
小林一三記念館
蔵出し記事になりますが、
3月27日池田市逸翁美術館 マグノリアホールで宝塚OGさんの
コンサートがあり、参りました。
ちょうどマグノリアの花が咲いていました。
少し時間があったので、あたりを散策。
小林一三旧宅(記念館)の前まで参りました。
小林一三氏は阪急東宝グループの創始者で、商工大臣を務めました。
列車の乗客を増やすために、郊外に住宅地開発をしたり、
ターミナル駅にデパートを作ったりしたのは、この方が始めました。
宝塚歌劇も宝塚温泉の余興として始まったものです。
松岡修造さんは小林一三氏の曾孫にあたります。
茶人、美術品収集家としても有名で、現在の逸翁美術館が開館するまでは
こちらの旧宅が美術館でした。
桜がちらほら咲きでした。
こちらの長屋門は能勢町の庄屋の門が移築されたそうで、
有形登録文化財に指定されています。
奥にみえているのが雅俗山荘。
和洋折衷の建物です。
この日はコンサートの時間が迫っていたのでここまで。
雅俗山荘は今レストランとして営業されているようです。
このすぐそばには、池田城跡もあり、
今度ゆっくり友人と散策する予定です。
その時レストランも利用できたら、
またレポートしたいと思います。
息子が借りてきた本読みました。
息子が漫画の本を借りてきました。
テレビドラマでも反響を呼んだミステリーと言う勿れ最新刊
9巻まで以前借りてきて、読みましたが、
この巻が一番面白かったです。
そして、気持ちがズーンとなったのがこちら。
歴史は何度同じ過ちをくりかえすのでしょうか。
漫画版 戦争は女の顔をしていない
ベラルーシ出身のノーベル賞受賞作家 アレクシェービッチが
独ソ戦に従軍した500名の女性にインタビューをし、
記録したものです。
その内容から、当初は雑誌も新聞も出版を拒みました。
驚くことに独ソ戦では100万人以上の女性が従軍したそうです。
彼女たちは、愛国心から自ら志願しました。
洗濯をするという後方支援から、狙撃兵、戦車部隊の衛生兵など
多種多様にわたっています。
狙撃兵だった女性は初めて射殺したときは涙が止まらなかったけれど、
それは最初だけで、慣れていった。。。
戦車部隊の衛生兵は匍匐前進して、
炎上する戦車のハッチをあけて、兵士を救出することでした。
飛行兵は交戦した相手が女性で驚いていたそうです。
原作者がノーベル賞受賞者であること、
昨年100分de 名著にも取り上げられていたことをしりませんでした。
NHK100分de名著のサイトより抜粋
第二次世界大戦中、もっとも過酷な戦場の一つになったといわれる「独ソ戦」。ソ連側だけでも死者は約2700万人といわれています。この戦争で特筆すべきは従軍した女性兵士が100万人を超えるということです。そんな彼女たちの苦悩や悲しみ、希望や絶望を「証言文学」という方法で克明に描ききった本が「戦争は女の顔をしていない」。2015年、「私たちの時代における苦難と勇気の記念碑」と評され、著者スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(1948-)がノーベル文学賞を受賞するきっかけとなった名著です。「100分de名著」では、終戦から77年目を迎える8月、「戦争は女の顔をしていない」に新たな光を当て、現代の私たちに通じるメッセージを読み解いていきます。
アレクシエーヴィチはもともと地方紙の一記者でした。戦争を記録するのが「男の言葉」だけだったことに疑問を持ち続けた彼女は、「戦争の物語を書きたい。女たちのものがたりを」というやむにやまれぬ思いから、元女性兵士たちから聞き書きすることを決意、この本を書き始めました。以来、独ソ戦に従軍した女性たちに寄り添い、500人を超える人たちからの証言を聞き取り続けます。しかし、完成から2年間、「これはわが軍の兵士や国家に対する中傷だ」として検閲され出版されることはありませんでした。ようやく出版されたのは、ペレストロイカが進んだ1984年。出版されるや200万部を超えるベストセラーになり、映像化も果たします。当時、元女性兵士たちの状況は、まだメディアで断片的にしか伝えられることはなく、その全貌はほとんど知られていませんでした。そんな中での「戦争は女の顔をしていない」の出版は、戦争の記憶を忘れ去っていた人たちに「戦争のリアル」をつきつけ、大きな衝撃を与えたのです。
詳しくは番組サイト↓
藤の季節
今年は祇園祭の山鉾巡行が執り行われることが決定しました。
疫病退散のお祭りですもんね~
ところで、
近所のお寺の藤が見頃です。
どなたも来られません。
遠出ができないので、過去画像から。。。
藤がきれいなのは平等院
藤原家の別荘でしたもんね~
今咲き始めたようで23日が見ごろだそうです。
春日大社 萬葉植物園。(2019年5月9日)
春日大社は藤原家の氏神さんですものね~
ここは種類が本当に多くて、また行きたいです。
白い藤の方が開花の季節は遅いようでした。
京都市は鳥羽浄水場の藤が有名です。
去年一昨年はコロナで公開中止でしたが、
今年は財政難のために中止だそうです。
この間もタクシーの運転手さんから聞いたのですが、
観光閑散期にあった花灯路は財政難のために終了だそうです。
「いや違うでしょ。
観光客呼ぶためにやめたら、あかんでしょ。」
とお怒りでした。
藤の公開のためにコストがかかるなら、
京都市浄水場のペットボトルを買った人を招待するとか、
(疎水物語という10年保存できる備蓄用水を売っています。)
なんかそれをカバーするような企画を考える人いないのでしょうか。
教育委員会出身の市長さんが2代続いたので、
今度は経済に明るい市長さんを望みます。
大徳寺クラウドファンディング
ホームページもないような大徳寺。
司馬遼太郎 氏は「大徳寺散歩」にこう書いておられます。
(抜粋)
鎌倉末以来日本における臨済禅の濃密な拠点
大徳寺は俗化をこばんでいる
大徳寺の特徴は、大灯国師以来のきびしい禅風をまもるべくできるだけ世塵から超越しているところにある
後水尾天皇が下賜された勅使門
(2019年台風で門が開いてしまった珍しい風景)
利休切腹の一因となったと言われる三門 金毛閣
大徳寺は室町時代に幕府によって定められた京都五山には入っておらず、
林下(りんげ、りんか)とよばれる在野で、座禅修行を行う厳しい禅風で知られるお寺でした。
そんな大徳寺がインスタグラムと、Twitterを始められたので、
ビックリでした
https://twitter.com/honchou63zen/status/1515639695589343232?s=21&t=_8Vlj3X8lxeHbW1kWB2wNg !
それには理由がありました。
大徳寺本坊の日本最古の畳を修復するための
クラウドファンディングを始められたからです。
畳表は新しくしても、その芯にあたる畳床が400年前のものらしいです。
興味のある方はこちらからどうぞ。
過去のクラウドファンディング見ても、
結構集まっていますね。
話は知恩院に変わりますが、
知恩院前執事長 北川一有さんが亡くなられました。
北川さんといえば、暁天講座に現れなかった磯田道史先生に代わって
司馬遼太郎さんのお話をしてくださいました。
ご冥福をお祈りいたします。
ファンの方には申し訳ないのですが、
それ以来磯田先生のイメージがとっても悪くなりました。























