読書日記 | ソメのブログ

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椹野道流

最後の晩ごはん

優しい犬とカレーライス


 ネタバレになりますので、ご了承ください。

 やっと読めました。相変わらず心の温まる素敵な作品でした。

 人の優しさって難しいですね。受けとる時と受け取れないことがあるのはしょうがないにしてもちょっとしたことなんだろうなと考えさせられました。

 今回の鍵を握るのが犬と盆栽という異色の組み合わせ。言葉を話さない鍵にどういった想いをのせられるかがポイントになります。犬は何となくわかるのですが、問題は盆栽の方です。犬は五十嵐と淡海先生の前に突然現れます。そして導く先には犬の飼い主の亡骸。しばらくたつと五十嵐の周りに不思議な出来事が起きるようになります。その正体が枯れかけの盆栽になります。

 お話しを読むとわかるのですが、盆栽の言葉が小説の冒頭に出てくる淡海先生の作品と五十嵐の朗読が変化していきます。その台詞が、『ごめん、ってなに?ありがとう、ってなに?』これによって五十嵐と淡海先生の思考が変わってきます。

 それによって、五十嵐の台詞、『見守る。見送る。見送られる。全部、ひとりじゃできないできないことなんだ。』自分の愛犬に最後の言葉としてごめんとありがとうの言葉を残します。盆栽はそれを目にしているのです。そして盆栽の『ごめん}•••』その言葉を受けて五十嵐のこの台詞に繋がります。この作品の中で一番印象に残った言葉です。確かに自分以外の誰かが存在しているからこそ第三者の視点。私もそんな誰かの存在になるのでしょうか。

 今回の作品はとても考えさせられました。気がつかないうちに人は誰かの為に存在していたりするのかもしれません。ひとりで生きているわけではないのかもしれません。いつも時間に追われて1人で生きている風に感じることが多いのです。その事に気がついた時、自身の存在を認識し、幸せや悲しみ、励まされたり様々な感情が生まれるのかもしれません。

 1人で生きているわけではないのです。自身も誰かの支えになることが出来るのであれば意味があるのかもしれません。

 人の繋がりって不思議であり面白いなと感じました。

 ではこの辺りで締めたいと思います。誤字等ありましたらすみません。