさせる「ザ・温泉旅館」といったところだった。
荷物を持って入ると、女将さんだろうか、おばあちゃんが迎えてくれ、部屋へ案内された。ピシッとした印象の女将さんだ。
部屋の名前は「雲仙」。「あー、地名が部屋の名前になってるわけね。しかし、ちょっと古すぎるんじゃねーか、ここ。まあ、明日にでも別の宿も探してみるかね。」とそんな第一印象だった。

外でワンちゃんを待たせていたので、荷物だけ部屋に入れ、宿帳への記帳を済ますと直ぐに外へ出た。女将さんには夜遅くなりますとことづけた。

その後、豊玉姫神社へ参拝。何となくもの寂しく、良い気の流れを感じられない印象だった。
ワンちゃんによると、現在の神社は昔の場所から移されたようだとのこと。宿の近くに、神社跡地の石碑が立っていたという。ならば、俺は、元の神社の近くに泊まるわけかと思ったが、いまいちピンと来ていなかった。

豊玉姫とは、神武天皇のお祖母さんに当たる人で、天皇家とも関わりが深い。また、竜宮伝説の乙姫様に当たる人だとのことで、成り行きで選んだ割には結構な有名人とゆかりのある土地に来たもんだ。さらに、Wikipedia によると、豊玉姫神社がある土地は、嬉野温泉以外に、鹿児島の知覧。知覧!つながった!やっぱ行くんか。
あとは、香川県に一つ、徳島県に二つ。最後に、千葉県の香取市にひとつ。と、すべてレイライン上に乗っているようである。これ全部行くのかなぁ。

参拝を終え、いざ「あんでるせん」へ!
嬉野温泉から「あんでるせん」のある長崎県の川棚までは下道で15分~20分ぐらいだった。結果的に17時半の開店より15分ほど前には到着した。
開店を待ちながら、お店の向かい側で軽い瞑想をしていた。なんだか落ち着かないのである。自分が何かをするわけではないが、漠然とした不安感を感じていた。その不安の正体がなんだったのか正確には分からない。でも、思うに、ここのショーで見えない世界の存在を確認してしまったら、今までの世界にはもう戻れないかもしれないという不安、新しい自分と無理やりにでも出会わなければならないという不安だったんじゃないかと思う。
かくして、17時半ちょうどにお店は開いた。

喫茶店に入ると、まず飲み物・食べ物を注文する。そして、注文したものが出て来るまでしばらく時間がかかる。その間、ちょっとした瞑想をしたり、わんちゃんと話したりして待った。
ワンちゃんによると、今朝「あんでるせん」のマスターが自分のことを覗きに来たのが分かったそうな。霊力のある人は、そんなこともできるし、そんなことを感じたりもできるようです。
また、喫茶店の中に何かしらの場が設定されていると言う。訪れる人に良い影響をもたらす何か。僕も部屋に入ってからは、正確には入口の階段を登り始めてからは、外で感じていた不安感からは開放されており、何となく頭蓋骨が真ん中から左右に開いていてその中を風が通っているような感覚を覚えていた。爽やかな風に当たっているようでとても気持ちがいい。

20分ぐらい経っただったろうか、注文したハンバーグステーキとライスが来た。至って普通のハンバーグステーキでとてもシンプル。全く奇をてらってない。付け合わせにコーンとじゃがいもが添えられたデミグラスソースのハンバーグステーキ。そのせいか、とても懐かしく感じた。

