近頃、
学校の運動会は5月ばかりだよな。
第1週は高校、
第2週は中学校、
第3週は小学校ってな具合。
子供が多いご家庭は大変だろうね。

で、
今日は
住んでる地区の小学校の運動会。
今年も地域の役員をしてるので
応援にと駆り出された。

好天の中、
盛況と成功で終了。
良かった。

かつて、
小学校の運動会は、
学校行事のみに止まらず、
地域コミュニティを活性化する行事としても、
大変有効に機能していたと思う。

子供たちの頑張る姿は、
誰が見ても単純に嬉しく楽しいもの。
だから周囲の協力や興味は
比較的な得易いだろう。

子供たちだけで運営するのは
年齢的に当然難しいので、
学校と保護者との綿密な連携があって
初めて成立する訳で、
準備から当日の進行、打ち上げまでも
協力し合うことで、
両者の絆は自然と深まる。

保護者は勿論、
祖父母世代が
久し振りに交流する場にもなる。

また、
未就学児が参加する種目があると
そこでも新たな人脈が広がる。

学校と現在直接縁が無い地区のお年寄りが、
子どもたちの声を聴きつけ
やって来ては、
頑張ってる姿を微笑んで眺めつつ
周囲の方々と言葉を交わす。

学校側と保護者やその親族、
そしてそこに止まらない
地域の様々な世代の人々を
相互に繋げることの出来る
素晴らしいイベントだった。

現在は、
不審者問題や
個人情報保護の課題、
応援する保護者のマナーとか、
昼食の差別への対応等、
大変デリケートな行事になってしまったが、
もう少しオープンな形に戻せないものかと、
少し歯痒い想いも感じる。

要は
「ビール片手に応援するくらいは
大目に見てくれんか?」

次男は高3。

進路や部活等、悩み多し。

自分もそうだったなぁ。

その時は苦しかったけど、

今になってみると

良い経験も出来たなぁ。

 

GW、

小さな子供を連れた若いご夫婦を見る。

自分たちもそうだったなぁ。

その時はドタバタだったけど、

今になってみると、

素敵な思い出が作れたなぁ。

 

今、何かと大変だけど、

過ぎてみれば、

これも

「あの時は大変だったけど、

今になってみると、

幸せだったなぁ」

と思えるようになるのかな?

 

だとすれば、

人生至る所に、

何気ない日常全てに、

「幸せな時」がある、

ってことなのかなぁ?

「こんな仕事辞めてやる!」と言いながら、

5年辞めない、10年続けた、という感じで働いてる。

 

同じように「もう辞める!」って言って

本当に1年やそこらで職場を転々とする人もいる。

 

曰く「上司や同僚に理解がない」

曰く「やりたい仕事がやれない」

 

で、辞めて、

次に移るが、

暫くすると、

同じ理由でまた辞めて。

この繰り返し。

 

身近にいる人で、

一時無理して働き続け、

身体を壊した事もあるから、

余り厳しい事は言い難いが、

仕事を続けるという事について、

書いておきたいと思う。

 

入りたてで

そこで何の実績もない新米が

「こうやりたい」

「あああるべきだ」

「こんな人と仕事したい」とほざいても、

させて貰える訳がない。

 

やりたい仕事を

理解のある上司や同僚と

一緒にやれるようになるには、

ある程度は理不尽でも

そこでの実績を積み上げていき、

ある程度のポジションや力をつける必要がある。

 

つまり

ある程度勤め続けないと

「やりたい仕事を」

「やりたい人と」

出来る環境は掴めない、という事。

 

バッターボックスが回ってくるまで待てずに

辞めてしまったら、

ヒットを打つ以前の話って事だ。

 

「踊る大捜査線」のいかりや長介さんの台詞みたいですが、

「やりたい事がしたかったら偉くなれ」って事も

あるのでは。

 

それに、

これは些か悲観的だけど、

「素晴らしい上司や同僚と共に」

「自分のやりたい仕事が出来る」

そんな職場は

理想の中にしか存在しないんじゃないか。

 

自分の周りを見渡しても、

不平や不満、大小の差はあれど、

それらを抱えながら働いている人が殆どだ。

 

「憂鬱でなければ仕事じゃない」

誰かの名言だそうだが

同感。

 

逆に言えば、

楽しいだけなら

それは遊びや趣味、ボランティアだ、

という事にもなろう。

 

苦しいからこそ

それをどうにかしていこうという

意志や知恵も生まれる。

 

更に云えば、

「自己実現」の為に

「理想の職場」を夢見て

フラフラ職場を渡り歩くのも、

20代の独身ならまだ許されるかも知れない。

しかし、

家族や支えるべき人がいる立場になったら、

「石に齧りついても」

「やらなきゃ仕方ない」って

働かざるを得ない、

そう腹をくくる事も必要ではないか。

 

そういった人達の為に

「自己犠牲」を払う、

仕事にはそんな側面も

結構大きいのではないか。

 

職場を移るにしても、

ここで働く事で

技能や知識、資格といったスキルを身につけ、

それを活かせる次のステージを

じっくりリサーチした上で、

機を見て転職する、

或いはヘッドハンティングして頂く、という

ステップアップならば良い。

 

ここは嫌だから取り敢えず辞める、

という辞め方は、

刹那的で計画性がなく、

だから同じ失敗を繰り返す。

 

増して、

キャリアは無く、

トシだけは取っていくのに、

単なる職場引っ越しを繰り返しても、

自分の商品価値は下がるばかり。

転職を繰り返す毎に

より劣悪な環境の職場しか

選択の余地がない、という

ステップダウン状況になりかねない。

 

私が人事担当で、

離職理由が

「理想の仕事が出来なかったから」

「上司や同僚の理解が得られなかったから」

「それによるストレスで体調を崩したから」

とあったら、

その人物は採用しない。

 

自分の職場に問題があれば、

粘り強くそういった環境を改善し、

高めるように尽力してくれる、

そんな人材ならば是非とも欲しいが、

その職場が合わないとなったら

さっさとケツをまくってしまう、

それを繰り返しているようなヒトに、

職場に入ってもらいたくないと思うのは当然だろう。

 

働くって大変だ。

増して、

それを続けるってなったら、

もっと大変だ。

 

それを本当の意味でどこまで分かってるか?

 

結局そこだよね。