トランクの中の日本
北野天満宮のそばにある佛立ミュージアム
ある仏教団体の美術館で入場無料です。
ポスターが気になっていました。
この写真の特集番組を以前見たからです。
この男の子は長崎の原爆で亡くなった弟を背負って
火葬の順番を待っています。

この写真を撮ったのは若き海兵隊員のオドネル氏
1945年9月に佐世保に入ります。
撮影するのが任務でしたが、
個人的にも撮りたくなって、日本の写真屋さんに入りました。
驚くほどいろんなものがそろっていたそうです。
写真屋さんはお金よりも物を欲しがって、
煙草を吸わないオドネルさんはありたけのたばこと
カメラ2台を交換したそうです。
そして任務の傍ら個人的な写真も撮りました。
馬を借りてボーイという名をつけ、長崎各地をまわり、
また頼んで飛行機で神戸や広島もまわりました。
他の地域は焼夷弾で焼け残りがところどころにあるのに、
広島だけはまるで何もないことに衝撃を受けたようです。
また帽子とコートを着た男性に出会いました。
驚いたことにその男性は流ちょうな英語を話しました。
アメリカに住んでいたが、開戦で帰れなくなったということでした。
「あなたは息子のような年だが
アメリカに帰ったら、この惨状を伝えてほしい。
自分は身内を失ったが、
あなたや私のように罪のない人たちです。
私はアメリカを許しますが、
このことを忘れることはないでしょう。」
と、言ったそうです。
オドネルさんは帰国後あまりのつらさに
この写真をトランクに閉まっていました。
それから43年たって、
世界各地で続く戦争やテロに、トランクを開ける決意をしました。
1995年スミソニアン博物館で企画されていた写真展は
在郷軍人などの圧力で中止に追い込まれました。
実際現場を目の当たりにした人なら
反対しないだろうし、「戦争を早く終わらせるために必要だった」
というようなことも言わないと思います。
2007年オドネル氏はくしくも長崎の原爆投下の日
86歳で亡くなられました。
皇后陛下もその記事についてお言葉を述べられています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h19sk.html
また核なき世界を訴えるローマ法王は
この写真のカードを配布することを指示したそうです。
以前放映されたテレビの動画みつけました。
このオドネルさんの写真集
今週末まで
ある仏教団体の美術館で入場無料です。
ポスターが気になっていました。
この写真の特集番組を以前見たからです。
この男の子は長崎の原爆で亡くなった弟を背負って
火葬の順番を待っています。

この写真を撮ったのは若き海兵隊員のオドネル氏
1945年9月に佐世保に入ります。
撮影するのが任務でしたが、
個人的にも撮りたくなって、日本の写真屋さんに入りました。
驚くほどいろんなものがそろっていたそうです。
写真屋さんはお金よりも物を欲しがって、
煙草を吸わないオドネルさんはありたけのたばこと
カメラ2台を交換したそうです。
そして任務の傍ら個人的な写真も撮りました。
馬を借りてボーイという名をつけ、長崎各地をまわり、
また頼んで飛行機で神戸や広島もまわりました。
他の地域は焼夷弾で焼け残りがところどころにあるのに、
広島だけはまるで何もないことに衝撃を受けたようです。
また帽子とコートを着た男性に出会いました。
驚いたことにその男性は流ちょうな英語を話しました。
アメリカに住んでいたが、開戦で帰れなくなったということでした。
「あなたは息子のような年だが
アメリカに帰ったら、この惨状を伝えてほしい。
自分は身内を失ったが、
あなたや私のように罪のない人たちです。
私はアメリカを許しますが、
このことを忘れることはないでしょう。」
と、言ったそうです。
オドネルさんは帰国後あまりのつらさに
この写真をトランクに閉まっていました。
それから43年たって、
世界各地で続く戦争やテロに、トランクを開ける決意をしました。
1995年スミソニアン博物館で企画されていた写真展は
在郷軍人などの圧力で中止に追い込まれました。
実際現場を目の当たりにした人なら
反対しないだろうし、「戦争を早く終わらせるために必要だった」
というようなことも言わないと思います。
2007年オドネル氏はくしくも長崎の原爆投下の日
86歳で亡くなられました。
皇后陛下もその記事についてお言葉を述べられています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h19sk.html
また核なき世界を訴えるローマ法王は
この写真のカードを配布することを指示したそうです。
以前放映されたテレビの動画みつけました。
このオドネルさんの写真集
今週末まで