エリート。

正確な和訳は知らんが、
「選良」とも呼ばれる。

組織や部下の命運、
及び状況を左右出来る権限を持った者であり、
故に、
事有ればその一身に責任を負うべきであり、
その自覚を自明のものとして持っている者。
それこそ、
誠の意味でのエリート。
それが本来あるべき姿である。

元都知事や
現首相の言動。

部下や組織の働きで得た成果は
全部自分のもの。

反面、
そこで生じた失敗や損失は
部下や組織のものであって、
自分に一切の非はないと
言い逃れる。

そんなヤツは、
権力の亡者なだけで、
本来的なエリートでは
断じてない。

寧ろ、
その対極に位置するものであり、
絶対にその椅子に座るべきでないものだ。
情報は大切。
全く無ければ、
その是非も予想を立てる事も出来ない。

しかし、
あればあるほど良いかと云うと
そうとも言えない。
必ずと言って良い程、
肯定するものと否定するものが錯綜するから。

蓋然性や妥当性を熟慮しても、
可否どちらにも説得力があったら、
簡単に裁定は下せまい。

そしてそれらの情報は、
その問題が微妙であればあるほど、
拮抗する傾向にある。

最終的に、
どの情報を採用しどれを棄てるか?
ざっくり云うと、
イエスかノーか?
それは
サイコロ振って決めるしか無くなるんじゃないのか?
或いは、
その決定権を持つ者が
どちらを好むか?
もっと云えば
どっちを信じるか?
そこに帰結するという事だ。

熊本地震から一年近く。
NHKで番組をやってた。

益城は地盤として危ない地域なのかも知れない。

ならば尋ねよう。
地震列島ニッポンのどこに
安全な土地なんてあるのか?
その情報はどこにある?
それは信頼に足るもの?
本当に反対意見を却下出来るの?

どれだけの情報があれば
そう断定出来るのか?

貴方は何を基準に
そう決められるのだろう?
人間とは社会的生物だという。
即ち、
人は他者との関係性の中でのみ存在する訳だから、
自らが属する地域や組織、その経歴を切り離して存在することは有り得ない。
血縁ですら、
誰かの親子や兄弟姉妹、姻戚という
相対的位置関係で示される
公的なものだ。

もしも私が
プライベートで
どこかにドライブに行き
交通事故等を起こしたとしても、
ニュースでは
「熊本県に住む施設職員、○○、○歳」
として取り上げられ、
それらの属性を示さずに
人物を特定するのは不可能なのだ。
例えその行いが
オフィシャルなものでないと
本人がどれだけ主張しようと、
そんな事は無関係。

つまり、
人は
「何処に属する」
「どの立場にある」
なんのなにがし、としてしか存在し得ない、
という事。

逆に云えば、
何時如何なる場面であれ、
自らの立場を
「私人」として
主張することの
無意味さは明らか。

その地位や立場が
責任あるべきものであったなら、
尚の事
その影響力を鑑みて、
自らの行いには
「公人」としての肩書が
付いて回るのを
自覚して然るべき。

一国の閣僚や
ファーストレディは、
自己申告で
「私人」である、
ということを認められない立場だと考える。
かの方々は
何時如何なる時も
「公人」でしか有り得ない、
という覚悟が必須だと考える。