烏丸ママのブログ -541ページ目

妙蓮寺

妙蓮寺の前を通ると、
酔芙蓉がおいでおいで
と、言いました。



白からだんだんピンクになります。
赤いのは赤いままなんでしょうね?

蓮台野

北大路通を西に進みます自転車
今宮門前に出ました。
話には聞いていましたが、鳥居が撤去されていますガーン
かつての鳥居
だらだら金閣寺のほうに向かって上り坂です自転車
たまたまチラシを見てツラッティー千本へ

このあたりは蓮台野と呼ばれ、

化野、鳥辺野と並んで京都の三大葬送地の一つです。

上品蓮台寺

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平等院の阿弥陀様などを作った定朝の墓所だそうです。

 

このあたりは葬送地であったので
弔いに携わる人々が住んでいたそうで
被差別部落だったんですね。。。
このツラッティーの展示を見て初めて知りましたあせる
今宮神社の神輿を担がせない!
とか、
鷹峯村から排除されたとか、
殺人事件の犯人にされたり、
いろいろ差別されてきたようです。。。
にもかかわらず、教育に力を注ぎ
益井茂平の私塾が明治3年に
明治6年には蓮台野小学校として開校されました。
京都の小学校は国よりもいち早く設置されたのですが、
それも町衆の力だったのです。
金閣寺からほどちかいこのあたり(千本北大路)には
ライトハウス(視覚障碍者総合施設)や盲学校があります。
益井茂平は蓮台野小学校の初代校長であると同時に
すぐれた眼科医だったそうです。
だから視覚障碍者施設がこのあたりに多いのかな。。。
と、思いました。
白杖を持った人たちとすれ違いましたが、
近くの学生さんたちがすごいスピードの自転車でやってくるので
ちょっと心配になりました。

よく通る場所の知らない歴史を知りました。

 
 

 

ずいき神輿

去年90すぎで亡くなった知り合いのおばあちゃんは
80すきでからも円町から我が家まで自転車で来られたので
私も負けじと円町まで自転車で行きました。
その帰り北野天満宮ずいき祭りの旗がたくさん立っていたので、
御旅所まで行きました。
導山 猿田彦さん~

ご祭神菅原道真公を御旅所にお迎えし、

農作物を供えて実りの感謝と五穀豊穣を祈願するお祭りです。

神輿の屋根をずいき(サトイモの茎)で葺いたことから

瑞饋ずいき祭りと呼ばれています。

 

はなさかじいさん

 

このあたりはお野菜とわかりやすいですね。

 

 

なぜかビートルズのアビーロード

 

 

ズイキも二種類なんですね。

 

ちょうど神事が行われていました。

撤饌だからまあいいかと撮りました。

今日は還幸祭で本宮にお戻りになりました。
いきそびれました!
 

 

御所を通りました

和歌山より東側で凄まじい風をもたらした台風
浜松のうちの畑は巻き上げられた海水の塩で
真っ白になったらしいです。

御所の北側
児童公園のあたりを通りがかりました。
今回の台風は大丈夫でしたが、
前回の爪跡がまだ残ります。

こんなに青々した木
埋め戻してあげられないのかなあ

こんなのですからまだ通せんぼ

そのくせ
こんな桜が頑張って立っている。

近衛邸跡の桜も弱々しく
来年の桜はさみしいかも。


トランクの中の日本

北野天満宮のそばにある佛立ミュージアム
ある仏教団体の美術館で入場無料です。
ポスターが気になっていました。
この写真の特集番組を以前見たからです。
この男の子は長崎の原爆で亡くなった弟を背負って
火葬の順番を待っています。
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この写真を撮ったのは若き海兵隊員のオドネル氏
1945年9月に佐世保に入ります。
撮影するのが任務でしたが、
個人的にも撮りたくなって、日本の写真屋さんに入りました。
驚くほどいろんなものがそろっていたそうです。
写真屋さんはお金よりも物を欲しがって、
煙草を吸わないオドネルさんはありたけのたばこと
カメラ2台を交換したそうです。
そして任務の傍ら個人的な写真も撮りました。
馬を借りてボーイという名をつけ、長崎各地をまわり、
また頼んで飛行機で神戸や広島もまわりました。
他の地域は焼夷弾で焼け残りがところどころにあるのに、
広島だけはまるで何もないことに衝撃を受けたようです。
また帽子とコートを着た男性に出会いました。
驚いたことにその男性は流ちょうな英語を話しました。
アメリカに住んでいたが、開戦で帰れなくなったということでした。
「あなたは息子のような年だが
アメリカに帰ったら、この惨状を伝えてほしい。
自分は身内を失ったが、
あなたや私のように罪のない人たちです。
私はアメリカを許しますが、
このことを忘れることはないでしょう。」
と、言ったそうです。
オドネルさんは帰国後あまりのつらさに
この写真をトランクに閉まっていました。
それから43年たって、
世界各地で続く戦争やテロに、トランクを開ける決意をしました。

1995年スミソニアン博物館で企画されていた写真展は
在郷軍人などの圧力で中止に追い込まれました。
実際現場を目の当たりにした人なら
反対しないだろうし、「戦争を早く終わらせるために必要だった」
というようなことも言わないと思います。

2007年オドネル氏はくしくも長崎の原爆投下の日
86歳で亡くなられました。
皇后陛下もその記事についてお言葉を述べられています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h19sk.html
また核なき世界を訴えるローマ法王は
この写真のカードを配布することを指示したそうです。

以前放映されたテレビの動画みつけました。


このオドネルさんの写真集


今週末まで