スゴくクラシカルな定義なんだけど、

音楽の三要素、

「リズム」「メロディ」「ハーモニー」

ってあるんですね。

 

私、

端的なメロディ中心主義。

メロディをコアにして

それを支えるリズムとハーモニーがある、

と捉えていた。

 

勿論、

リズムバリエーションで全く違う曲になるし、

リハーモナイズでも曲は生まれ変わる。

それでも、

中心にあるのはメロディで、

そこが同じならば、

リズムやハーモニーを変えても、

コアはそのまま、

あくまで装いが変わっただけだ、

と思う。

 

リズムやハーモニーをどんなに弄っても、

メロディが「枯葉」ならば

やっぱ「枯葉」だよね、って事。

逆に、

典型的な循環のリズムとコード進行ならば、

メロディ弾かなきゃ

曲のタイトル分かんないじゃん、って事。

 

特にボーカルものならば、

メロディに歌詞を乗せてこその

「歌」じゃないか?

って。

歌詞にメッセージを託して

メロディに載せて歌ってこその

「歌」じゃないか?

って。

「歌う」っていう意味、

そこにこそあるんだろよ!

って。

 

それに対して、

最近流行ってる

ラップとかそれを中心にしたヒップホップって、

メロディを中心に据えてないですよね。

敢えてそこを否定し、

ハーモニーにも拘らず、

リズムにのみ韻を踏んだ歌詞を乗せて

「語って」ますよね。

決して

歌詞にメッセージを託して

「歌って」はいないですよね。

 

だから思ってたんです。

ラップって音楽なのか?

って。

 

それって、

太鼓にあわせて

ただ叫んでた、

太古の

音楽の原型、というレベルのモノじゃないか?

って。

 

だから、

そんなの音楽じゃねーよ!

って。

折角洗練されたスタイルが確立されたのに、

それに背を向けて

敢えて声をリズムに乗せて

「語って」るだけ

って。

そんなの認めねーよ!

先人達が作り上げてくれた

音楽に対するボートクじゃねーかよ!

って、

思ってたんですね実は。

 

けれど、

日本語ラップの雄、ケツメイシやリップスライム、

最近話題のリアルジャズなんかを

聞いてると、

歌のパートとラップのパートとがあって、

「あ、ラップのパートって

ドラムソロみたいに捉えても良いのかな?」

って。

「あ、それならばラップって音楽『アリ』かな?」

って。

 

ドラムソロって、

リズムのみで音程のないドラムが、

リズムのみで

メッセージを含んだ歌を歌う、

ってこと。

 

ならば、

ラップもそうなのかな?

って。

歌詞に託したメッセージはあるけど、

それをクラシカルなメロディに乗せて歌うんじゃなく、

リズムパートとして、

「歌わずに歌う」って事なのかな?

って。

 

中々受け入れ難かったけど、

漸く解ったような気がする。

 

けどゴメンね。

あの手のバンドの

DJってのの意味、

これは未だ分かんない。

 

もう少し考えてみるね。

大きく、
強く。
 
若くて至らないところもあるが、
理念に燃えていることで許されていた。
その理念は、
「自由と平等」というスローガンと、
「世界に冠たる」という自負とに支えられていた。
 
しかし時代は移った。
 
「自由と平等」を追い求めた結果のグローバル経済は
他国の台頭と
移民による自国の蹂躙
(と本人たちは思っている)を招き、
「世界に冠たる」という自負も損なわれた。
宗教を口実にした様々なテロに
有効な対策は出来ないままだ。
 
そして今回、
人々は
その理念とは
正反対の旗を掲げた男を
自らのリーダーに選んだ。
 
無論、国のリーダーを
その国民が選ぶのは当然であり、
他国の者が異を唱える筋ではない。
 
それでも
その国は
未だに
大きく
強い。
世界の富の半分以上を占め、
世界の情報の大半を握り、
世界を導くテクノロジーを持ち、
世界を何度でも滅せる軍事力がある。
 
それだけ
大きく
強い
国のリーダーとして、
彼らは
「道義的に」
「政治的に(それは即ち建前として)」
「世界に冠たる」という困難な理想よりも、
「オラが村だけ良きゃ良いんだ!」と言い切る
「幼い」男を選んだ。
 
楽天的で
理想に燃え
困難に立ち向かう。
かつて
かの国と
それを支える人々が、
「フロンティアスピリット」と
呼んだもの。
私はそここそが好きだったのだが。
 
「国のリーダーは
その国民の民度を表す」という。
 
何に関しても
勝つこと、
ナンバーワンになること、
アメリカンドリームを摑むこと、
それのみを追い求めて来た人々の
行き着く先は、
必然としてここだったのかも知れない。
 
2016年11月9日。
ドナルド トランプ
大統領選勝利。

仕事の関係で

時々行く家に

割合大きな犬が飼われている。

 

家人がいる時には

吠えついてくるが、

家人がいない時は

尻尾を丸めて小屋の陰に隠れる。

勿論吠えもしない。

 

要は

ご主人様に対して、

頑張ってますよのポーズを取って見せてるだけで、

番犬としては全然役に立たない。

実に臆病。

ナリに合わない分、

余計に滑稽で情けない。

動物は全般好きだが

この犬はダメだと思う。

 

そういえば似た話があった。

 

ネットの匿名性と攻撃性について、だ。

 

顔を晒したリアルなコミュニケーションでは

仮面を被って大人しくしているが、

飼い主という匿名性を得ると、

ここぞとばかりにケンカを売る。

完膚無きまで叩き潰す。

自分ってスゲーだろ、って

アピールする。

そしてまた

ネットの匿名性から離れた途端、

仮面を被り善人ぶる。

 

リアルなコミュニケーションで

反対されたり

非難されたり

自分が攻撃されたくないからだ。

その分、

匿名性を約束されたネットでは、

自分を過大に誇示し

対象を徹底的に残虐に攻撃するのだ。

 

実に滑稽で情けない。

 

何かに対してモノが言いたきゃ

顔を晒して言え。

反対も非難も

受け止める積もりがなければ

最初からモノなんか言うべきじゃない。

 

飼い主が居ない時にこそ

吠えて戦える犬が

本当に勇気の有るヤツだ。

飼い主が居ないと

尻尾を巻いて逃げ隠れる

性根の腐ったヤツなんか、

誰が本気でリスペクトしてくれるもんか。

 

そんな役立たずの番犬、

飼い主からしたら厄介者なだけだし、

同じ犬からだって

蔑まれるだろうさ。

 

自分自身、

匿名性の高いtwitterは

最近殆どやらない。

投稿してるのは

顔と実名その他を晒しているFBばかりだ。

匿名性の陰に隠れて

コソコソとモノを言う、

そんな下卑た行為に走らないように、

という自戒の気持ちもあるからだ。