ご無沙汰してます。

本番が無いからと言って、吹かないと下手になりますし、何よりも個人的にストレスが溜まるので、個人練習してます。

ベースや鍵盤等、本業とは別の楽器で遊んだりもしてます。

すると、バンドやユニットとして大切な事が解るように思います。

それは「周りを良く聴いてしっかり合わせられる技量がメンバー全員に必要」という事。

当たり前じゃん?と言われそうですね。

でも、解ってなくない?ってケースもあって。

ソロ弾き語りならば、テンポもハーモニーもある程度自由です。好きにやれる。それも個性のうちでしょう。

しかし、皆んなで演奏となると、それらはある程度揃えなきゃいけない。余りにも大きくズレたりヨレたりすると残念な演奏になります。テンポやハーモニーをキープするのと同時に、全体を聴いて音量や音色、バランスなどをマッチングさせる。ソロならばほぼ不要とも言えるそれらの技能が、バンドでは厳しく要求される訳です。

しかも、この技能が求められるのは、メンバーの一部ではなく全員、というのがポイント。「リズムはドラムに任せるから」とか「ハーモニーはギターと鍵盤で宜しく」とか、誰かや特定のパートに一任するのは間違いです。何故なら、バンドサウンドはメンバー全員が携わって生み出されるものである以上、テンポやハーモニーも全員が協同で担うべきものだから。どこかがリードして他がそれに従うのではありません。テンポキープやピッチ聴音の能力は全員が備えておくべきで、それを踏まえメンバーが出した音を積み上げていくのがバンド。誰かが条件を満たしてなくても他のメンバーがサポートすれば成立するというものでは無いと思います。

これを突き詰めるのは辛いけど逃げられません。

ある朝、
電話が入ってきた。

びっくりした。
悲しかった。
腹が立った。

そして
今までの自分は
正しかったのだろうか?
と、
自問し
苦しんだ。

愛していない相手ならば
どうなろうと気にならない。

信じていない相手ならば
何があっても怒らずに済む。

愛して信じていた相手だから
辛かった。

愛して信じていた人たちは
傷付いた。

勿論
自分も辛いだろうが、
それは
ひととして負わなければならない
当然の責任。

厳しいようだが、
そこは庇えない。

大変だろうが、
これからの自らの行いで、
その想いを示すべきだ。

私は、
今まで、
愛し、
信じ、
助け、
守ってきた。

何時までもそうしていられれば
そうしたい。

まだ
自分でそう出来なければ
今はそうしても良いだろう。

だが、
何時までも
そうしていくことは出来ない。

ひとりで進まなくてはいけない日は
いつか必ず来る。

そして、
そうなるように
接してきた積もりだった。
そして、
出来ると思ったから、
そうした。

結果、
残念だった。

しかし、
何時か来るその日の為に、
そして、
そうしたいから、
その言葉を
もう一度信じる。

この出来事でわかった事を、
自分の心に刻み込んで、
もう一度、
歩いて行ってくれるように、
ただ願う。

そして私は、
愛し続け、
信じ続け、
見守りながら、
こう祈るしかない。

「しっかり生きて」

あれは

障害者が一生懸命働いてることを

感動の押し売りで描くべきところではなく、

障害者雇用についての

企業の対応や

雇用者全般の労務管理のひとつのモデルであり、

行政側からすると

働き方支援という国の施策に対する

具体的対応として

取り上げるべきところ。

 

「会社が苦しいから、休みだけど働く!」

なんてのを

美談として取り上げるのは

反則技。