子供の頃、日曜の夜、亡くなった父に連れられて、父母妹の家族四人で地元の駅前にあるレストランに行ったものだった。僕は決まってハンバーグステーキとライス。僕はこの店のハンバーグの味が好きだった。今改めて気付いたが、僕にとってのハンバーグの味はこの店のハンバーグが基準になっている。
ハンバーグもさることながら、家族、特に平日忙しいお父さんと過ごす時間は格別だった。日曜の夜は大好きな時間だった。
しかし、やがて、僕も中学高校と成長するうちに家族と過ごす時間は少なくなって行った。親と一緒にいることは、かっこ悪い気がして抵抗感を持つようにもなっていた。
父は仕事の面では成功した人だったが、僕とのコミュニケーションでは愛情を示してくれない冷たい父親に見えた。
成長につれ、僕は次第に自分の考え方を持ち、自我を膨らませて行く。そんな僕とどう付き合っていいのか分からなかったのかもしれない。元々寡黙な人だった。
大人になる頃には、父への想いはほぼなくなっていた。逆に、子供への愛情を表現してくれないことへの不満の方が大きくなっていた。

「あんでるせん」のハンバーグステーキは、シンプルだけどいい味だった。
僕にとってのハンバーグの原点、家族への想いの原点を思い出させてくれる、そんな味だったのかもしれない。
思えば僕は、父に求め過ぎた。
彼も人の子として、いろいろな問題を抱えながら生きていたのだろう。しかし、僕は、自分の理想の父親像を求め勝手に失望した。
駅前のレストランでハンバーグステーキとライスを食べていた頃、僕は父に何も求めていなかった。ただただ、父が大好きだった。

人は他人への期待や依存の中で、与えるより受け取ることばかりに夢中になり、本当の自分を見失う。人が何をしてくれようが、何をしてくれなかろうが、本来の自分に戻れば、無条件に愛を与えることができるのに。幸せの大きな力を持っているのに。

ハンバーグステーキと一緒に注文したアイスコーヒーを飲み干すと、だいたい19時ぐらいだった。いよいよショーの始まり。
ハンバーグステーキとコーヒーでだいたい1500円ぐらい。それ以外にショーの代金は一切かからない。マスターの善意だろう。金儲けのためのショーでないことが分かる。

ホールを仕切っている奥さんからお呼びがかかった。いよいよだ!
最初に一人一人番号が与えられる。「背番号」のようなもので、この番号を使って、お客がショーに参加して行くようだ。ワンちゃんは7番で僕は8番だった。前日の夜予約したにしては番号が若い。客数は全部で20人近くいる。
まずはショーが行われるカウンターに移動する。カウンター席を最前列として、その後ろに二列目の立ち見客、台に乗って三列目の立ち見客と整列する。2時間以上のショーを立見するのは腰痛持ちの僕にはなかなか厳しいが、この数日でよくはなって来ている。まあ、どうにかなるか。

「7番さん、8番さん」と呼ばれて行くと「真ん中にしますからね。ちょっと待ってて。」と奥さん。最終的には二列目の真ん中に陣取る形で立たされた。センターポジション。前日予約でこの位置に立たせるというのは、僕の意識が重要な局面に差しかかってるのを知ってのことか、何度か来ているワンちゃんがいるのがわかってのことか。ちなみに予約は僕の名前でしてるので、マスターはワンちゃんがいることは知らないし、何度か来ているとは言っても、ワンちゃんとマスターは個人的な付き合いがあるわけではない。
ショーが始まってからのことだが、三列目の一番端に立っていた女性にマスターが「団体さんのキャンセルがあったから、当日予約で入れて運が良かったですねー」と二度ほど話しかけていた。僕らを含めた他の客には前日予約ないし当日予約の話は一切なかったので、恐らく僕らのあと予約したのは彼女だけだと思う。少なくとも僕らの後に十人程の人達が予約したとはちょっと考えにくく、意図的に僕らに便宜が図られたと考えるのが一番自然と思う。でも、この時点でマスターが知っていることは、僕の名前と僕が二人連れであるということのみだ。

ショーが始まった!
ワンちゃんの話によると、マスターはもう50代のはずだが、若々しい。店に入ってすぐに一瞬見ていたのだが、その時はバイトの大学生か何かだと思っていた。しっかりと見れば、そこまで若くないと分かるが、ヘタしたら30代後半ぐらいで通るかも。

