私はアマチュアですし、お客様から多額の料金を頂いてる訳ではありません。イベントの無料ライブで演る事も多いです。

しかし、お客様の前で演奏させて頂くという事は即ち、その方の貴重な時間や資産を割いて頂いてる訳です。

それに見合うよう、最善を尽くしたいと思いますし、折角ならば少しでも喜んで頂きたいと思っています。

本番で皆んなが最高の笑顔でいられるように、そしてその後にも良いご縁を頂けるように、しっかりと臨みたいと思います。

少なくとも「自分らが楽しめれば周りなんてどうだって良いや!」的な甘えた考えには堕ちたくありません。

以前とは少し変わったかも知れませんが、現在の私の考えを。

「音楽理論」というと何だかアタマでっかちなイメージがあるし「勉強すべきか?必要か?それが何の役に立つのか?それに頼るのはどうなのか?」的反対風潮があります。

「要らねーよそんなモン!音楽なんてハートだろ絶対!」みたいなアレ。

実際、理論って「鳴っていた音を調べたらこういう事だった」という後追いの解釈ですからね。

「音楽はセンスが大切」ってのはそうなんでしょう多分。私も以前は強くそう思ってましたし、大きく間違ってはいないと今でもそう考えます。

ただ、楽典の知識がある事で、曲の構成やコード展開の理解だとか、アレンジの実践や応用とかがスムーズに運ぶ事は確実にあります。

だって極論すると音は「音波=音の波=周波数」であり、そうである以上「音楽は物理法則に支配される現象」であり、それは即ち「物理的理論で説明される」から。

特に、12平均律とかコンディミスケールとかを学ぶと「音楽ってカンペキに数学理論だよなぁ!」と納得しますし、純正律の響きを聴くと「音響物理こそ美しさだよなぁ!」と改めて感動すらします。

少なくとも、ハモリの音を単純に拾ったりアレンジの選択肢を挙げたりするのに手間取って時間の無駄使いする事態は劇的に減ると思いますね。

昨夜は「言葉」についてあれこれ思いを巡らせてみました。

職業柄もあるのか、以前書いた「ネガティブケイパビリティ」という考え方、大切だなと思ってます。

谷川俊太郎さんの「庭を見つめる」、いつ読んでも心が震えます。

遡って、俳聖芭蕉は「物言えば唇寒し秋の風」と詠みましたね。

言葉は、物事や思想をキッチリと切り取り表現します。

それで明らかになることも勿論あり、それこそが言語化の利点ですが、それによって見失ってしまうものもまた沢山あるのではないでしょうか。

特に、単純な問い、例えば「イエスかノーか」「白か黒か」「○か✕か」に対する答えだと尚更です。マージナルな部分にある、量的質的なグレーゾーンは、寧ろハッキリとした両極よりも遥かに幅広く、豊かで意味深いものを含んでる筈です。にも関わらず、どちらかに切り分けた途端、それらはバッサリと切り捨てられて、無いものにされます。

何事であれ、言葉では語り尽くせない、そこから漏れた中にこそ、本質があるのかも知れません。

「言葉は万能ではなく限界がある」という、自覚と諦念は、常に持つべきだと思います。

「まとまらない言葉」

大切だと思います。