まず最初に、お客さんから借りた指輪をカウンターの上からマスターのネックレスへと一瞬で移動させるという技!ほんとうに一瞬のうちに指輪が消えてなくなり、マスターのTシャツの中に隠れていたネックレスにぶら下がっている。なんじゃそりゃ。
あり得ないと思っていると、今度はお札を使った技。2mほど先の目の前で、指の腹に一万円札を立てている。そして今度は、手を離してお札を宙に浮かせている。周りに糸らしきものは見えない。すごい!美しいと思った。そう思ったら、またもや幣立同様に涙が出て来た。
マスターは、糸がついてないことを実証するため、お札をガラスの容器に入れ、その中でも浮かして見せた。でも、そんなことをされなくても、お札が浮いているのは僕の目には明らかだった。その光景はあまりに美しかった。
マスターはこの限られた三次元の空間で宇宙の真理を具現化して見せてくれている、君が今信じようとしている世界は間違いなく存在するんだよって言ってくれている、そんな気がして心が震えたんだと思う。まあ、ただの思い込みに過ぎないかもだけど。
またもや声を出して泣き崩れそうになったが、今回はギャラリーが多すぎる。何とか踏ん張った。

もうこれだけで十分だった。僕がこの場所に求めたものは既に受け取った気がした。が、もちろんショーは続く。まだ始まったばかりだ。

様々な能力を使った様々な技を見せて頂いた。いくつかを挙げると:
・手のひらから観客の頭頂に電流を放射する。(腰痛など体の不調にいいらしい)
・ランダムに選んだ観客にサイコロを振らせて3連続で特定の目を出させる。
・ランダムに選んだ観客の名前やその人が気になっている異性の名前を当てる。
・数名の観客に任意の数字を電卓に打ち込んでもらい、その合計額に予め用意した補正値を足し込んで、ランダムに選んだ観客の誕生日(年月日を一続きとした数字)にする。
・ルービックキューブを廻して世界記録とほぼ同等のタイム(6秒?)で6面揃える。かと思うと、触っただけ(1秒)でも6面揃える。
・手を触れずにスプーンを曲げる。
・手を触れずにネジを廻す。
・観客から借りた50円玉を千円札に貫通させて千円札上を自在に移動させる。
・観客から借りた500円玉の端を食いちぎり、次の瞬間もとの状態に戻す。
・観客から借りた10円玉を500円玉と全く同じ大きさまで手で伸ばす。10円玉その分薄くなる。
・コーラのペットボトルに巻きつけてあるラベルを一瞬でボトルの中に移動させる。
・ビール瓶を一瞬で捻じ曲げる。

驚きの連続。そして時々人生論のような話が出て来るのだが、どうもそれが観客のうちの特定の誰かに向けたもののようなのだ。
そして、僕の学びも続く。

二列目のセンターポジションに陣取ってはいたが、カウンター席に座る僕の前の男性が背の高い(もしくは座高が高い)人で、彼の頭がちょうど僕の視線とマスターの手元の間にドンピシャで入る形だったため、普通に立っているとマスターの神技が見えない。前の男性の動きにあわせて頭を上下左右に動かし、視線の位置を常に調整する努力をして始めて見えるのだ。
折角のセンターポジションなのにぃ~!と思い、最初イラついた気持ちがあったが、すぐにある想いが浮かんで来た。
マスターは間違いなく超能力者である。その日の観客がどういった人間かを把握し、立ち位置まで調整する。ならば、僕をここに立たせ、その前にこの男性を座らせたのは偶然ではない。その意図は…「今後も恐らく、君には神の言葉や神の姿が直接見えることはないだろう。でも、注意深く諦めずに見ようとすれば必ず神の存在を見つけられる。」なのではないか。
神や霊を見たり聞いたりできる人は子供の頃からそういう能力を持っている。僕にはそういう経験はない。数日前の杉の件もただの思い込みかもしれない。
それでも今回の旅でこうして導かれている。出会う人や街中で目に入る情報に注意を払えば、必ず神様のメッセージや導きに出会えるということを伝えられていると直感した。

気づきは他にもあった。
技を見せて行く中で、マスターは観客を順番に参加させて行くがその時に任意の「背番号」で参加者を選ぶ。
幣立神宮の一件以来、自分自身の意識が激しく変容を遂げていることを実感し、ここでもセンターポジションをもらった僕は、特別な何かをマスターが僕に経験させてくれるのではないかと、僕の「背番号」の8が呼ばれるのを期待していた。しかし、最後まで8が呼ばれることはなかった。
勝手な期待から勝手に落胆していた僕であったが、ショーが終わった後、他の観客に混じって、腰が悪いので頭から電気を流してもらえるようにお願いすると、「腰痛ね。では重点的に。」と言って、周りから驚きの声が漏れるほどの電流を流された。「今日一番すごい。」という声が聞こえた。頭に手をかざされた直後、左のお尻のほっぺたから電気が逃げるのが分かった。
「君は特別ではない。自分を特別だと思うのはよくない。でも、とても大切なことに目覚め始めている。大丈夫だからそのまま行きなさい。」というメッセージだと解釈した。

それからもう一つ。最後に僕の将来の仕事として何が向いているかを聞いてみた。将来を聞くのはあまり良くないことかという感覚はあったが、自分が本当に物書きをすることになるのか確かめて見たい気持ちがあった。
マスターが間髪いれずにくれた答えは「企画とかクリエイトする仕事がいいですね。」だった。ん?いまいち思ってた方向と違うぞと思って黙っていたら、「資格とか、生真面目さを生かせる仕事。」これは、また今までの自分のままだなぁと少し当惑し、「そうですかぁ。」と言うと、「人と接するのがいいでしょう。人を癒やす仕事。」と言われた。「あんまり具体的に言うのはちょっとね、決めつけちゃうのは良くないからね。」
その通りである。結局未来を決めるのは自分しかいない。自分を信じなさいということだな。

最後に、土産用のぐにゅぐにゅに曲ったスプーンを300円で購入し、後ろ髪を引かれる想いでお店を後にした。

「あんでるせん」から「うれしの屋」に向かう車内で、ワンちゃんに「クリエイトする仕事って言われてたね。やっぱ本書くんじゃない?」と言われた。でも、自分の中で物を書くことがクリエイトであるという感覚がなかったからピンと来なかった。

「うれしの屋」まで送ってもらい、遂に彼ともお別れのときだ。4日間とは思えないほど、本当に密度の濃い時間だった。
石の代金と車のガス代、それに心ばかりの謝礼を渡し、そして、心からのお礼を述べて車を見送った。でも、きっとまた近いうちに会うという確信があったのでさみしくはなかった。それよりも、一人となった明日からの旅がどうなるのか少し不安だった。
野わけのご夫婦、ワンちゃん、ゆきえさん、その他たくさんの人達。熊本では人に恵まれ過ぎた。
佐賀では何が待っているのか。あるいは何も待っていないのか。

夜11時近くの「うれしの屋」の玄関は既に電気が消えていて人の気配は感じられなかった。
「やば、宿に預けた部屋の鍵どうしよう」と思ったが、フロントを見ると大きなガラス窓の端がほんの少し開けてあり、そこに鍵の付いた木札が挟まっていた。木札には「うんぜん」の文字。僕の部屋だ。
頭の中で、左脳は「この宿セキュリティ甘いぞ。大丈夫か。」と言っていたが、右脳は「何かいいんじゃない。」と言っていた。
部屋に入ると布団が敷かれエアコンが入っていた。ちょっとした気遣いが嬉しく、レトロな昭和の温泉宿に来た感覚になった。

今日も盛りだくさんの感覚が溢れた一日だった。
体に若干の火照りを感じながら、新しい寝床に横たわった。